雑誌『明星/Myojo』とその読者像の変遷――読者ページの分析を中心に 田島悠来 (2013年5月 春季研究発表会)

雑誌『明星/Myojo』とその読者像の変遷――読者ページの分析を中心に
(2013年5月 春季研究発表会)

田島悠来

はじめに
 本発表は,雑誌『明星/Myojo』(集英社)に着目し,主に読者ページの分析から,その読者像の変遷を辿ることを目的とする。
 雑誌『明星』(現Myojo)は,2012年10月号をもって,創刊から60年を数えた老舗娯楽誌である。創刊以来,競合誌『平凡』(平凡出版,現マガジンハウス)とともに,時代ごとの「スター」や「アイドル」に焦点を当て,70~80年代には最盛期を迎え,集英社や雑誌界を牽引する存在感を示した雑誌であった。また,この時期には,発行部数が常時100万部を突破する等,多くの読者を魅了した。それにもかかわらず,本雑誌は,これまで議論の俎上に乗せられることは少なく,十分な研究,誌面の分析がなされているとは言い難い。また,60年間にも及ぶ雑誌の在り方を,通史的な視点から論じた研究も未だなく,『明星/Myojo』という雑誌が,時代の移り変わりの中で,どのような人たち(読者)から読まれ,どのように変化してきたのか,という問いが残されており,それを探る必要があろう。
 そこで本研究では,『明星/Myojo』60年の歴史(創刊号から2012年まで)を,『明星/Myojo』の沿革を捉えた上で①1950年代~1960年代:黎明期②1970年代~1980年代:黄金期③1990年代以降:転換期という三つの時期に区分し,特に②から③の時期とその変化に焦点を当てた。その際には雑誌後方に存在する読者との交流を意図した読者ページを対象に読者像の移り変わりを紐解いていく。

『明星/Myojo』の沿革
 『明星』は,「夢と希望の娯楽雑誌」というキャッチフレーズで1952(昭和27)年に創刊され,『平凡』が開拓した働く男女の若者たちを読者として取り込みながら「大衆娯楽誌」として人気を博した。
 雑誌のターニングポイントとなったのは1971(昭和46)年であり,写真家の篠山紀信氏を表紙に起用し,同時期に放映開始した『スター誕生』(日本テレビ系列)や多くの歌番組の隆盛により誕生したと考えられる「アイドル」の等身大性にフォーカスした誌面作りで,「アイドル誌」としての最盛期を迎えた。80年代に入ると,本雑誌の人気を受けて後発誌が,同社,他社双方から続々創刊された。
 ライバル誌『平凡』は87年末に休刊し,『明星』も誌名を『Myojo』に変更し,大判化する等,分岐点となったのは90年代に入ってからであり,95年を境に,「ジャニーズ」に特化した「ジャニーズ専門誌」へと変容し,現在に至っている。

読者ページの分析と考察
 『明星/Myojo』には創刊以来20の読者ページが挙げられるが,中でも[ハローヤング]以降のものを黄金期,転換期ごとに分析した。
 その結果,まず,黄金期にあたる70年代の読者ページでは,男女の読者と「アイドル」との交流が展開される様々なコーナーが設置され,特に,読者の投書コーナーでは,読者の同世代間の悩みの共感がなされていた。読者たちは,学校に通い,社会や大人に対する不満を抱えるという連帯意識をコーナーへの投書を通じて募らせていったが,それは,編集者である「明星アニキ」という存在を介して読者同様に学校に通う「アイドル」をも巻き込んで形成されたものであった。
 しかし,80年代に入ると,同時期に社会的な問題と化した「校内暴力・いじめ・登校拒否」などに関するテーマが投書コーナーで頻繁に取り上げられるようになり,読者ページ内は「アイドル」と読者との交流や読者間の議論が行われるというよりは,編集者側からの啓蒙的な思想を植え付ける場へと姿を変えた。
 次に,転換期となる90年代になると,再び読者と「アイドル」が読者ページを通じて交流するコーナーが設けられるようになったが,徐々に男性読者が姿を消し,女性読者を想定した読者ページとなっていった。さらに,2000年代の後半には,読者が好きな「ジャニーズ」と一対一のコミュニケーションをはかる空間としてコーナーが機能するようになっていく。これは,読者と「ジャニーズ」との擬似的な恋愛の場として提示され,「アイドル」と読者との密な交流であると言えるが,他方で,70年代に見られたような読者同士や編集者との縦横のつながりは希薄になっていく。この時期の読者ページは,予め「ジャニーズ」ファンの女子小中高生に限定化された作りとなっており,その他の層は切り捨てられ,自ずと読者ページからの退場を余儀なくされている。

おわりに
 『明星/Myojo』は,半世紀以上もの間,現在に至るまで一定の売り上げ部数を保ちながら興亡目まぐるしい出版界の中で生き残りをはかってきた。それは,以上みてきたように,雑誌としての様を①大衆娯楽誌②アイドル誌③ジャニーズ専門誌へと変えながら,同時に,読者層も誌面作りと連動しながら①働く男女の若者②男女の生徒③女子生徒(そこから「ジャニーズ」ファン)へと変化を遂げ,それが読者ページにおける言説や交流のあり方において表出していた。そうした変化の流れは,他メディア(コンテンツ)や若年層の変容とともに成し遂げられたものであり,『明星/Myojo』の60年は同時に,雑誌メディアの移り変わりの60年を描き出しているのではないかと考えられる。