ナチ時代のBertelsmann社  佐藤隆司 (2010年4月 春季研究発表会)

■ナチ時代のBertelsmann社
 (2010年4月 春季研究発表会)

 佐藤隆司

 Bertelsmann社は現在世界でも屈指のメデイア・コンツエルンの一つであるが,1835年にNordrhein-Westfalen州のGuterslohという小さな町に,Carl Bertelsmann(1791-1850)が神学書を中心とする小さな出版社を作ったのが始まりである。Carlの息子Heinrich Bertelsmann(1827-1889)の娘婿のJohannes Mohn(1856-1930)が社を引き継ぎ,以後Mohn家の色彩が強くなる。1971年Bertelsmann社は株式会社に改組され,中規模の家族企業から近代的コンツエルン企業へと変わっている。本稿はナチ時代の同社の動きをみながら,大変動期の出版人の一つ姿を見ることを目的とする。
 2002年に「第三帝国時代のBertelsmann」“Bertelsmann im Dritten Reich / hrsg.  von Paul Friedlander, Nobert Frei, Trutz Rendorff und Reinhard Wittmann”という800ページにわたる大部の本が同社から出されている。これはいわば社史であるが,同社が4人の歴史家に委託し,社内の何処に入るのも自由,編集には口を出さない,という条件の下資料を収集し纏め上げたもので,学問的に十分価値あるものと見ることが出来る。別のところで報告したことであるが(2009年出版学会,同年日本科学史学会),百科事典の老舗として有名なBrockhaus社や,自然科学,医学方面の権威ある出版社であるSpringer社が同じように立派な社史を出しているが,これらもドイツ歴史学アカデミズムの強さが出版史のうえに現れている例として見てよいのではないかと考える。本稿はそのBertelsmann社の本を主要資料としてみていくことにする。
 Johannes Mohnの息子Heinrich Mohn(1885-1955)がBetelsmann社の4代目社長となるが,彼の時代はドイツの大変動の時代である。彼はこの時代を,出版人として,キリスト教徒として,企業家としていかに生きていったであろうか。
 終戦後間もない1947年に,彼は同社の著作者の一人である,Hans Grimm(1875-1959)
あての手紙の中で,「私がただの商人とのみみなされるなら,私はこの職業を選ばなかったであろう。私は,人は宗教的,学問的,文学的作品を商人の精神のみから出版できないと信じる。私はドイツ出版史の中に幾つかの模範があることを知っている」と書いているが,これから見ると彼は志あるドイツ出版人の系譜の人と見られそうである。しかし,激動の時代の彼の動きは複雑である。
 彼は自らを告白教会に属するキリスト教徒であるとしている。ここではおよそといういいかたでしかいえないが,ドイツプロテスタント教会ではナチに同調する動きもあった。そのような中で告白教会はナチに対して抵抗的であったとされる。戦後Guterslohはイギリス占領地区になるが,彼は駐留軍当局に対して自分は告白教会の一員であったと弁明している。しかし,彼が戦時中かなりナチに協力的であった事例がかなり沢山あるのが見られのである。
 ドイツプロテスタントの中に,ドイツ民族精神をキリスト教的世界観とあわせようとする動きが割合広くあったが,彼もそうした一員でもあった。
 出版活動の中で,「民族伝道」“Volksmission”という合言葉(いうまでもなく,Volks,
その形容詞volkischはほとんどナチ用語である)のもと,“Volksmissionarische Hefte”という小冊子シリーズを出した。値段を低く設定したためかなり普及したのだが,そのシリーズの目的は,悪い思想からの防衛のための質素な手助けというものであり,伝統的ドイツプロテスタンテイズムがもつ,反マルクス主義,反ボルシェヴィズムを持っていた。それはナチの宣伝と近い。
 このシリーズや戦地向けの読み物などにより,戦時中にもかかわず売上げをのばしている。その利益をもとに紙を買い上げ,オランダにストックしていた。戦時中はもとより,戦後も出版各社が紙不足に悩んでいるとき,Bertelsmann社は余裕を持つことが出来た。
 また,ナチの色々な活動,ヒットラーユーゲント活動などのためにかなりの金額を寄付して,ナチとの関係を良いものにしている。
 冒頭に述べたように,Bertalsmann社は今日巨大企業となっているが,その成功のいきさつ,理由についてはあらためて適切な資料によりながら解析していかねばならないが,Heinrich Mohnの上手な生き方をみると,同社の成功の基はすでにここにもあったのではないかとも推察される。