AI時代の翻訳出版
――現在そしてこれから
司会者:
安部由紀子
(北九州市立大学准教授、日本出版学会理事)
問題提起者:
山田優(立教大学教授、株式会社翻訳ラボ)
討論者(翻訳者):
高橋聡(個人翻訳者、日本翻訳連盟副会長)
討論者(編集者):
冨田健太郎
(株式会社扶桑社第三編集局カスタム&翻訳出版編集部(兼海外翻訳担当))
本ワークショップは、ChatGPTをはじめとする生成AIの活用が様々な分野で広がり、AI翻訳の技術も向上する中、翻訳出版業界にどのような影響や可能性があるのか、現在の立ち居位置を探り、示唆を得るために企画された。研究者の山田氏、翻訳者の高橋氏、編集者の冨田氏を迎え、それぞれの立場から、ご発表、討議いただいた。
問題提起概要
山田氏は1)AI翻訳の精度向上および実用例、2)翻訳・出版業界への影響、3)AI翻訳時代に翻訳者や編集者が身につけるべきスキルの観点から問題提起をした。精度面では、AI翻訳の大規模言語モデルでは、プロンプト(指示文)を駆使することで、正確性、流暢性に加え、固有の文体、翻訳者の癖にも対応する点について言及し、村上春樹訳を学んだAI翻訳の訳出事例を紹介した。
出版翻訳において、AI翻訳の導入はそこまで進んでいないものの、今後、翻訳の文体チェックやポスト・エディット(校閲)等でAIツールの活用が拡大し、(人間の代替として)フル活用の可能性があるとした。また日英翻訳の量的対応が間に合わず、海賊版が出回る日本の漫画などにおいては、事業者によるAI翻訳の活用や、読者が自分でAI翻訳をして読む可能性についても言及した。
他方、AI翻訳があればなんでもできるというのは誤解で、AI翻訳時代に翻訳者や編集者が「ことばの専門家」として果たす役割についても触れた。
討論概要
高橋氏は、AI翻訳を巡り関係者の議論がかみ合わない現状を共有した。守秘義務等の制約で実際はAI翻訳を活用できない翻訳者、AI翻訳のプラス面ばかりを謳うソリューション・プロバイダー、価格競争のためにAI翻訳の活用を望む翻訳会社など、立ち位置が異なる。翻訳者によるAI翻訳の評価も、翻訳対象や活用スキルに応じて分かれるとした。
翻訳では、文芸翻訳のように原文の意図を解釈しながら訳出する「一点物」翻訳、産業翻訳の大部分を占める、誰がやっても均一の訳出が求められる「量産型」翻訳があり、翻訳の種類や目的によってAI翻訳活用の可能性が変わると指摘した。AI時代に、翻訳者の仕事の「淘汰と変化は必ず起こる(起こりつつある)」とし、生活の糧として翻訳物をつくることを目的とするか、翻訳行為を楽しむことに重きを置くのかによって向き合い方も異なるため「意識的に自分の道を選択していくしかない」とした。
冨田氏は、翻訳出版編集では、海外との書籍データのやりとりや、電子出版などでICTの恩恵は受けてはいるものの、翻訳、編集、校正、デザインなどのプロセスでは「経験と知識と技術があるプロと信頼関係のもと仕事をしている。生成AIは、ほぼ使われていない」とした。翻訳本の企画採用有無を決めるために本の概要を和訳する「リーディング」で、ノンフィクションでは活用しているが、フィクションでは著者の細かいニュアンスの理解も必要で、AIの判断だけでは「難しい」とした。現状、生成AIの文字数制限や自由度の高い翻訳への対応能力の課題があるが、今後、企画立案のためのデータ分析、翻訳者選定、校正、パブリシティの文書作成などでは活用の可能性はあるのではないかとした。
最後に、海外の出版社の契約書において、生成AIに作品を読ませることを禁止する条項が含まれる例なども紹介した。
AI翻訳の課題と展望
後半では、冨田氏が少なくとも文芸においては「翻訳という創造的な過程をAIが行なって、読書の質が保てるか」と疑問を投げかけた。山田氏は「生成AIを使うことで、人間が想定しない予想外の創造性が生まれる可能性」について言及した。
英語、中国語が(単語リストなど豊富なリソースが利用できる)高リソース言語で、それ以外は低リソース言語である現況についても討議。山田氏は「AI翻訳において、英日よりも日英の方が優れている。英語にすることでマーケットが大きくなり、研究の厚みも増していく」と指摘した。日本語からの翻訳本を海外で販売する冨田氏も賛同し、「英語圏に売れば、それがヨーロッパ言語に翻訳される。そこで壁になるのが日英翻訳。かなりのお金がかかるところをなんとか突破していかなくてはいけない。機械を使うことで変化が生まれるだろうか」と投げかけた。
高橋氏は、英語教育の側面から、TOEICほぼ満点レベルともいわれるAI翻訳の訳質確認を誰ができるのかと問題を提起した。山田氏は、大学院の英語レベルでもなかなか難しいが、AI翻訳の間違いを正す「Bad Model」から、AIが出す良い表現を学ぶ「Good Model」で英語学習に生かせればと応答し、「留学先で誰かが使っている良い表現を模倣するようなものではないか」と説明した。高橋氏は、AI翻訳時代、これから参入する翻訳者育成の難しさについて共有した。
会場からはAI翻訳が利用する言語が増殖し、コーパスの傾向が変わる懸念、最上質な翻訳ではなく、意味が分かれば良いという量産的な翻訳需要などについて意見が出された。
AI時代の翻訳出版――。社会的に、業界的に統一した見解はないが、本ワークショップを通じて、深みも含めて質を追求する「翻訳」と、量産型の「翻訳」の二側面を考察する機会となった。
(文責:安部由紀子)