歴史部会 発表要旨 (2003年11月28日)
近代日本文壇における著作権および剽窃問題について
堀 啓子
2003年11月の歴史部会は、同月28日、日本エディタースクールの一室で開催された。「近代日本文壇における著作権および剽窃問題について」というタイトルで、明治期の翻訳、翻案にまつわる著作権への意識、延いてはベルヌ条約への加盟をめぐる操觚界全般の動きにも焦点をあてて発表させていただいた。
このテーマを考える発端となったのは、正岡子規の『花枕』にまつわる言説である。明治30年4月の『新小説』に掲げられた同作は、幻想的なストーリーが異色の短編で、その内容から、欧米小説に趣向を取材した「翻訳」もしくは「翻案」と捉えられていた。その認識は、子規自らにより否定されたが(『閑人閑話』明治31年)、子規はこの作品のオリジナリティーを強調しながらも同時に、「翻訳・翻案」と認識されることが「寧ろ余に於て名誉とすべき」であったことを客観的事実として認めている。背景には、原著作を明記しない形での翻訳や翻案が当然のごとく受容され、鼓舞されることさえあった同時代の日本文壇の傾向がある。
なかでも英米の、いわゆるcheap editionsは安易に扱われ、たとえば尾崎紅葉が『金色夜叉』(明治30年)の構想の典拠を求めたようなことは、多くの文豪の代表作の背後に見いだせる。一方、high-class literature (canon of classics) に対しては、そうした試みは少なかったが、それはむしろ崇拝すべき外国の名著を拙い訳に直すことによって「原作者を辱しむる」(「翻訳壇の趨勢」『帝国文学』明治30年1月)ことに二の足を踏んだがゆえであり、著作権侵害を意識したが故とは言い難い。
明治32年、日本は、文学的及び美術的著作物の保護に関する条約、通称ベルヌ条約に加盟する。これは、既に列強と締結していた不平等条約を撤回するための交換条件的役割が濃く、明治政府の苦渋の選択である。だが、やはり翻訳の制限が加えられることに拠って生じる社会的損失を嘆く声は大きく、加盟直後から、この「片務契約」の解約が「今日最急須なるもの」(「翻訳権の回復」『東京日日新聞』明治32年10月27日)と加盟を否定する向きが強かった。倫理的な問題は、そうした政治上の理由が先行することによって、浸透しにくい状況にあったことは否めない。そして実際問題としてベルヌ加盟各国から著作権侵害について具体的な指摘・糾弾を受けることがなかったこともあり、無許可の翻訳・翻案文学は、その後も日本で顕著な減少は認められないままに、長い時間を経ることになったのである。以上のような趣旨で、発表をまとめさせていただいた。
なお当日、会場の方々から貴重なご指摘およびご助言を賜りました。この場をお借りして改めて御礼申し上げます。
(堀 啓子)