リレーエッセイ:思い出の教科書・思い出の本[4]
初めて自分で買った本
植村八潮
大学の講義では,毎年,初めての自分の本や,自分のお金で初めて買った本についてレポートを書かせている。「一冊の本」は抽象的すぎるが,「初めて」は何はともあれ一つに絞りやすい。いつ,何という本で,どういう出会いがあったのか。どうして自分で買おうと思ったのか。なぜ,その本を覚えているのか。記憶に残る理由を探ることが,本の力を知る第一歩でもある。
「初めての本」については,僕も何度も語り書いているのだが,それは僕にとっても大切な思い出だからである。
初めて買ってもらった本は,バージニア・リー・バートンの『せいめいのれきし』である。8歳の時のクリスマスプレゼントだった。サンタの存在を信じていた記憶がないのは,このときも父から直に手渡されたからかもしれない。
本を開けば,ナレーターの進行により,舞台の上で壮大な歴史が繰り広げられる仕掛けにワクワクした。宇宙の起源に始まる物語は,今日の朝に巡りついて終焉を向かえる。本を閉じると子供心に感動に似た気持ちを味わったものである。現在の版にはないようだが,当時は箱入りだった。その箱もカバーも子供たちに読み継がれるうちになくなってしまったが,黒表紙に金箔押しの書名は,今でも自宅の本棚に燦然と輝いている。
僕が初めて買った本は,ヘミングウェイの『老人と海』である。中学一年の最初の国語の授業で,教師に勧められたのだ。本を読むことは好きだったが,大抵は自宅にある日本文学ばかり読んでいて,外国文学にはなじみがなかった。自宅の本はすべて父の蔵書で,何種類もの全集や単行本が,棚からあふれて狭い家の階段や廊下の半分を埋めていた。
帰り道にある本屋に『老人と海』はあった。少し立ち読みし始めると,たちまちその面白さに夢中になってしまった。なんどか書棚に戻したが,結局,買うことにした。小遣いを使うことよりも,親に相談しないで自分で決めたことが心配だった。何よりも外国文学ではないか。今の今まで,父が外国文学を読まない理由など聞いたことがなかった。だから父に本を見せるとき,ためらいがちだったことをよく覚えている。
ところが思いもかけないことに父は僕の決断をとても喜んだ。そして印税という言葉を教えてくれたのだ。昔は貴族や金持ちだけが,芸術家のパトロンとなって創作活動を支えていたが,今は誰もがみんなで作家の創作を支えるすばらしい時代だという。印税という仕組みによって,本を買ったお金の一部は作家に届き,次の創作活動の糧となるのだ。
そして父は,少しだけいたずらっぽい顔をして言った。「今日から,お前も作家のパトロンになったのだよ」。なんて誇らしくすばらしい思いがしたことだろうか。