第43回 日本出版学会賞審査報告
第43回日本出版学会賞の審査は、「出版の学術調査・研究の領域」における著書を対象に、「日本出版学会賞要綱」および「日本出版学会賞審査細則」に基づいて行われた。今回は2021年1月1日から同年12月31日までに刊行・発表された著作を対象に審査を行い、審査委員会は2022年2月11日、3月14日の2回開催された。審査は、出版学会会員からの自薦他薦の候補作と古山悟由会員が作成した出版関係の著作および論文のリストに基づいて行われ、その結果、日本出版学会賞奨励賞2点、同特別賞2点を決定した。
【奨励賞】
的場かおり 著
『プレスの自由と検閲・政治・ジェンダー
――近代ドイツ・ザクセンにおける出版法制の展開』
(大阪大学出版会)
[審査報告]
出版法制史というだけでなく、報道の自由か忖度か、言論の自由か濫用か、という昔から続く課題について、歴史的な経緯を紐解いた法学者による研究書である。19世紀前半にザクセンやフランクフルトで制定された憲法で、言論やプレスの自由が保障されるようになったが、この政治的背景について、政治権力者によるプレスの検閲・介入・利用の過程を丁寧に調査し、当時の自由主義を支えた大学の役割、プレス支援の協会の存在、女性の政治参加とプレスへの投稿など、多角的な分析を試みている。政治的・法律的な視点で書かれているが、出版の歴史を知り、プレスの役割と法制度について考える上で興味深い著書であり、奨励賞に値すると判断した。
[受賞のことば]
的場かおり
このたびは、素晴らしい賞を賜り、誠に光栄に存じます。審査選考をご担当いただいた先生方、日本出版学会のみなさまに、心より御礼申し上げます。また拙著の出版は、多くの先生方によるご指導、そして大阪大学出版会のみなさまのご支援なしには、かないませんでした。この場をお借りして、感謝申し上げます。
研究の出発点は、「なぜ人々は選挙に行かないのだろう」という素朴な疑問でした。私が成人した1990年代後半は、とりわけ若者の投票率の低さ・政治離れが深刻化した時期であり、人々と政治との関わり方や距離に強い関心を抱きました。そこで「政治参加のあり方」を解明するべく、政治参加権、特に選挙権の研究をスタートさせました。しかし選挙権を行使する前提として、人々がどのようにして政治的な事柄にアクセスし、自らの政治的意見を形成するのかという過程に関心をもつようになり、この過程に重要な役割を果たす「プレス」に焦点を当てることにいたしました。
拙著『プレスの自由と検閲・政治・ジェンダー――近代ドイツ・ザクセンにおける出版法制の展開』は、「プレスの自由」の保障が、明治以降の日本にも多大な影響を与えたドイツにおいて、どのように展開してきたのかを明らかにしたものです。日本の憲法には明記されていない「プレスの自由」ですが、ドイツでは19世紀以降各種の憲法で明記されるようになり、現在は基本法5条1項が保障しています。
拙著では、中世より書籍出版業が盛んであったザクセンを主たる考察対象とし、「プレスの自由」を多様な視点から分析しました。これらの分析を通して、人権思想はもとより「公論」議論と結びついて展開する「プレスの自由」論、プレスの自由を制約する検閲法制とその実態、プレス政策から見えてくるドイツ同盟(1815~66年)の多層的な権力メカニズム、そして、プレスを介して女性が政治へ関与することを阻むジェンダー・バイアスとその法制化などを解明することができました。
「プレスの自由」も含めた「表現の自由」vs.「公の安寧・秩序の維持」は古今東西を通じて確認され、普遍的かつアクチュアルな問題です。主権者である私たちにとって「表現の自由」がいかなる意味をもつのかを考え、この自由の動向を注視することは不可欠です。ささやかながら拙著がそのお手伝いをできれば、大変嬉しく存じます。
このたびは本当にありがとうございました!
【奨励賞】
中村督 著
『言論と経営――戦後フランス社会における「知識人の雑誌」』
(名古屋大学出版会)
[審査報告]
フランスのニュース週刊誌『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』の研究で、誌面内容と経営の両面から分析している。戦後フランスで、左派の議論をリードしてきた同誌の歴史的考察は、フランス言論史そのものであり、思想史ともなっている。特に、左派が勝利したミッテラン政権の成立により反権力性を喪失して危機を迎えたという指摘は、極めて興味深いものである。1964年から1995年までの長期にわたる分析を、出版経営に関する一次史料等を丹念におさえ、当事者インタビュー等も交えて、詳細かつ実証的に行っている。雑誌研究の一つの形を示した優れた研究といえるが、今後の発展を期待する意味で、奨励賞がふさわしいと判断した。
[受賞のことば]
中村 督
このたびは第43回日本出版学会賞奨励賞を賜り、大変光栄に存じます。
ご選考くださった本書は、フランスの代表的なニューズマガジン『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』に関する研究の成果をまとめたものです。1964年に創刊されたこの週刊誌は、2014年にその通称を用いるかたちで『ロプス』という名前に変わったものの、今日に至るまで言論誌として不動の地位を維持してきました。その一方で、同誌は、1995年から長いあいだニューズマガジン部門で国内最大販売部数を記録した雑誌でもあり、『レクスプレス』や『ル・ポワン』など商業誌と目される雑誌以上に商業的な成功を経験してきました。こうした点に着目して、本書は、言論誌の可能性を問い直すべく、同誌の歴史を経営面の変化を考慮に入れながら総合的に描くことを課題にしました。
本書は、2012年にフランスの研究機関に提出した博士論文を基にしています。フランス語で書くことには複数のハードルがありましたが、日本語で書いてみるとまた別の多くの困難に直面しました。もちろん、それはまずもって筆者の力不足に帰されるべきものですが、日本とフランスではジャーナリズムの思想や制度が異なることも大きいように思います。訳語を当てるだけでも何度も立ち止まり、結局、新たに勉強し直すことになりました。さらに、2012年以降、『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』に大きな変化が生じ、分析内容の再考を余儀なくされました。上述のように名称が変わっただけでなく、編集陣や経営陣の刷新が起こり、同誌の「顔」であったジャン・ダニエルが亡くなりました。また、情報や通信の技術が発展し、誰もがタブレットを持つようになるなか、デジタル版を購読する人が増え、紙媒体の意義が揺らぐようになりました。本書が方法論として立脚する歴史研究は、たしかに過去を対象としますが、現在の状況を無視することはできません。刻一刻と変化する状況をどのように過去との連続のなかで捉えるかというのは重要な問いであり、本書ではそれに答えられるように試みました。
とはいえ、こうした困難も含めて執筆に向き合うのは愉しい時間でした。とりわけ、原稿が「本」へと少しずつかたちをとっていくプロセスを当事者の一人として目の当たりにできたことは貴著な経験となりました。これまでジャーナリズム史を専門とし、国内外の出版の歴史にも関心を向けてきましたが、今回、単著を出版するにあたって、それが多くの方々のご尽力のうえに成立していることを身をもって知りました。思えば、『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』の歴史も、けっして表舞台には出てこない、それゆえほとんど語られることのない人たちによって築き上げられてきました。今後も、ジャーナリズムの歴史を、それに携わる人びとにスポットライトを当てながら、彼らの意識や実践を踏まえて描き出せるよう努めてまいります。
関係者の皆さま、ご選考くださった方々に心よりお礼申し上げます。また、私を支えてくださる方々にも感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
【特別賞】
東京都古書籍商業協同組合 編
『東京古書組合百年史』
(東京都古書籍商業協同組合)
[審査報告]
2020年に創立100周年を迎えた東京都古書籍商業協同組合の設立100年史である。680ページに及ぶ大著である。前半50年分の通史を鹿島茂氏が執筆し、後半を古書組合の会員が担当・執筆するという体裁をとり、交換会の歴史やインターネット事業なども盛り込んで、古書の豊饒な世界を描き出している。また、『古書月報』の総目次や、組合の略年表、役員名簿、古本屋の分布図など巻末の史料編も非常に充実している。
過去から現在までの古書店の動態や、古書組合の展開は、出版文化の歴史の重要な一面を構成するものといえ、本書の刊行は、出版研究にも寄与するところ大である。よって、特別賞の贈呈がふさわしいと判断した。
[受賞のことば]
東京都古書籍商業協同組合
この度は栄えある賞を賜り、編纂委員はもとより組合員一同、大いなる喜びを感じております。誠にありがとう存じます。
私どもは今回、授賞対象として俎上に載せられたというだけで、充分光栄に感じております。それは古書業界が、広く出版産業という枠組みの中で、一定の役割を持つ存在として認知されていることを意味すると思われるからです。
それゆえこの賞は、本書『東京古書組合百年史』の出来栄えに対してという以上に、当組合の百年に及ぶ活動に対していただいたものと受け止めております。
東京古書組合の、現在の正式名称は東京都古書籍商業協同組合です。その名の通り、中小企業等協同組合法に規定される事業協同組合として活動しております。百年前の組合発足時には、こうした法的な裏付けはありませんでしたが、その理念である「相互扶助」は、連綿として現在まで当組合の基本精神であり続けています。だからこそ、大正9年の東京古書籍商組合の成立をもって、当組合の誕生としているわけです。
本書は組合百年の歴史のうち『東京古書組合五十年史』に続く五十年を中心に取り上げておりますが、この五十年は大きく二つに分けられます。それは基幹事業である交換会(市場)取引が拡大発展をつづけた前半期と、いわゆるバブル経済の崩壊にともない、軌を一にするようにして縮小、停滞に向かった後半期です。
交換会出来高の低下は、広い観点においては日本経済の低迷とともにあったのでしょうし、出版産業という枠内で見れば、メディアの多様化に伴う読書離れが、大きな要因となっているでしょう。
しかし当業界にとりわけ特徴的なのは、古書流通量自体はさほど減少していない(むしろ増加している)にもかかわらず出来高が下がり続けている、つまり古書相場が大きく下落しているという現象です。
その大きな要因は、「古書でしか手に入らないもの」が格段に少なくなったためと思われます。本を情報媒体として捉える限り、今後さらにこの傾向は進むとことでしょう。国会図書館のデジタルアーカイブ化も、それに拍車をかけそうです。
このような現状で私どもが着目するのは、「魅力ある容れ物としての本」です。その点において、出版業界に期待するところ大なるものがあります。過去の出版物の魅力を紹介することはわが業界の重要な役目ですが、そのためにも、今後とも魅力ある出版物が生み出され続けることを願わずにおれません。
古書業界は、出版産業の大いなる恩恵のもとに存続してまいりました。今回の受賞を機に、出版界との共生関係を、さらに強めてまいりたいと望んでおります。
【特別賞】
大宅壮一文庫
(大宅壮一文庫のこれまでの出版研究への貢献に対して)
[審査報告]
公益財団法人大宅壮一文庫は、1971年に設立された団体で、12,700種類、80万冊に及ぶ雑誌を蔵書する専門図書館「大宅壮一文庫」を運営している。メディア関係者だけでなく、多くの出版研究者が資料渉猟の場として訪れている。
記事本文の全文検索ができない時代に編み出された「大宅式分類法」は、雑誌の目次をそのままを入力するのではなく、スタッフが一つ一つの記事を通読してキーワードなどを決めている。これは検索データベース「Web OYA-bunko」として提供され、これもまた、出版研究に大きく寄与している。
ともすれば、入手困難となる雑誌を収集・保存し、直ちに利活用できるように分類、提供してきたことは、大宅壮一の意志を継ぐ関係者の並々ならぬ努力があったからである。創立50周年を機に特別賞をもって顕彰したい。
[受賞のことば]
大宅壮一文庫専務理事 鳥山 輝
このたび思いがけず日本出版学会特別賞を授与される栄誉に浴し 、職員一同大感激しております。「大宅壮一文庫のこれまでの出版研究の貢献に対して」との授賞理由は、出版不況以降、幾多の運営上の苦難に直面しながら地道に業務を続けてきた私どもへの、何にもまさる励ましとなりました。心より感謝申し上げます。
1971年、世田谷区八幡山の大宅邸の雑草文庫と呼んでいた資料室を改造して開館した公益財団法人「大宅壮一文庫」は、大宅壮一がライフワーク「炎は流れる」を執筆する資料として収集した17万冊の雑誌が母胎になっています。大宅は、雑誌はそれぞれの時代に生きた日本人が何を考え、どう行動していたかを本音で伝える最高の資料と看破していました。そこで、すぐ役立つよう記事内容をカードに書き出し、独自の分類法による索引を作成する方式を編み出しました。記事索引データベースによるウエブ検索に変わった今も、文庫職員はこの手間暇がかかる採録作業を引き継いでいます。
マスコミ関係者の利用者が多い大宅文庫ですが、近年は大学や研究団体・教育機関などとの連携に力を入れてきました。80万冊に及ぶ明治以降の所蔵雑誌の多くは、著作権法や費用面での壁もあって電子データ化されておらず、書架には無限のオリジナル記事・情報が眠っています。この秘めたままの雑誌の価値と可能性を、研究や教育、社会の新しいニーズのためにもっと生かしていくのが、大宅文庫の新たな使命ではないかと考えています。
三年前にはメディア史などの研究者らと大宅文庫をつなぐ目的で「雑誌文化研究会」(有馬学会長)を結成し、『大宅文庫解体新書』を刊行。同時に、文庫の全貌を初めて紹介する『所蔵総目録』も刊行しました。また専修大学では昨年から大宅文庫がプロデュースする半年間講座「雑誌ジャーナリズム論」を始めています。東洋美術学校とは大宅文庫所蔵雑誌を活用する産学連携プロジェクトに取り組んでおり、若者たちの斬新なアイデアが注目されるようになりました。
今回の受賞を機に、さらに多くの方々が所蔵雑誌を活用して、ユニークで新鮮な知的生産物を生み出していただきたいと念願しています。大宅文庫もまた、そのための便宜を一層図ってまいります。
いま大宅壮一が生きていたら――今回の受賞を喜んで、こう言うかもしれません。
「雑誌と大宅文庫の値打ちはこんなものじゃないぞ。まだ気づいてない価値がいっぱいあるはずだ」