表現の自由と出版流通の危機
山 了吉
「特定秘密保護法」の制定から「集団的自衛権の容認」まで、安倍内閣の暴走は止まりません。「治安維持法」下で起こった、戦前最大の言論抑圧である「横浜事件の悪夢」のように、再び、表現の自由や出版の自由の危機が迫っているのではないでしょうか?
「児童ポルノ禁止法」の改正など最近の政治、司法の動向から、「表現の自由と出版流通」の関連性を考えてみたいと思います。
報告者は、長い間、週刊誌の編集者兼記者として、最前線の取材を続けてこられた小学館社長室顧問の山 了吉さん(日本雑誌協会 前・編集倫理委員長)にお願いしました。
<講演記録骨子>
1970年小学館入社 いわゆる“団塊の世代”のトップランナーとして「学生運動」=全共闘運動を経て、週刊誌『週刊ポスト』創刊8ヶ月目に編集部に入る。事件、政治、経済、芸能など何でもネタを追う日々が始まりました。
その後、『女性セブン』『P・and』誌をへて、編集総務・法務担当となる。雑誌協会では、98年以降、児童ポルノ法、国旗国歌法、通信傍受法などの反対声明に関わり、その後のメディア規制三法(個人情報保護法・人権擁護法・青少年有害社会環境対策基本法)には、全面的に関わり、国会の参考人として招致され、たたかってきました。
その後も「裁判員制度」「国民投票法案」「特定秘密保護法」「マイナンバー法案」など今でも生々しい法案に対抗してきた経緯があります。そのほかにも「雑誌人権ボックス」設置や「人権・差別問題」に積極的に関わってきた。これらの関係から今回、出版界で長年政治・司法の現場に立ち会ってきたということで、お話があり、専門分野の知識も乏しいのですが、こうしてお引き受けして参った次第です。
(1) 「特定秘密保護法」制定に象徴される安倍政権の国家形態とはどのようなものか?
「誤解を恐れずに言えば、雑誌、特に週刊誌は、秘密を暴いてこそ購入してもらえるメディアといえます」
これは、2013年12月6日深夜「特定秘密保護法」が自公の強行採決で成立した日の夕刻、議員会館で開かれた院内集会において、雑誌協会の立場から私が発した冒頭の言葉です。
雑誌は、新聞や通信、放送のように事実を早く、正確に伝えるメディアと言うより、その伝えられた情報、事実とされるニュースの裏面、真相をさぐり、建前よりは本音に迫るメディアと言えます。だからこそ、「特定秘密保護法」の持つ「秘密保護システム」にもっとも早くから異議を唱えてきたわけです。
国家や公的機関、団体組織、公人・有名人などの「秘密」を数多く暴いてきた事例には事欠きません。「核の持ち込み疑惑」「武器輸出三原則の抜け道」「防衛官僚の業者との癒着」「有力政治家の外国籍愛人疑惑」等々、「特定秘密保護」に当たるようなきわどい記事がすぐ想起されます。
安倍首相は、「この法律で、知る権利や取材の制限は全く心配ない」と断言しています。
しかし、我々が現場で危惧するのは、まず“ネタ元”の封殺、つまり内部情報の遮断です。国民には知らせていない、とんでもない国家間の密約、外交のあり得ない交渉条件など国家機密に属する情報に接した公務員が義憤に駆られて通報するケースは、過去に多々ありました。それが、殺人より重い刑罰(懲役10年)を科されることによって、内部情報が遮断される可能性が大いに懸念されます。
また、秘密に類する情報の入手方法も、取材上の様々な手練手管を「だぶらかし」「脅迫まがい」の行為と決めつけられれば、取材者にも5年以下の懲役刑が待っているのです。さらに言えば、何か特定秘密をチェックする「第三者機関」(情報諮問会議)も行政府の長の判断に異議申し立てをするにも、「特定秘密内容」を全く知らされていない以上、形式的な手続き止まりで、とても「第三者機関」と言うにはほど遠いと言えます。
結局この法律を是が非でも通した理由は、国家安全保障会議(日本版NSC)のための情報管理システム強化とそれに伴うスパイ、テロ防止のための治安体制、公安警察の強化に尽きると言えます。
「特定秘密保護」が、国民への「情報公開」「知る権利」に先行して決められた、という理解がもっとも妥当でしょう。冒頭の院内集会では次のように締めくくりました。
「この法律が成立するようなことになれば、雑誌メディアは法律施行後、特定秘密保護法違反で逮捕されるような取材、暴露記事を掲載して、それが是か非か世に問う! そのことが、雑誌の使命かもしれません」。
それは、何より「自由な言論、表現」を唱え、公権力からの規制や統制、制限を排除してきた私たち出版人の歴史、存立基盤、言うなれば衿待そのものなのです。
(2) 直接に出版界を揺るがしかねない「児童ポルノ禁止法」改正の衝撃!
2014年6月の通常国会で、「児童買春・児童ポルノ法改正法」が成立しました。法施行から十五年、とうとう最も怖れていた「児童ポルノ単純所持」規制の改正法案です。
「単純所持」で罪に問われることといえば、まず想起されるのは銃刀類、あるいは麻薬、覚醒剤など、社会の安全に関わり、誰の目にも明々白々なもの。誰が見ても「そのものずばりの児童ポルノ」、児童を性的に虐待してその人権を踏みにじる行為は許されない犯罪です。
しかし今回成立した「児童ポルノ禁止」改正法の「児童ポルノの定義」…つまり何をもって「児童ポルノ」とするか? のひとつが、いかようにも解釈できるのです。これは従前から“三号ポルノ”(定義の3の三項に記されていたことから)と称されていたもので、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって,性欲を興奮させ又は刺激するもの」と定義されていました。しかしこれでは十八歳未満の水着のモデルやタレントのグラビア写真でも”児童ポルノ”にされかねません。さらには解釈次第では、人気の幼児タレントの姿態、古くは「おさな妻」(女優・関根恵子の十五歳の裸体)などに適用されかねないとまで指摘されていました。
そこで今回の改正法では、この“三号ポルノ条項”に「―殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう)が露出され又は強調されているものー」と、但し書きを付け加えた修正がなされたわけです。しかしこれで定義は厳密に規定できるといえるのでしょうか?
手元に最近発売された『週刊プレイボーイ』誌があります。そのグラビアページには「僕のクラス委員長は超ボイン」と題した十六歳アイドルの水着写真が胸元を強調したポーズで載っています。次のページには制服から下着がのぞく写真や別バージョンの胸が見えそうなカットも掲載されているのです。これらのグラビア写真を、改正された「児童ポルノ禁止法」の定義にあてはめてみますと、十六歳は児童で、しかも水着、その上、性的な部位とされる胸部を殊更強調していることになります。まさに改正“三号ポルノ”の定義に当てはまる可能性は大でしょう。ただしこの十六歳アイドルは、性被害児童には当たらないし、まして保護対象児童でもないのです。しかし、捜査当局によって、定義条文の通りに解釈された場合、このグラビアは児童ポルノ法違反となり、処罰される可能性が出てきます。そうなると版元の集英社はもちろん編集長、担当編集者、カメラマン、印刷所、製本業者、運搬会社、取り次ぎ、全国の書店、コンビニ、それに購入読者全員が処罰の対象となりえます。刑法175条「わいせつ物頒布罪」にも設けていない厳しい規定が、1年後(単純所持猶予期間を設定)から実施されることになるのです。
(3) 国家が全国民の収入・支出の実体をつかむ 「マイナンバー法」の怖さ
2014年5月には、懸念の大きかった「マイナンバー法案」が可決成立してしまいました。「国民総背番号制度」とは、日本国に在住する国民全員に番号を付与し、その番号を使い、国民一人一人の収入と税金や社会保障の支払いを漏れなくキャッチするシステム。国家行政がすべてつかめるようにすることで、不正をなくし、国民の不公平感を正すとの方針だが、果たして第三者に漏れたり、不正なアクセスの対象になったりする怖れはないか? 国家・行政の不正を監視する独立した「第三者機関」は、設けることができるのか? など未だに疑問だらけと言っても過言ではないでしょう。実施は2016年度の、ため、現段階で、国民に12ケタ、法人には13ケタの番号が決められ、割り当てが進行中。いわゆる「第三者機関」も60名ほどの組織が立ち上がり活動を始めていますが、真の意味で第三者機関といえるのかどうかは今後の大きな課題です。
(4)(NHK経営委員、メディアへの「介入」、高級官僚の選別の安倍「人事」
なんと言ってもNHKの経営委員会の人事が典型的な安倍人脈実現の人事で、籾井勝人会長をはじめ百田尚樹委員、長谷川三千子委員などで、百田、長谷川両氏は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人の会」のメンバーで、メディアでもその発言が物議を醸すほどの「超」のつく保守派です。他のふたりの委員も安倍首相と直接、間接に関わりのある方達です。これでは、公共放送である日本放送協会(NHK)を牛耳ることこそ政権維持には欠かせないと、あからさまに表明しているようなものではないでしょうか。
また、安倍首相自身のメディア関係者との夕食会は実に多く、読売新聞グループ・渡辺恒雄会長との会食はつとに有名ですが、朝日新聞・木村社長、毎日新聞・朝比奈社長、産経新聞、日本経済新聞、共同通信、テレビ朝日、フジテレビなどなどで、特にフジテレビの日枝久会長などは月に何度も夕食会、ゴルフの会に随伴しているほどです。出版社では公にはほとんどありませんが、新聞、放送、通信などの大手メディアは、これでいいのでしょうか? メディアの使命は、時の政権との距離を置き、その権力の監視を第一義とすべきなのに、これではメディアの情報は信じてもらえないことになりませんか。
もう一つ、安倍政権が急遽設けた「内閣人事局」。ここにも側近中の側近、加藤勝信内閣官房を兼務させ、各省庁の幹部(高級官僚)の人事、つまり出世を管理統制する役割を、政治主導で設定したわけです。
このように安倍政権は「デフレ脱却・経済再生=アベノミクス」「戦後レジームからの脱却」「積極的平和主義」を唱え、これらの実現のために大構想を仕立て、「人」「モノ(票)」「金」そして「法律」「組織=システム」等一それぞれ別々のような事柄を巧みに編んでいく手法を取っています。その青写真を喝破して大衆に知らせる役割はやはり出版・雑誌でありたいと思います。
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報告のテーマは、「安倍政権下、着々と進む政治、行政の動向から、戦後の平和と民主主義を支えてきたメディア、特に出版への影響を考える」など多面的で、「表現の自由と出版流通の危機」を考える意義深い出版流通研究部会となり、「為になって、面白い」小学館の社是が、生き生きを流れている“笑いの絶えない”研究部会であった。参加者は、会員5名、一般16名の計21名(会場:八木書店会議室)。
(文責:出版流通研究部会)