「近代木版口絵とその二次利用の可能性」 常木佳奈 (2018年5月 春季研究発表会)

近代木版口絵とその二次利用の可能性

常木佳奈
(立命館大学大学院文学研究科・博士課程後期課程/日本学術振興会特別研究員・DC)

 明治20年代前後は,印刷や用紙,製本が急速に近代化した時代であった.こうした流れのなかで仕事が激減した彫師,摺師と木版再興を図ろうとした出版社とが結びつき生まれたのが,木版多色摺口絵(以下,近代木版口絵)である.これらは本の売れ行きを大きく左右する一つの要素であったともいわれ,明治30年代から40年代にかけて,文学書を中心に事典や実用書にまで付せられた.本発表では,版の検討と関連資料の提示をもって口絵が画集や一枚物として〈二次利用〉された可能性があることを指摘し,近代木版口絵の制作実態について再検討の余地があることを示した.

 近代木版口絵の制作については,「常時発行部数が二万部あったといわれる「文芸倶楽部」の場合,手工業で制作される木版口絵を発行日までに二万枚用意しなければならなかった.そのためには同じ絵柄の版のセットを三版も四版も作って手分けして彫り摺りしていた」とされている(山田奈々子『増補改訂 木版口絵総覧』(文生書院,2016)).例として,水野年方「薬玉」(「文芸倶楽部」8(7),明治35,博文館)の同一絵柄を複数枚比較し,版の違いを思わせるような点がいくつか見受けられることを確認した.短期間で数万枚の木版画を準備するために同一絵柄の板木が複数組用意されていたと推察することは,一般的な多色摺木版画の摺刷工程を考慮すれば妥当といえる.

 次に,先の事例と比較して初版の発行部数が格段に少なかったと考えられる単行本口絵であっても,版の違いを疑わせる作品が現存することを指摘した.後藤宙外『思ひざめ』(橋南堂,明治40)に付された鰭崎英朋の口絵について,個人コレクターが所蔵する6点の作品のうち3点には彫師・山脇義久を表す「義久刀」が見られ,残りの3点にはその印がない.また,現在,オンラインデータベース上で確認できる他機関所蔵作品のいずれにも「義久刀」は見受けられない.それぞれの作品を詳細に検討した結果,「義久刀」がある3点にはいずれも中折れがなく単行本に挟まれた形跡がない一方で,そのほかの作品は単行本に付属した状態での所蔵もしくは現時点では一枚物の状態であっても中折れがあることを指摘した.以上を踏まえたうえで,以下の三つの可能性が考えられる.

(A)雑誌口絵と同様,同一絵柄の板木が複数組制作された:一般的な単行本の発行部数と板木制作のコストとの兼ね合いを考慮すると,この可能性は極めて低い.

(B)単行本重版に際して口絵に変更を加えた,あるいは,単行本初版のために摺刷された口絵のなかに何らかの理由で「義久刀」を入れるものと入れないものとが混在した:管見の範囲で『思ひざめ』の重版がないことから,前者であるとは考えにくい.ただし,後者の場合,印の押し忘れなどの理由から,単行本初版のために摺刷された口絵のなかに「義久刀」を入れるものと入れないものとが混在した可能性が残る.

(C)口絵としての役割とは別に,一枚物として配布あるいは販売されるにあたり差別化を図った:管見の範囲で,単行本に付された状態で現存している「思ひざめ」口絵には「義久刀」がない.対して「義久刀」が摺られているものには折れがないもの,つまり,単行本に挿し込まれた形跡がないものを含んでいる.以上から,単行本用の口絵と一枚物の木版画との差別化を図った可能性が高いと結論付けた.

 しかし,「思ひざめ」をめぐるこの指摘には,文献資料などによる裏付けを提示することが現時点では難しい.そこで,『小説挿画集』全3巻(春陽堂,明治30)と『江戸錦』(春陽堂,明治44)の二つの画集を近代木版口絵の二次利用が行われた事例として取り上げ,参考とした.このような二次利用の事例が一般的なものであったか,あるいは,例外的なものであったのかについては,今後,引き続き調査を行う必要がある.ただし,木版口絵付文芸書を多数刊行したことで知られる嵩山堂が廃業する際,美術書の板木の大部分が芸艸堂に引き継がれていくなかで,単純にそちらへ流れていかなかった様子をみても,少なくとも近代木版口絵が一つの美術品として扱われていたと考えることに不都合はないだろう.

 質疑応答の時間には,一組の板木で現実的に摺刷可能な枚数についての質問や,同時代の挿絵をめぐる著作権問題などをも視野に入れるべきという助言を受けた.