近代フランス市民社会成立期における定期刊行物――「ハイブリッドな形態」が意味するもの  平 正人 (2009年5月 春季研究発表会)

■ 近代フランス市民社会成立期における定期刊行物
  ――「ハイブリッドな形態」が意味するもの (2009年5月 春季研究発表会)

 平 正人

 18世紀中頃のフランスでは国王権力が崩壊の兆しを見せ始め,新たな政治基盤として「公共圏」「世論」が出現した。「公共圏」は国家に対する批判的な議論を繰り広げる空間であり,そこでの議論が出版メディアにおいて再現され,それによってフランス国内外に散在する人々の間に生まれる共通理解が「世論」を誕生させる。しかし,革命前夜までの「公共圏」は「ブルジョワ的公共圏」あるいは「文芸的公共圏」であった。それは財産をもち,理性を兼ね備えた教養人によって生みだされる限りにおいて「ブルジョワ的」であり,また出版統制がいまだ幅を利かせていた時代にあって,出版メディアは文芸批判というかたちで意見を交換させていたことから,あくまでも「文芸的」であった。
 J・ハーバーマスが述べているように,フランス革命は「当初は文芸と文化批評に限定されていた公共圏を政治的なものへと突き動かす引き金となった」。市民社会を成立させたと言われる革命において「政治的公共圏」はいかに形成され,革命が宣言した「出版の自由」は出版メディアにどのような影響を及ぼしたのか。本報告では,フランス革命期の「定期刊行物」に着目する。それによって革命期の出版メディアを重層的,立体的に解釈するとともに,「政治的公共圏」と出版メディアの関係を解明する新たな里程標が提示されると考える。
 矢継ぎ早に勃発する事件はフランス革命の速度をより一層加速させた。革命社会に新聞が溢れかえっていたことは,創刊数ならびに発行部数の増加を考慮すれば容易に想像できる。新聞は発行間隔の時間的規則性を有し,号数を継続させ,発行日を明記し,各号の個別販売あるいは定期購読 (そのために必要な連絡先[書籍業者や印刷所などの住所]を明記)という販売形態を設ける出版メディアである。だが,新聞を規則的に,しかも大量に発行するには克服しなければならない大きな問題があった。印刷技術の限界である。18世紀フランスの印刷技術は16世紀のそれと較べてほとんど変化がなく,依然として手作業に頼らざるを得ない情況であったために,革命期に大量の新聞を毎日印刷することは極めて困難な作業であった。
 革命前夜からパンフレットも増加傾向を示していた。それは時事的な問題を取り上げる,即興性に優れた手軽な読み物である。革命の10年間で発行されたパンフレットはおよそ1万2000タイトル以上にものぼり,革命初期(89-92年)だけでも1万タイトルのパンフレットが巷に出回っていた。ところが,革命期には伝統的なパンフレットとは異なる,一見風変わりなパンフレット(本報告ではこれを「定期刊行物」と呼ぶ)が登場する。それは号数や頁数の継続性にともなう発行の連続性を兼ね備え,また配布された一定の号数がのちに一巻に合本され,その際,表紙,扉絵,目次が配布されることから,書物の形態をもつ出版メディアである。
 新聞に似た発行の連続性をもち,またパンフレットのように時事問題を取り上げ,しかも書物としての形態を併せもった,いわゆるハイブリッドな形態を特徴とするこの「定期刊行物」は,革命が生み出した固有な出版メディアであった。具体例を挙げるならば,革命の幕開けとなった全国三部会(1789年5月)を取り上げる定期刊行物は10タイトル,民衆が立ち上がったバスティーユ襲撃(1789年7月)をテーマとする定期刊行物は15タイトル,そして国王をパリに連れ戻したヴェルサイユ事件(1789年10月)に関する定期刊行物は18タイトル発行されている。それらは,社会的関心の高い事件を即座に取り上げることによって事件のインパクトを鮮明に示し,また事件前・事件・事件後という短期間に継続して発行されることで事件の原因と影響を解説・説明するという教育的効果を生み出すと考えられていた。
 フランス革命は,それまで一部の知識人の専有物とされていた出版メディアを不特定多数の読者(=市民)に開放した。新たに登場した「定期刊行物」は,新聞,パンフレット,書物という単純な区分では理解できない当時の出版メディアの実態を浮かび上がらせる。それらのハイブリッドな形態は日々刻々と変化する革命を規則的に報じ,さらには突発的な事件にも瞬時に対応することで,革命に対する共通理解を市民に浸透させようとした期待の現れであり,まさしく市民社会を成立させようとした革命の求めた「かたち」であった。

(初出誌:『出版学会会報125号』2009年1月)