歴史部会 発表要旨 (2003年2月21日)
商品としての「円本」 ―改造社と春陽堂の比較を通して―
高島健一郎
いわゆる「円本」に関する研究は数多く積み重ねられているが,その多くが大衆に「享受された」という視点でなされている.しかし,円本を商品として考えた際,そこには何十万という大量消費を可能にした,出版社側の販売戦略が存在する.この発表では,円本を「享受させた」出版社の動向を中心に,特に改造社版『現代日本文学全集』と春陽堂版『明治大正文学全集』の比較を通して,円本がどのような出版物であったのかを考察した.
改造社による円本の販売は,不況下における経営不振を打開するための「乾坤一擲の賭博的行為」と見られているが,改造社の実際の経営状態から見れば,自らの力だけではそれを行なうこともままならなかった.出版業を取り巻く諸業種の動向,中でも世界恐慌下での紙価の下落や最新式印刷機の導入状況などが,改造社の円本のみならず,円本ブームの現出を可能とした背景として考慮されなければならない.また,円本の第一号が文学全集であったことは,関東大震災後の本不足が文化的意義にとどまらず,大正教養主義的な時代背景の中で,多くの現実的障害を引き起こしていたことも重要な点である.
そして,改造社と春陽堂との販売過程の比較を通して見えてくるものは,増巻・増量など内容にも関わる事柄に加えて,月報の添付や本棚の無料進呈などのサービス面での対立や,装幀や判型など書物そのものの出来に関する差別化など,激しい出版競争であった.
この過当競争の結果,文芸書出版の老舗として有利であったはずの春陽堂は,新興出版社の改造社に破れた.それには幾つかの理由があるのだが,本発表で特に重視したのは,老舗としての信用度や看板を背景に勝負した春陽堂と,総ルビによって旧来の非文学読者に向けて発信した改造社との違いであった.
加えて,改造社は月報を有効に活用することによって,円本の予約出版・各月配本という販売システムで,大きなポイントを上げたのである.
一方,書物の実体によらない評価で両全集を比較した場合,その収録作品や収録者の文学的価値付けの次元において,一般に言われているような改造社優位の評価は疑わしく,むしろ春陽堂の方が「文学全集」としては優位にあることが見て取れる.
総じて言えば,改造社が勝利を収めた要因は,その販売方法の巧みさにあり,文学全集としての出来不出来の問題とは,異なった位相の次元で捉える必要があるだろう.
なお,この発表の末尾において,文芸出版における文学者の価値付けをめぐる問題として,芥川龍之介を例に,その商品価値的評価に対する考察を行なった.この点に関しては,拙稿「芥川龍之介と円本ブーム―文学全集における芥川の価値評価について―」(「近代文学研究」20号,平15・2)を参照されたい.
(高島健一郎)