原稿用紙の歴史 三村泰一 (2016年5月 春季研究発表会)

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原稿用紙の歴史


三村泰一
(東北大学大学院情報科学研究科博士後期課程)


原稿用紙というもの

 「原稿」と「原稿用紙」という言葉について、明治から現在までの事典・辞書類を見ると、「原稿」の意味にはそれほど変化はないが、「原稿用紙」は、大正半ばまでは「原稿紙」とも呼ばれて「原稿を書く紙」と説明され、必ずしも今日のようなマス目の罫紙としていない。それが、現在では縦横の罫で囲まれた主に400字あるいは200字の用紙を指すようになっている。いつからこのような縦横の罫紙が原稿用紙として定着したのだろうか。
 原稿用紙の歴史に注目した人物に、大岡昇平、鈴木敏夫、松尾靖秋、紀田順一郎などがいる。彼らによって、頼山陽『日本外史』に使われたといわれる罫紙(紙の博物館蔵)、藤原貞幹『好古日録』の原稿用紙(静嘉堂文庫蔵)、また明治以降の文学者の原稿用紙などが紹介された。

罫紙の使用

 漢文を記すときには文字を等間隔で書くという規範意識があった。漢籍は、各丁の行数が等しく、各行の文字数が等しい楷書の印刷が基本である。日本でも、文字・行を揃える筆記には下敷きや罫紙が使用され、江戸中後期には、罫を縦横に引いたものが市販されていたという。
 江戸期の稿本類を調査すると、無罫あるいは縦罫の用紙に書かれているものが大半であるが、中に縦横罫をもつ今日の原稿用紙の形態の資料を見つけることができる。例えば柴野栗山稿本、海保漁村草稿(以上、国立国会図書館蔵)、服部南郭『寐隠弁』(早稲田大学図書館蔵)などである。なお、『寐隠弁』は『好古日録』よりも古い資料と推定される。幕末期には、吉田松陰の松下村塾で使われていた罫紙があり、版木が松陰神社に所蔵されている。
 柴野栗山稿本は、行間罫(ルビ罫)のある今日の原稿用紙の形態に近く、他は行間罫のない「障子」という形であり、いずれも中央に版心(柱)部分がある。つまり今日の原稿用紙の基本的な型が江戸時代すでに成立していた。上記のものを含め、縦横の罫紙は漢学を学ぶ者が漢文を筆記するさいに使っているという共通性がある。ただし、「原稿」を印刷するための下書きであるとするなら、これらの資料がすべてそれに該当するとは言い難い。

明治の思想家たち

 明治2(1870)年の太政官(だいじょうかん)布告によって、官庁文書類の用紙の統一がはかられ、縦罫の入った「界紙」が広まっていった。また、縦横罫の用紙は、幕末期に漢学の教育を受けた学者や久米邦武、中村正直、福沢諭吉など啓蒙思想家たちの原稿として遺されている。そこに書かれている文は漢文ないし漢文訓読体(仮名交じり文)であることが多く、これは江戸期の流れを受け継いでいる。
 なかでも注目したいのは、中村正直と小野梓である。中村正直が翻訳した『西国立志編(自助論)』(1870年刊行)の草稿は数種類あるが、いずれも縦横罫紙に記されている。これは整版印刷で刊行された。
 政治・法律の分野で海外の思想を紹介した小野梓は、出版にも大きな役割を果たしている。明治13(1880)年に脱稿した『民法之骨』草稿、明治18(1885)年脱稿の『国憲汎論』(いずれも個人蔵、国立国会図書館寄託)は、縦横罫の原稿用紙に書かれている。『国憲汎論』の活版印刷所に入稿された完成稿には、各章の1枚目に該当するノンブルが書き込まれ、本文組版の字詰めに合わせて、改行の印が入れられている。その後の原稿整理に近い形が行われていたわけである。

原稿用紙の広がり

 江戸末から明治にかけての時期に、出版と縦横罫の原稿用紙が結びついていった。そして明治20年代には、坪内逍遙、樋口一葉、尾崎紅葉といったいわゆる近代作家の使用に広がっていく。一部の作家は、自ら原稿用紙を刷らせるようになる。明治末に、夏目漱石が朝日新聞の組版に合わせた原稿用紙を作ったことはよく知られている。相馬屋、満寿屋といった文具店でも販売された。ただし明治後半までは、誰もが簡単に手に入れることはできなかったようだ。
 明治20年代の少年向け雑誌の投稿規定を見ると、字詰め行数が指定されているのみである。それが明治40(1907)年『読売新聞』の投稿欄では、400字詰めの「原稿紙」の使用が求められている。読者対象や地域差があるかもしれないが、明治末から大正にかけて原稿用紙が入手しやすくなり、それを使って書くことが当たり前になっていったことがうかがえる。
 縦横罫のある用紙は江戸期から漢文の筆記などに使われており、明治に入って、啓蒙思想家たちによって、漢文訓読体の文章の筆記に使用されるようになった。印刷のために作られたというわけではない。しかし、活版印刷での効率性が認識されて、作家たち、さらに一般人の間でも使われるようになり、原稿用紙といえば縦横罫紙を意味するようになった。
 これまで出版研究では複製過程である印刷が注目されてきたが、そこに至るフォーマット化の技術という点で、原稿用紙の研究は意義があると思われる。