「コレクタブルカードとナショナリズム」竹岡健一(2022年5月14日、春季研究発表会)

コレクタブルカードとナショナリズム
――レームツマの「煙草カード・アルバム」を例として

 竹岡健一
 (鹿児島大学)

 
 商品の販売促進のために図版が印刷されたカードを景品として添えることは、19世紀半ばに始まった。一般にコレクタブルカードやトレーディングカードと呼ばれるものだが、その後日常的な文化の一つへと発展し、中には商業的な役割を越える機能を果たしたものも見られた。本発表では、ドイツの煙草会社レームツマの「煙草カード・アルバム」を主な対象として、先行研究と原典を詳しく考察することにより、コレクタブルカードとそのアルバムという一見取るに足らない印刷媒体がきわめて国家主義的な役割を果たしたことを明らかにした。
 発表では、ドイツにおけるコレクタブルカードの歴史、1920年代末から1930年代前半の国家主義化と軍事化、レームツマの発展とコレクタブルカードのかかわり、同社のナチズムへの接近とその理由などについて概要を跡づけた後、レームツマの「煙草カード・アルバム」の中でも、刊行数が240万部と最も大きな成功を収め、ナチス時代の出版物の中でもトップセラーに属する『アードルフ・ヒトラー 総統の人生の写真』(Adolf Hitler. Bilder aus dem Leben des Fhrers. 1936)を例として、ナチスの政権獲得後に登場したナチス的なコレクタブルカードとアルバムの特色について詳しく考察した。
 本アルバムは、縦横が31×23cm、幅3cmと、一般家庭用の写真アルバムに似た形状であり、ゲッベルスの「序文」以下、「旅行中の総統」など14の章に分けて、ヒトラーに近い人々の文章が掲載され、キャプションと番号で指定された箇所にカードが貼りつけられるようになっている。カードはほぼすべてモノクロの写真で、200枚である。ゲッベルスが強調している通り、本コレクタブルカード・アルバムの目的は、英雄的で近寄り難いという周知のイメージとは異なる、ヒトラーの人間としての魅力を伝えることにあるが、その目的を達成する上で、ヒトラーと様々な人々との出会いとヒトラーのプライベートを示すという、大きく二通りの工夫がなされている。
 このうち、ヒトラーと様々な人々との出会いを示すカードと文章を通じて示されるのは、積極的に国民との触れ合いを求めるヒトラーの姿と、ヒトラーとの出会いを楽しみにする国民の姿である。そこでは、気軽に記念写真を撮り、サインをし、握手をするヒトラーの姿と、ヒトラーに会うために集まり、熱狂的に右手をあげたり握手の手を伸ばしたりする人々の歓喜の表情を通して、ヒトラーの親しみやすい人柄が強調されている。一方、平素国民が触れる機会がほとんどない、ヒトラーのプライベート示すカードと文章は、ヒトラーにも私生活があり、ヒトラーもまた一人の人間なのだということを、人々に強く意識させる。そこでは、ヒトラーにも、穏やかな笑みを浮かべたり、仲間と打ち解けたり、物静かに時を過ごすことがあることや、わざと人を驚かせたりする無邪気な一面があることが際立たされる。他方、思いがけずヒトラーと触れ合う僥倖を得た人々は、言葉も出でないほど驚き、深い感銘を受けるのである。
 このように見たとき、『アードルフ・ヒトラー 総統の人生の写真』においては、カードも文章もそれ自体魅力的だが、カードを眺めながら文章を読む、あるいは文章を読みながらカードを眺めることで、双方の効果がより一層高まることがわかる。両者は互いに補い合って、ヒトラーの身近さ、親密さ、およびプライベートを際立たせるのであり、その意味で、ゲッベルスが意図したヒトラーの人間性を伝えるという目的は、十分に達成されていると言える。すなわち、このアルバムを手にする人々は、一方ではヒトラーもまた自分と同じような普通の人間だと感じ、他方では自分もまたヒトラーと触れ合い、歓喜する人々の仲間でありたいと願う。このような二重の自己同一視によって、アルバムの中には、ヒトラーが先頭に立ちながらも決して距離を置くことがなく、すべての民族同胞が分け隔てなく結びついた「民族共同体」というものが立ち現れてくるのである。
 と同時に、ここでは、コレクタブルカード・アルバムと一般的な写真アルバムの類似性も、大きな役割を果たしていると思われる。つまり、アルバムの中に姿を現わす「民族共同体」というものが、まさに収集者がすべての写真を一枚一枚自分の手で貼りつけることによって形づくられるということである。ここでは、コレクタブルカードを集めてアルバムに貼りつけるというごく日常的な行為が、きわめて政治的な意味合いを帯びる。自宅の居間や書斎といったプライベートな空間でなされる行いが、党大会などの大規模な行事に劣らぬ政治的重要性を獲得するのである。
 このように見たとき、ナチス的なコレクタブルカード・アルバムは、決して商品の付録として片付けられるような、取るに足らない印刷媒体ではない。それは、単なる商業的な役割を越えて、「民族共同体」の形成というきわめて国家主義的な機能を果たしたのである。