【学会賞】
佐藤卓己
『「キング」の時代-国民大衆雑誌の公共性』 (岩波書店)
[審査結果]
1925(大正14)年1月に大日本雄弁会講談社から創刊された『キング』は,日本初の百万部雑誌となり,「国民大衆雑誌」としての地位を築いた.その『キング』は,メディア特性において活字よりはむしろ放送や映画に近い「ラジオ的・トーキー的雑誌」であったというメディア史的視点でとらえ,この雑誌が戦時体制の中で総合雑誌化することによって,「読書の大衆化」と「大衆の国民化」において,どのような役割を果たしたかを分析する.そのことで,従来の「講談社文化」と「岩波文化」の対比論や「日本型ファシズム」論の公式性を批判した本書は,内容分析を主体にした雑誌研究に対してメディア環境における「媒体」そのものを分析するという方法を用いて,大衆獲得によって大衆的公共性を成立させた野間清治と大日本雄弁会講談社の出版活動について,これまで論じられてこなかった問題を浮彫りし,出版研究の新生面を拓いている.メディア史と大衆文化論の研究者による刺激的な出版研究であるが,関連著書や論文の検証のみならず,製紙業から流通広告業まで雑誌メディアの全工程や「読者の声」にも目配りするなど,今後の雑誌研究のあり方も示唆している.
[受賞の言葉]
比較メディア史としての『キング』研究 佐藤卓己
第24回日本出版学会賞を賜り,身に余る光栄です.植田康夫会長はじめ選考委員,会員の皆様に御礼申し上げます.拙著は大日本雄弁会講談社の『キング』を対象とした出版研究ですが,受賞の御連絡を頂いたときには,喜びよりも驚きが先行しました.というのは,拙著が「出版研究」の枠組みを意図的にずらしたものであったからです.つまり,伝統的な出版学的方法-たとえば書誌学的,あるいは計量分析,内容分析的アプローチ-を意識的に避け,比較メディア論の立場から「ラジオ的雑誌」「トーキー的雑誌」のメディア環境に焦点を絞る構成をとったためです.
そうしたアプローチを採用した理論的意図については,拙著の冒頭に書きました.ここではその背景に触れさせていただきたいと思います.そもそも,当時在職していた同志社大学文学部社会学科に創刊号からの『キング』が所蔵されていなければ,拙著は存在しなかったはずです.古書店から一活購入されたのは,出版学会会員でもあった故・山本明先生です.購入時の様子を,当時関西学院大学におられた津金澤聡廣先生から聞いたことがあります.お二人が同時に目を付けた出物に一瞬早く「買った!」と声を挙げられたそうです.カストリ雑誌や伝単などユニークな視点で大きな成果を挙げられた山本先生の病気退職の後,後任として私は同志社大学に着任しました.山本先生が手掛けられていた資料類は,当時まだ新聞学専攻の研究室に積み上げられていました.『キング』『主婦之友』『家の光』掲載の探偵小説,軍事小説,恋愛小説などがジャンルごと膨大にコピーされていました.おそらく,気宇壮大な三大「国民大衆雑誌」研究に着手されていたのだろうと思います.しかし,内容分析を主体とした手法では,対象とできるジャンルも時期も限定されるように感じました.コピーの山を睨みながら,「メディア論を使おう」と決意したときから,私の研究は始まりました.
そのため,原則として「連載小説は初回と最終回しか読まない」など意識的な禁欲を自らに課しました.しかし,実際には『キング』の魅力からでしょうか,禁欲を犯してかなり読んでしまいました.いずれにせよ,こうした意味で拙著は,「国民大衆雑誌」というテーマに魅せられた先学の志を引き継ぐ作品であったと思います.山本先生には御存命中に面識を得ませんでしたが,この場をお借りして心から感謝の意を捧げさせていただきたいと思います.
【奨励賞】
鳥越 信 編
『はじめて学ぶ日本の絵本史I II III』 (ミネルヴァ書房)
[審査結果]
絵本研究は従来本格的研究対象として取り上げられることが少なく,特に絵本史の体系的研究はきわめて稀であった.本書は,絵本史研究者40数名による共同研究の成果で,明治から戦後までの日本の絵本史に取り組んだ初めての本格的な近代日本絵本通史である.第1巻が明治・大正期,第2巻が昭和戦前期,第3巻が戦後期を扱っているが,本書の特徴は,個々の絵本や絵本作家・出版社のみならず,絵雑誌,印刷技術,流通,読者層まで絵本史に関わる全側面を視野に入れ,近代日本の絵本史の全体像を構築している点である.また,絵本史を戦争や言論統制といった社会的要因と関連づけて把握し,さらに,従来注目されてこなかった赤本絵本や赤本出版社をも積極的に取り上げ,絵本史の新たな局面を切り開いている.いわゆる正統的な絵本だけでなく,大衆的な絵本に対しても目を向けるという姿勢は,意欲的であると言ってよいだろう.このように,新たな研究ジャンルを開拓しながら,これまで空白状態だった絵本史研究を前進させた本書を出発点として,絵本史研究が今後活性化していくことが期待される.
[受賞の言葉]
受賞の言葉 鳥越 信
賞と名のつくものは,いつ,どこでもらってもうれしいものです.このたび,思いもかけず日本出版学会の奨励賞をいただいて,とりわけ私がうれしく思ったのは,次の二つの点でした.
一つは,現在日本にはローカルなものも含めて,子どもの本に関する賞が二百近くあるといわれていますが,そのどれにも先がけて,この賞をいただいたということです.しかも二百近くといっても,その殆どは作家・画家を対象としたもので,評論や研究を対象としたものは十指にみたないのが現状ですから,出版研究領域の成果として認められたことは,望外の喜びでした.
もう一つは,「奨励」賞をいただいたことです.おそらく多くの方も同感だと思いますが,奨励賞という名前には,新人賞というひびきがあります.私の知っている限りの奨励賞は,すべて新人賞の意味です.従って私は勝手に新人賞と受けとめ,ひとしおの感銘にひたりました.
事実,私が絵本研究のプロジェクトをはじめてまだ十年に達していません.共同執筆をお願いした方々もすべて同じです.その意味で私たちは新人であり,絵本学という研究領域自体が若いといえます.
本賞の「審査報告」では,歴史の浅い絵本研究の中で始めての絵本通史を編んだことをはじめ,個々の作家・作品だけでなく,印刷技術や流通等の全体像を視野に入れたこと,また絵本の歴史を社会全体の要因と関連づけて把握しようとしたこと,さらに大衆的な赤本絵本なども積極的にとりあげたこと,が評価されていますが,これらは私たちがこの三巻本を通して実現したいと願ったことであり,まさに我が意を得た思いで一杯でした.
今回の受賞を文字通りはげみとして,これからも絵本研究の新たな局面に挑戦したいと考えています.どうもありがとうございました.
【特別賞】
箕輪成男
『パピルスが伝えた文明-ギリシア・ローマの本屋たち』(出版ニュース社)、
『出版学序説』 (日本エディタースクール出版部) など一連の出版研究書
[審査結果]
箕輪成男氏は,これまで,『情報としての出版』『消費としての出版』『歴史としての出版』(以上,弓立社),『「国際コミュニケーション」としての出版』(日本エディタースクール出版部)など,出版について,多様な視点からスポットをあて,出版評論としてではなく,学問的な方法を駆使して分析し論じた本を精力的に刊行してきた.そして,訳書として,ホウズ『大学出版部』(東京大学出版会),トンプソン『出版産業の起源と発達』,ベイリーJr『出版経営入門』(以上,出版同人),フェザー『イギリス出版史』(玉川大学出版部)などがあるが,こうした実績を踏まえて,1997年には,『出版学序説』(日本エディタースクール出版部)を刊行した.本書は,出版学の基本的性格に始まり,出版学と関連諸学,出版学の研究・教育体制や研究動態などにわたって論じ,出版学の方法やあるべき姿を明示し,箕輪氏は,本書によって2002年に上智大学で新聞学博士の学位を得た.また,この年,『パピルスが伝えた文明-ギリシア・ローマの本屋たち』(出版ニュース社)を刊行し,ギリシア・ローマ時代における出版の実態に迫り,出版文化と出版文明について,独白の視座を提示した.このような旺盛な出版研究と執筆活動に対して日本出版学会賞特別賞を授与することにした.
[受賞の言葉]
鳥肌の立つ日 特別賞を受賞して 箕輪成男
挑発的な論説「学になりきれぬ?出版学」を書いてから30年になる.その後一貫して筆者は出版学とは何かという問いにこだわってきた.1997年にはその総決算として『出版学序説』という,まことに古色蒼然たる学問論をまとめた.学問とは本来そういうものだと思い定めながらも,気恥かしいほど古くさい問題意識へのこだわりに,無理やりしめくくりをつけたようなものである.
さて今度は学問的な制約から解放されて,自由な目で出版の歴史を眺めてみようと思って書いたのが『パピルスが伝えた文明』である.独自の知見をちりばめてはあるものの,この本は文体から明らかなように,歴史物語りであって研究論文ではない.
過日植田会長から特別賞の内示を受けて,うっかり受諾の意志を伝えたのは,その意味で迂闊であった.本来学術論文でない物語りに学会賞を頂くことには内心忸怩たるものがある.しかし出版学会賞はいまやその概念が拡大し,評論や記録や物語りやらをふくむものと定義し直されているのも事実だ.また特別賞は「パピルス」のみに対してでなく,「出版学序説」をふくむ一連の業績を対象にされている.いわば永年勤続表彰のようなものと思われ,ついのんきに頂く気になったのである.
しかし授賞式の当日発行された『出版研究』33号を見て愕然とした.筆者の物語りに対して,香内会員の極めて学問的な書評がのっていたからだ.これは予期しないことであった.物語りに対して学問的な書評を依頼したのはどうかと思われたが,ともあれ一読して鳥肌が立った.物語りとしての甘えとはいえ,筆者の論述が,先行研究の博捜においていかに不十分かということが反省されたからである.同時に他方では香内氏の書評が,出版研究がいかに学問的に高度なものであり得るかを示していることに我が意を得た思いであった.
さて同じ会場ではじめて長谷川一会員に会った.先日出版されたばかりという氏の『出版と知のメディア論』を見てふたたび鳥肌が立った.筆者のいう出版学の上位概念であるメディア論のレベルで,学術出版・学術コミュニケーションを斬った,凄い本が現れたからだ.
筆者の『情報としての出版』が出版されてから丁度20年になる.いまはじめて,産業論的範囲に止る筆者の学術出版論を,メディア論の立場から,学問的な形で批判したものがやっと現れたのだ.
いうまでもなく,学問というものは後の世代によって追い越されるのが常道である.だから後続の研究が一向に現れず,反響が聞かれないことに,多年わびしさやら覚束なさを感じてきたのである.そうした中でのこの本の出現は,筆者にとって正に驚喜に値する出来事であった.
さて特別賞を頂いて,人生ひと区切りかと思っているところへ,こんどは小林一博氏の訃報が届いた.
「学になり切れぬ」で筆者が主張したことのひとつは,評論と学問を区別することであった.その際,例として小林さんの評論活動を取上げた.「営業妨害だよ」と笑いつておられた小林さんが,その後出版評論家として,目ざましく活躍されているのを,まぶしく眺めてきたものである.
特別賞受賞の日は,こうして筆者の忘れられない記念日となった.
【特別賞】
森 啓 執筆
『活版印刷技術調査報告書』(青梅市教育委員会)
[審査結果]
明治初期から百余年の間,日本の出版を支えてきた活版印刷技術は,写真植字,オフセット印刷,電算入力によるコールドタイプ印刷にその座を譲った.しかし,日本の出版業に与えた影響ははかり知れないものがあり,なかでも,1995(平成7)年に活版印刷事業を休止した東京都青梅市の(株)精興社の本社工場は高い技術水準によって日本の書籍出版に寄与し続けてきた.この『活版印刷技術調査報告書』は,精興社の活版印刷技術を1997年から3年余をかけて稼動可能な機器道具類を用いて再現した異色の技術調査の記録である.活字鋳造,文選,植字組版,校正鉛版,印刷というラインを正確に保存調査しただけでなく,この工場における専門書の製作を調査研究している.とりわけ,“精興社書体”と呼ばれる印刷書体の変遷を克明に調査記録し,精興社で働いた古老の技術者の聞き取りを行っているのは貴重である.また,1913(大正2)年から1965(昭和40)年までの「精興社が世に送り出した書物」という一覧表も印刷業者による書誌目録として興味深い.この調査は,青梅市教育委員会が同市内で発達した伝統工芸技術を産業考古学の立場を踏まえて記録するという計画の一環として,精興社と明星大学青梅校生活芸術学科が産学共同の形で行った研究成果である.
[受賞の言葉]
「出版学会賞特別賞」を頂いて 森 啓
このたび,『活版印刷技術報告書』の執筆につきまして,「学会賞特別賞」を頂くことになりましたことを,深く感謝いたしております.
この『報告書』は,一般的な「活版印刷技術」となっておりますが,実質は,印刷会社の精興社が,その書籍印刷を主体として成し遂げてきた,「活版印刷」の全貌を,印刷工程の各部にわたって精査し,特に優れたものと評価されてきた「植字組版技術」「精興社書体」の調査を軸に,これら書物を産出した社風の解明を意図した調査研究の『報告書』でした.
その解明のために,1997(平成9)年の夏から3年を越える年月,さらに2年を「生産し世に送り出した書目」の調査に当て,同時に,執筆と図版の制作等に3年の時間を費やして,まとめたものです.
精興社の本社・活版部門がある東京都下の青梅市教育委員会文化財資料室の久保田正寿氏の委託依頼から始まり,調査研究対象の精興社の方々の全面的な賛同と協力がありました.工程全部の作業の復元のために,配置転換されていた方々が,調査の際に復帰し,それぞれの機械を稼動させて頂きました.母型,活字鋳造,文選,植字,校正,紙型・鉛版,印刷の各部門でした.また,古老の聞き書きの場も設定して頂きました.
また,これらの多岐にわたる細部の記録と資料の整理のためには,多くの人手が必要でした.当時,私が勤務いたしておりました,明星大学青梅校日本文化学部生活芸術学科の森ゼミに当たる学生諸君諸嬢の若々しい私心の無い探求心が,何よりの助けでした.
さらにまた,調査の過程で,疲れた私に,無言の励ましと叱責を下し続けたものは,精興社の書棚に整然と並ぶ「印刷所原本」の列でした.それは,戦後の日本の文化が残した,後の世に伝えるべき知識の埋もれた鉱脈であり,露頭でもありました.今回の受賞は,これらの先人達の遺産と,それらの思考を形ある印刷物とした精興社の多くの方々の誠実な仕事振りに,その全てを負うていることを,私は肝に銘じております.