「江戸時代の識字率は世界一」という出版での言説の構成過程 清水一彦 (2016年5月 春季研究発表会)

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「江戸時代の識字率は世界一」という出版での言説の構成過程


清水一彦
(江戸川大学)


 学術的な根拠が弱いにもかかわらず、江戸時代の日本の識字率は世界一といった言説が出版によって流布され、いわば“常識”化し構成されつづけている。本発表ではその機序を考察した。そのさい、出版を学術出版とそれ以外の一般読者向け出版とに大別し、出版にかかわるアクターたちの志向や行為を分析した。その結果、1970年代以降この言説が読者に受容され、一般読者向け出版では積極的に、学術出版では結果としてではあるが消極的に再構成しつづけていることがわかった。
 江戸時代の識字率が高いことになったのは1970年代中葉である。1960年代後半から1970年代にかけて、男子40~50%、女子10~15%という「就学率」が学術出版のなかで発表された。おなじ数値でも、とらえかたで「高く」も「低く」もなる。前田愛などはこの「就学率」の推定値を「識字率」といいかえて引用し、この数字が「低い」という認識をしめしている。だが、1970年代半ばには新聞や一般読者向け出版で「高い」と認識され、ひとり歩きしはじめる。
 1970年代から80年代前半にかけて経済力を背景に日本は自信を高めた。江戸時代の肯定的なブームとあいまって、江戸時代の識字率は明治の近代化を可能にするほど「高い」数字であったとして受容された。識字率を誇ることはナショナリズムもくすぐった。90年代のバブル崩壊後の自信喪失期には、江戸時代の識字率は高かったと再認識することが、日本人としてのアイデンティティの心理的補償となった。2003年を底とする自信は、2013年までには文化的誇りによって回復した。現在の文化が高いのは、江戸時代からの継承であるとされ、高い識字率が前提となる出版の隆盛が文化の高さの例証としてあげられている。
 このように、一般読者がそれぞれの時期の状況に応じて江戸の識字率が「高い」と“ここちよく”認識する背景には、心理的な機序があると考えられる。社会心理学者のウィルソンによれば、適応的無意識のひとつの能力である心理的免疫システムが、良い気分でいたいという欲求を非意識的思考によって満たすことで、この言説は疑われることなく受容される。また、江戸時代の初等教育の普及を強調している高校の教科書もあるなど、学校教育も非意識的にこの言説の受容を容易にしているのだろう。
 江戸時代の識字率は高かったという言説が受け入れている状況では、一般読者向け出版社は、販売がみこめるこの言説に沿った出版物を刊行する。編集者にとっては類似本があれば、出版企画も通しやすい。ライター、評論家、小説家などの著述家は原稿料、著作権料が収入源となる。したがって、「売れる本はいい本」という出版の産業的側面との齟齬は基本的にはすくない。知名度や話題性、権威性があって、編集意図にあう研究者が著者となることもある。読者がナショナリズムに好意的に反応するのなら、そこに市場をみつけてそれに見合ったコンテンツを提供する。
 いっぽう学術出版では主要な著者は研究者である。研究者にとって出版の目的は自己誇示や威信の確立である。研究内容がひろく伝わるかどうかも、経済的な報酬も優先順位が低い。読者の存在も無視されがちである。パブリッシュ・オア・ペリッシュといわれるように、出版すること自体が学術書の目的となりやすい。1970年前後に学術書で発表された数字をマスコミが引用することで江戸時代の識字率が「高い」という言説の端緒がひらかれたにもかかわらず、アカデミズムでは江戸時代の識字率についての議論は低調であった。資料がすくなく研究が困難で学問実績になりにくいと、研究者から敬遠されてきたのだろう。江戸時代の識字率が高いという一般読者向け出版での言説を批判する研究をする研究者がいないのなら、そのような出版は企画されない。結果として一般読者向け出版でどのような言説がなされていても、第三者的な立場で等閑視することになりがちである。
 世間の言説にたいして断片的、散発的に異をとなえる研究者も散見するが、学術出版物のなかの言説では社会的影響力はない。
 店頭もメディアである。しかし、総体としては、出版流通は日本特有の取次主導の配本システムに依存している。少部数・高価格で一般読者の嗜好とずれる学術出版は店頭に置かれにくいという消極的な意味で、書店・取次は、「江戸の識字率が高い」という言説の構成を助けている。
 このように、一般読者向け出版は、一般読者が“ここちよく”受容している「江戸時代の識字率は高かった」という主旨の出版を繰かえすことで、積極的にこの言説を再構成しつづけている。いっぽう学術出版は、一般読者に向けて積極的な批判を発信しないことで、また読者が手にしにくいことで、消極的にではあるがこの言説の構成に加担することになっている。結果として、江戸時代の識字率は高い、さらに世界一であるという言説は、再構成されつづけていく。