子供の被曝を減らせなかったのか?
―― 福島から原発事故報道に思う
山本俊雄
原発事故で世界的に有名になった福島県の福島市に住んでいる。福島市は事故があった原発からは直線距離で約60km(東京駅から小田原駅程度)離れているが,放出された放射性物質が北西方向に流れ飯舘村などを通り福島市に到達,そこで方向を南に変え郡山市,白川市などを汚染した。この結果,福島県の中央部から東半分の大半が放射線管理区域の基準に入る汚染地域となった。
もっとも線量が高かったのが3月16日で,平常値=0.04マイクロシーベルトが20マイクロシーベルト(平常値の500倍)以上に達した。6月上旬で30倍程度であるが,測定場所や方法により数値は大きく異なる。拙宅は福島市でも線量の高い地域にあるが,家から100m程離れた保育園の枯葉の山からは5月6日の測定で90マイクロシーベルトという極めて高い線量が観測されたという。
福島市の地震による被害は大きなものではなかったが被曝の影響は強い。家族で避難したり子供だけを遠隔地に送る親もいるが,両親が働いていたり家族に老人がいるなどの理由で避難が困難な家庭も多く,子供だけを避難させようとしても子供が家族や友達と離れることを嫌い避難させられないためノイローゼになる親もいるという。
東電や国に対する不信感はもともと強い。東電は永年にわたり事故を隠していたし(2002年に発覚),これに伴い原発推進に異議を唱えた前県知事佐藤栄佐久は2006年に実弟の事件で知事を辞職したが(後に汚職で逮捕,地裁・高裁で有罪判決を受け控訴中),東電や国がじゃまな佐藤の排除を意図したものではないかとの声もある。また,積極的な対応をとらなかったためか事故後に県外に一時避難したとのうわさまで流れた福島市長や,国に追従するばかりに見える現知事に対する住民の不満も強い。
地震が起きた3月11日は韓国語の研修を受けるためソウルに滞在していた。外出先で韓国の知人から東北地方で大地震が起きたとの電話を受け,あわててホテルに戻りテレビを見続けた。ホテルではNHKやCNNが映らず,韓国のニュースチャンネルをほぼつけっぱなしにし,他に韓国の新聞,日本や諸外国の新聞などをインターネットで見た。ニュースチャンネルでは,地震後ほとんど国内ニュースを報道せず,もっぱら日本の地震,津波,原発事故を報道していた。これは,多国籍軍がリビアを攻撃する19日まで続いた。韓国の新聞でも,20日までは日本の震災,原発事故がほぼ一面トップであった。とりわけ原発事故についてはその推移(原発事故はすぐに終息へ向かうかの楽観的ともいえる日本の報道に対し,悲観的な報道が目立った)と韓国への影響が中心であったが,韓国の原発の安全性,さらには事故が起これば容易に韓国が汚染される可能性の高い中国沿岸部の原発の安全性なども話題となった。
私は,福島市に辿り着けることが確認できた22日に福島市に戻った。韓国や日本の友人・知人からはソウルにとどまるようにとの強いアドバイスがあったが,家庭の事情があり,被曝のリスクを自分なりに理解したうえでの判断であった。
報道機関の中には原発事故で取材を中止し避難したところもあった。中には,原発から近いが線量の低いいわき市からより高い福島市へ避難したなどの笑えない話もあったという。また,危険度の高い地域には社員ではなくフリーランスが多く取材に入っているという。しかし,放射線に対しそれだけの恐怖心をもった報道機関が行った報道は,なぜか住民の被曝を最小限にする方向に向かうことはなかった。事故後,「ただちに」影響はないとする政府の発表のみを報道し続けた結果,福島市では学校のクラブ活動や地域スポーツクラブの練習が通常通り,線量の高い時期に戸外で行われることもあった。また,原発から30km圏外でも線量の高い地域のあることが民間や地方自治体の調査で分かってきたが飯舘村など一部を除き報道されず,福島県のより詳細な汚染状況の報道は福島県が4月上旬に学校の線量を公表するまでなかった。報道機関が情報を知らせれば住民,とりわけ子供の被曝量を低くすることは十分に可能であったはずなのにそれを行なわず,結果として被曝を増やすことになったと言えよう。チェルノブイリの事故の際ソ連政府は事故を隠し被爆者を増やしたが,今回の原子炉事故に関する日本の報道も,事故後の被曝量を減らすという点では,大差がなかったと言えるのではないか。なお,週刊誌では被曝の危険性を指摘する報道もあったが,福島市では被災による店の休業,営業している店でも3月下旬まで配本が停止されていたため,初期の段階でこれらの情報が伝わることはなかった。