「鏡花本の〈装い〉と作品受容に与えた影響」常木佳奈(2017年5月 春季研究発表会)

鏡花本の〈装い〉と作品受容に与えた影響

常木佳奈
(立命館大学大学院文学研究科博士課程後期課程)

 明治・大正期は,整版印刷から活版印刷へ,和装本から洋装本へと,印刷や製本方法の主流が移行した時代であり,我が国の書物史における一つの大きな転換期といえる。文芸書に着目すると,木版多色摺の口絵(以下,木版口絵)や表紙・見返しに意匠を凝らした美麗な単行本・雑誌が多数発行され,とりわけ華やかな時代ともいえよう。こうした時代に執筆活動を行った作家の一人に,泉鏡花がいた。美麗な〈装い〉から〈鏡花本〉と称される単行本には,現代では再現困難といわれるほど贅を尽くしたものが多数みられる。

 先行研究においては,小村雪岱装丁という一般的な鏡花本としてのイメージが確立した後のものに関して十分な蓄積がある一方で,鏡花と雪岱とが結びつく以前や鏡花本全体を取り上げたものは数少ない。以上を踏まえ,本発表は,雪岱装丁本以外をも視野に入れた上で鏡花本の価値を再検討することを目的とし,その装いの変遷について,同時代の文芸出版の動向等を踏まえ考察した。

 鏡花生前の単行本は,その装いの特徴から,木版口絵を付したものが多数発行された時期と表紙・見返しに意匠を凝らした時期とに区分できる。主として前者は明治期,後者は大正期である。

 まず,明治29年(1896)から明治末期までに発行された鏡花本のうち,約3分の2に木版口絵が付けられており,その多くが春陽堂より発行されていることに着目した。同時代の文芸出版においては,木版口絵が付された単行本・雑誌の発行が流行しており,その中心となったのは春陽堂と博文館とである。木版口絵は,当時,出版活動の隅に追いやられていた明治画家たちの活躍の場として文芸書に定着し,同時に,読者にとっては作品を手に取る重要な要素となっていた。しかし,こうした背景のなかでも,橋口五葉とのコラボレーションがよく知られる漱石本のように,春陽堂から発行された文芸書にも木版口絵が付けられない例もある。このように,作家ごとの単行本に特色がみられるのは,作家の装丁観による違いや人的なネットワーク,つまり,作家と装丁を手掛ける画家や出版者との繋がりによるところが大きいと考えられる。以上を踏まえ,明治期鏡花本の特徴は木版口絵にあるとしたが,その要因を(1)当時,木版口絵付書籍の出版に力を入れていた春陽堂と鏡花との結びつきがあったため,(2)幼少期に草双紙に親しんだ鏡花は口絵に対する強い思い入れをもっていたため,(3)日本画家・鏑木清方と鏡花とが結びついたためとした。

 明治末期になると,文芸出版全体として木版口絵付単行本の出版点数が大幅に減少するが,鏡花本についても同様の傾向が見られる。これは,鏡花本の木版口絵を多数手がけた清方が,装丁家としての仕事量減少を理由に,本画へ専念したことが少なからず影響していると考えてよいだろう。

 大正期の鏡花本には,表紙・見返しに意匠を凝らしたものが多く,そのほとんどは雪岱が手掛けたものである。明治40年(1907),画家として当時無名であった雪岱と鏡花が出会い,『日本橋』(千章館,1914)の装丁に抜擢,その仕事ぶりが評価され,以降,鏡花の著作と雪岱の装丁本というコラボレーションによる単行本が多数発行された。随筆のなかで雪岱は,『日本橋』以降,「春陽堂からの物は大抵やらせて頂きました」と述べている。ここから,明治期に清方が手掛けていた春陽堂刊行の鏡花本は,大正期になると雪岱へと引き継がれたことが読み取れる。『星の歌舞伎』(平和出版社,1916)の新刊広告には,「表紙木版手摺二十五度刷極彩密画表紙向島の夜景箱張紫雲花装幀頗美麗」という売り文句が付けられており,出版者が,雪岱の装丁を含めた上で作品を売り出そうとしていた様子が窺われる。雪岱は装画だけでなく,そこに用いる文字にも拘り,鏡花本としてのイメージを確立させた。同時代の文芸出版においては,木版口絵が衰退した一方で,表紙・見返しに意匠を凝らしたものが増加する。鏡花と雪岱との出会いが明治期であったならば,今日知られる鏡花本の装いは存在しえなかった可能性すら考えられるのである。

 以上から,鏡花本は,明治・大正期ともに,同時代の文芸出版の動向と連動した形で形成されたと結論付けた。さらに,清方や雪岱という良き仕事仲間とタイミングよく恵まれたことも,鏡花本の確立に大きく影響していると推察される。

 本発表の最後に,書物の装いは,作品の一部であるという文学的要素,画家の手掛けた芸術作品であるという美術的要素,同時代の印刷・製本技術を垣間見ることができるという出版史的要素といった複数分野の要素を包括したものであるため,多面的なアプローチが必要となることに触れ,その有効な研究手法としてデジタルアーカイブを提案した。同分野のデジタル研究環境基盤整備のために,発表者は現在,データベース構築に取り組んでいる。