問題提起者: 宮下義樹(洗足学園音楽大学講師)
討論者: 小向太郎(日本大学危機管理学部教授)
司会: 瀧川修吾(日本大学危機管理学部准教授)
今回は、知財法を専門とする宮下義樹を問題提起者に、情報通信法制を専門とする小向太郎を討論者に迎え、政治学者の瀧川修吾が一般ユーザの視点で司会を務めた。当日は、60分弱にわたる発表の後、刻限までの30分程度、参加者たちとの活発な意見交換が行われた。まずは本企画に参加して頂いた方々に、この場を借りて御礼を申し上げたい。以下、その概略を述べる。
まず発表に先立ち、司会者から2016年の夏頃より世情を騒がせているDeNA問題の現況と、編集のノウハウが集積されている日本出版学会で“まとめサイト”問題を扱う意義について説明がなされた。その上で、限られた時間で議論が錯綜することを回避するため、今回はまとめサイトの編集にまつわる法的責任を主題としたい旨、提言された。
問題提起者からは、まとめサイトの特徴が、(1)自らがコンテンツの作成を行わず、(2)集めたコンテンツを何らかの手法・目的でまとめるという二点にあり、これらはサイトごとに運営実態が異なり、コンテンツに問題がある場合も、その作成者が運営者と雇用関係にないようなケースでは、従来の編集責任の枠組みで法的責任を論じることは難しいという見解が示された。
ついで、プロバイダ責任制限法に言及され、まとめサイトの運営者が権利侵害情報の媒介者とされるか、発信者とされるかで法的責任が異なる点、その際、運営者が利益を得て当該情報の拡大を誘引している場合には、発信者とされるという裁判例が紹介された。さらに、著作権法に関しては、カラオケスナックでの顧客の歌唱について、(1)顧客に歌を歌わせる管理性、(2)図利性がある場合、顧客の歌唱であってもスナックが歌唱したものとするとされたカラオケ法理が紹介され、まとめサイトの著作権侵害にも、これを援用できる可能性が示唆された。その他、まとめサイトの広告機能にも触れられ、これが景品表示法や薬機法とも関係する可能性が提示された。
これを受けて討論者からは、媒介者の責任という点で、新聞広告と新聞への投書の違いを例に、介入度合いの高低で責任の問われ方が変化するのではないかという視座が示された。そして、媒介者の責任を明確化するための法制化が進んでいる諸外国の状況が紹介され、日本とEUは、侵害を知り、削除を行えば責任を負わないという点で類似点があるという指摘がなされた。
ついで、アメリカの状況が紹介された。一般的な不法行為については、通信品位法が関与者をパブリッシャ・スピーカ・ディストリビュータに分け、双方向コンピュータサービスの提供者をディストリビュータと位置づけ、仮に侵害情報の存在を知っていてこれを削除せずとも基本的に免責とする。一方で、著作権侵害については権利者団体の影響が強いため、デジタルミレニアム著作権法が、侵害の通知に対して情報の削除と発信者との調整を媒介者に求めている。このような分野による違いについて説明がなされた。
さらに、忘れられる権利についても言及され、ヨーロッパでは検索エンジンに削除を認めた事案があるが、日本ではプライバシー権と検索結果を表示する利益を比較し、前者の利益が優越することが明らかな場合にのみ削除が認められるとして削除を認めなかった事例などが紹介され、総じて媒介者に多くの責任を問うことは、情報流通を阻害する可能性が強いため、媒介者の形態、性質に応じて個別に議論すべきとの見解が示された。
以上の報告を受けてフロアーからは、いわゆるフェイクニュースを配信する“詐欺サイト”がまとめサイトを装っていた事例に関する質問や、掲載記事の信用度を見極めるにはエビデンスのレベル(ピラミッド)を考慮すべきといった意見、問題のある情報を削除し辛いプロバイダ責任制限法の欠陥に関する指摘、さらには権利侵害情報に対処する信頼性確認団体にまつわる議論等がなされた。他にも、オリジナルの情報にどこまで手を加えると、加工者の責任が問われるのかという質問や、特にどういったメディアがこうした問題に巻き込まれないように手厚い法的保護を受けるべきなのかという質問、こうした問題に対し、責任ある態度を言明しているサイトはあるのかといった質問がなされた。
詳報性のみならず、双方向性や速報性にも優れるWebマガジンに雑誌メディアの新たな可能性を見出し、真摯な取組みがなされる一方、営利性ばかりを重視した盗作まがいのサイトが暗躍する状況は、極めて憂慮すべき事態である。多大な労力と時間、これに伴う費用を投じて纏められた良質な情報が、いとも容易く無法に転載され、ジャーナリストが頑張れば頑張る程、コピペサイトを利する状況は、まさしく疎外(Entfremdung)であり、これでは健全なジャーナリズムは駆逐されざるを得まい。向後、こうした問題に対し、果たして法制はどう整備・運用されるべきなのか、実務者と研究者による一層の議論が求められよう。
(文責:瀧川修吾)