《ワークショップ》ジャーナリズムとしての書店業 塚本晴二朗 (2016年5月 春季研究発表会)

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《ワークショップ》
ジャーナリズムとしての書店業――情報の「送り手」にとっての「公平性」とはなにか


 司会者:塚本晴二朗(日本大学法学部)
 問題提起者:福嶋聡(ジュンク堂書店)
 討論者:笹田佳宏(日本民間放送連盟)


 まず問題提起者の福嶋聡氏より以下のような問題提起がなされた。
 昨年秋口、丸善&ジュンク堂書店渋谷店での民主主義フェアに関する問題が議論の的となり、自分は直接の関係者ではなかったが、コメントを求められて話したり書いたりした。また、自分自身ジュンク堂書店難波店で店長として「店長本気の一押し!『NOヘイト!!』」を企画し、多くのクレームや質問を受けた。
 そこで感じたことは、民主主義の危機であった。そもそも直接関係のない民主主義フェアに関するコメントを求められたのは、自分がメディアにとって、重宝な存在だったからであることがわかってきた。つまり多くの人は、このような問題について自分の顔や名前を出して語ろうとしない、ということである。多様な考えのすべてを保障する民主主義は、とてつもなく面倒くさい。共生のためには、気の遠くなるような説得が必要だからだ。しかし、現状はそうした説得を避けようとしているように感じる。そのため自らの正義を振りかざして、相容れない意見を圧殺しようとしたり、逆に攻撃されるのを恐れて、自粛したり自主規制したりする。それはまさに民主主義の危機ではないか。そもそも自分の意見を言うということが、公平や中立であるはずがない。だから議論したり説得するのであって、そうでなければ、民主主義ではない。
 問題提起を受けて、笹田佳宏氏より日本で唯一の言論立法といわれる、放送法に基づいて活動する放送業界の立場から、以下のような指摘があった。
 放送における公平性に関しては、その捉え方が政治状況等により変遷してきた。放送法4条2号「政治的に公平であること」に代表されるような、放送の公平性というのは、放送事業者が自ら守るべき倫理という位置づけであったし、政府も放送番組にたいする検閲・監督等は一切行わないという姿勢であった。それが、1993年の椿発言を一つの切っ掛けとして大きく変化していく。この問題では、郵政省・放送行政局長が「政治的公平は最終的に郵政省が判断する」と答弁した。その後「真実でない報道を行った」とか「報道は事実をまげないですること、という放送法の規定に違反・抵触している」等として行政指導が行われることが恒常化していった。以上のような流れの中で、第2次安倍政権になってからは、第47回衆議院選挙前の2014年11月下旬に、在京キー局の編成局長・報道局長あてに、自民党筆頭副幹事長・報道局長の連名で「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題する文書が送付された。また、高市総務相が「放送番組全体で判断するのではなく、一つの番組でも行政処分は可能」とした。その他、自民党・情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の経営幹部を党本部に呼びつけたり、自民党・文化芸術懇話会で、「マスコミを懲らしめるには、広告収入がなくなるのが一番」等という発言がなされたりした。このような事実をふまえた時、「なぜ放送業界は高市発言や安倍政権からの圧力に正面から抵抗しないのか」という疑問が世間から抱かれても不思議はない。それは「放送業界が萎縮し、政府の意向を忖度しているのではないか」という疑問へと繋がるものである。これは情報の送り手、すなわちジャーナリズム全体としての危機であり、このような状況を打開するためにも、メディアは声を上げていく必要がある。出版業界や書店業界といったプリントメディアは、放送法のような縛りがない分、積極的に声を上げられるのではないか。
 問題提起と指摘を踏まえて、フロアの討論へと移った。書店業界にとって公平に情報を発信するということは、ある一定の意見の書籍は売らないとか棚に並べないとかいうことをしない、ということであって、民主主義フェアというような「意見表明」を一切しないということではない。それは、放送法という規制下にある放送メディアも同様であり、情報を送るということすべてに当てはまることである。議論をしようとしない雰囲気こそが、ジャーナリズムとして一番恐れるべき事ではないか、そんなことが再確認された。
(文責:塚本晴二朗、出席者35名)