山田健太
(専修大学)
出版活動は,法的制約とともに職業上の倫理的・内在的制約を有している。これは,専門的職業人(プロフェッショナル)としてのジャーナリスト(編集者)個人が自律的に行う制約であったり,出版社あるいは出版界,さらには出版活動を事実上支える流通過程における書店や図書館といった,組織・企業・業界が主体となって行使されるものも存在する。一般には自主規制と呼ばれるものが多いといえるだろう。発表では,こうした出版活動に係るプロフェッショナル性に基づく報道・編集倫理を,総じて出版編集倫理と呼び,考察の対象とした。
現在,多くの国で一般的に語られているジャーナリズム倫理の第1は正確性で,真実性とも呼ばれる最も重要なジャーナリズム活動の基本原則である。ただし,記事を発表するにあたり,関連するすべての証拠(エビデンス)を集めきることは,一般には不可能であるし,それすらも時間の経過の中で結論が変わることも少なくない。だからこそここで大切なのは,真実追及の努力であったり,悪意がなく公憤に基づく報道であることだ。ジャーナリスト個人として,あるいは媒体(企業)として,社会正義の実現のために事実(ファクト)を見つける最善の取材を尽くし,隠すことなく可能な限りありのままを伝えようとしたか,ということになる。もちろん,報道にある種の「ストーリー」は必要であるが,それがこじつけであれば「誤報」になる危険性がある。
第2の公正性は,いわば質的公正をさすものであって,ある主張を報道した場合,それに反論する機会を対抗する考えの者に与えることだったり,社会における少数派の考えを拾い上げるという意味合いで用いられてきたものである。そしてまたこの公正さを担保するには当然,独立性が必要であって,編集権が外部から脅かされないとともに,一定の内部的自由が保障されていて,編集者が職場において自由な思考と発言のもとに編集作業にあたれることが大切である。そしてこれは第3の多様性の確保とも関係する。個人として多様な価値観を滋養することは,編集者の資質として求められることであるが,言論の多様性はむしろ出版界全体で維持すべきものであるともいえる。そのためには出版社の社数が担保する多元性の確保と,出版物の流通過程における多様性の確保が重要だ。前者は,様々な出版社が社会的存続可能な制度上の工夫が求められることになり,再販や税制上の優遇措置といった制度上の優遇措置が,出版ビジネスを制度的にサポートしているといえるだろう。一方で後者の多様性を担保するのが,書店と図書館で,書店人や図書館人自らが多様性を確保することともに,利用者である読者に選択多様性を与えることが,職業倫理上求められているといえるだろう。
第4の人道性は,たとえば隣国との関係をことさら悪化させるような出版活動を戒めるものといえる。日本でも2014年以降,中国や韓国のことをことさら悪いイメージで伝える出版物が数多く刊行され,それらは嫌韓嫌中のブームを作った要因とも指摘されている。こうしたいわばキャンペーン的な出版活動は,倫理的に人道性の観点から問題があるのではないか。あるいは,テロはもちろんであるが,戦争をことさらに煽るような出版活動も,同様の理由から倫理上問題になる可能性があるといえるだろう。そこでは当然,国益とは一線を画したジャーナリズム活動が求められることになる。
そしてこれら報道倫理を包括して,高潔性(インテグリティ)と謳われることがある。特に最近,多くの分野で言われる職業倫理を示す言葉である。今日のジャーナリストにおいて,剽窃といった不誠実の極みである言語道断の行為のみならず,透明性の確保としての情報源の明示や引用の仕方も含め,いかに正直に,誠実さを体現するかが求められているからだ。さらにそれは,組織的な見える化の制度作りが求められる時代に入っていることを示している。たとえば,読者の苦情にいかに応え,誤りを迅速かつ丁寧に紙誌面化するかなど,説明責任の具体化も更なる努力が求められている。
こうした条件をクリアした先にあるのが,〈職業としてのジャーナリスト〉であるはずだ。デジタル時代を迎え,インターネットという発表の場を得た市民にとって,誰もが表現者になれる時代がやってきた。それは同時にプロ不要の時代ともいえる。あるいは,全く逆の側面で言えば,誰もが情報キュレーターであり編集者であるとも言えるだろう。そうしたなかで,誇り高きプロフェッショナルとしての使命感に基づくジャーナリズム活動を支えるものとして,編集者個人としても出版社としても倫理規範を改めて確認することが強く要請されているのではないか。