「活字化された個人情報を編む」滝口富夫(2019年11月30日、秋季研究発表会)

「活字化された個人情報を編む」

 滝口富夫(八木書店)

 
はじめに
 近代の文化人の伝記資料として欠かせないものの一つに、書簡があります。書簡には宛先人と差出人の住所が記されていて、消印などの日付が記録されているものが一般的ですが、種々の理由で、それらが分からない事があります。そんなとき、何時何処に誰が住んでいたかが分かれば、伝記研究にとって強力なツールになります。そのような期待から、近代の文芸家をはじめとした文化人の住所に目をむけて資料を収集し、テキスト化し、現在13,000件余のデータが集まりました。その過程で考えた近代における住所という個人情報とメディアとの関係、すなわち
・雑誌や新聞などに文化人の住所がなぜ記載されているのか?
・それはどのような目的のために読者に発信されているのか?
についての発表を行ないました。

個人情報としての住所
 まず、個人の住所が記載されているものは名簿の類です。収集したものを具体的に言うと、『文芸日記』巻末の付録や『朝日年鑑』等には、
  A:氏名 B:住所(電話番号) C:属性、その他
といった記述スタイルのものが掲載されています。
 それとは別に、文芸雑誌に掲載された「現代文士録」などと総称される類のものがあり、その記載のスタイルは
  A:氏名 C:略歴 B:住所
といった型となり、Cの略歴の情報量が多いと住所録と呼ぶのが憚られますが、掲載時点での住所の記録としては不可欠なものです。
 こういったものの他に、新聞雑誌の彙報欄に掲載される転居情報は、原則的にリアルタイムでの「住所変更届」になりますので貴重ですが、必ずしも確定情報ではなく、「転居するとのこと」などという記載も見受けられますので、注意が必要となります。

活字メディアと住所
 私たちの研究チームで集めることが出来た最も古い活字化されたものは『東京現住著作家案内』(桜井徳太郎編輯・博盛堂発売、明治25年4月)です。
 その記述スタイルは
  ○桜痴居士  福地源一郎
     又号 夢の屋
    住所 日本橋区築地一丁目三番地
    著作 もしや双紙(大倉書店)・尊号美談(日報社)・春日局脚本(金港堂)
となり、いわゆるA:氏名・B:住所・C:(著作)と三項目が列記されている名簿タイプといえるでしょう。
 この資料で注目されるのは、冒頭の「例言」です。三点あるうち初めの二つに以下のように記されています。
  例言
  ○当時在京の小説家、翻訳家、狂言作者等、諸家の雅号を五十音順に列叙し住所、寄寓所を記し
音問等の便に供す

  ○著作、翻訳、正本等、有名のもの新聞に維誌に或は巻冊となりて出でたるもの二三乃至四五種を択出し各発行の名所を注し又閲者の便に供す。(傍線筆者)

 「音問(いんもん)」とは「便りを出したり、また来訪すること。書状のこと」の意ですので、文筆家に原稿を依頼するときのツールとして、また、読者から著作家に対するアプローチのためのツールとして、この名簿が企画編集されたのでしょう。明治維新以後、郵便制度の整備が進んだことから出来た企画でしょう。
 明治40年代になると作家のひとりひとりを詳しく紹介するスタイルのものが雑誌に掲載されることが多くなります。
 例えば雑誌『文章世界』の明治40年4月号には「現代文士録」という欄があります。
 人名の配列はいろは順ですので、著名な「岩野泡鳴」の部分を例示します。
  岩野泡鳴 詩人。名は美衛。明治六年一月淡路国洲本町の海岸に生る。専修学校を卒へて後、東北学院に学べり。『泡鳴詩集』『神秘的半獣主義』外数種の著あり。大倉商業学校講師。現住所、赤阪区台町十三番地。

 これは、文壇成立以後、雑誌版元が読者層を広げるために、作家情報を公開するとともに、読者が作家にアプローチするための戦略と考えられます。つまり、作品だけではなく文芸家自身を商品化するための一環だと考えています。

まとめ
 以上のように、活字メディアにおいて発信され続けていた「住所」情報は、近代特有の状況と密接にかかわっていると判断してよいでしょう。
・個人が自由に転居できる状況であったこと
・近代の都市文化形成の過程で作家個人の仕事が増加し、同時に活字メディアも成長していったこと
・人もモノも情報も動く時代に突入したことで、コミュニティーを形成するためには「今、どこに存在しているか」という最新の情報を把握する必要があったこと
・活字メディアに取り上げられる作家は、読者に見られる存在となり、「今、どこに存在しているか」という興味関心をもたれる対象でもあったこと
などが考えられます。

 なお、本発表は、日本大学経済学部グローバル社会文化研究センターの研究プロジェクト「近代日本における人文知移動の動態的研究」の成果の一端であることをお断りさせていただきます。