原著者による版の改定の取り扱いについて――『イデーン』は誰が書いたのか?  信木晴雄 (2009年5月 春季研究発表会)

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■原著者による版の改定の取り扱いについて
 ――『イデーン』は誰が書いたのか? (2009年5月 春季研究発表会)

 信木晴雄

  1913年4月フッサールが中心となって編集した『哲学および現象学的研究のための年報』に公表される以前『イデーン』には1912年の手書き草稿が残されており,これはシューマン版(1976)に「インク書き草稿」と「鉛筆書き草稿」として収められている。それに先立つ1900年から1901年にかけて公刊された『論理学研究』以後,フッサールはハレ大学の講師として講義を続けながら様々な著作計画を立てていたが,どれも不十分なまま頓挫していた。だが1913年に「哲学および現象学的研究のための年報」が発刊されることとなり,そのために「現象学への序論」を企画することになった。そのときから心理学を形相的な仕方で基礎付けるために現象学的還元の方法が考案される。意識現象としてのコギタチオを純粋な仕方で取り出すことが還元と呼ばれる。遮断されるのは具体的な経験世界と心理学的な主観である。これが超越論的な領野に変貌することがフッサールにとって1920年代の中期現象学の課題となる。超越論的な主観としてコギタチオは世界を構成する働きそのものであり,それゆえ非世界性を担うと言える。シューマン版に収められている『イデーン』の草稿は1912年7月に執筆された「インク書き草稿」と呼ばれている。これは第1篇第1章第1節と第2篇第1章第27節に関係している。それは認識の究極的な正当性を問うために物理的な自然の遮断という現象学的な態度が心理学とは区別されるという原理的な論点を超越論的な態度と規定している。1912年9月に書かれた「鉛筆書き草稿」ではコギタチオが現象学的還元を通じて残存することが明言されている。これは第2篇第4章第56~58節に対応しており,コギタチオがすでに世界における客観とは異なった絶対的な領域であるとされる。現象学的還元は世界を遮断する超越論的な構成を第1義的に位置付けることが判明化する反面,コギタチオの具体的な内容に相当する形相を持った心理学からの還元という道も全く違う考え方から要請される。つまり世界からのコギタチオへの通路が確保される必要性がここで問われることになっている。
 ビーメルやシューマンがとりこんだフッサールが行った精密化の作業はこの点に集中している。それは当初のフッサールの考えが展開したというより,別の道を選ばないと行き詰まることが分かったからなのである。ビーメルによる編集作業はフッサールの意図が一つの精密化,改良へと向かっていたという確信に導かれており,それから25年以上たってから更なる書誌学的な研究の成果とともに原型となる草稿類が再び識別されることに伴って今度はシューマンが挫折した過程として改定作業を明らかにすることになった。2種類の全集版の編者には全く別の観点(統一と遡及)に立っていたと言える。
 フッサールが最終的には完全な形では改定を断念したのは全ての細部を訂正(精密化)することが不可能だったからである。改定を断念したことは一面では1913年の初版(『年報』に発表された原稿は別刷りの形で直後に出版されている)を支持したことになるが,他方では別の著作への飛躍に任せる他は不可能なことがらであることが判明したからでもある。また改定の不可能性は『イデーン』の限界が露呈したことによるのではないだろうか。『イデーン』の公刊後,フッサールは1913年から1929年にかけて種々の書き込みを行っているがそれは当初から統一的な改定の意図をもってなされたものではなかった。これは「欄外注記」と呼ばれ,ビーメルによって1950年に全集版には本文の中に組み入れられているが,1976年になってシューマンが新しく編集し直した全集版には再び本文の頁に従いながらA・B・C・Dの四種類の手沢本ごとに明記されている。Dという手沢本は1929年秋に一気に「注記」がなされた最も包括的で統一的な改定の試みになる。それまでの24篇の付録もDへと移し替えられた。「欄外注記」もDの中に転記されている。この「欄外注記」は『イデーン』の特定の箇所に集中している。それは第2篇第2章に相当する。1920年代終わり頃のテーマは現象学的心理学と超越論的現象学との差異を際立たせることであった。第32・33・34節への書き込みは主として初期の『イデーン』では潜在していたがそれほど重要視線されていなかった「心理学の問題」に関わるものである。さらに1929年に加えられた12篇の「挿入付録」には心理学と超越論的主観性,コギタチオによる学問との並行関係を明らかにするものであった。この時期に成立したのが「ギブソン用書類群」なのである。「手沢本」に見られる「欄外注記」はフッサールによると自らによると超越論的観念論への精密化への途上(取捨選択も含み)として一義的に解釈されることが相応しいだろう。フッサールはギブソンの「英訳」(1931)に先立ち,自著の全面的な改定を最初は志すのだが,それがあまりにも全面的な改変に及ぶことと時間的なリミットがきてしまい,ギブソンあての書簡で書きなおしは断念することと,その代わりに『イデーン』のための最終的な弁明を用意することを述べている。
 コギタチオの特徴は世界に依存していないという無世界性であり,それはまた還元によって導き出されるとき絶対的な領域となる。フッサールは世界を捨象してもなお残るコギタチオという意識生や主観性のありかたが心理学上の革新を導き出すことも改めて主張している。「超越論的革新のうちに心理学的革新が含まれている。」とフッサールは幾分苦しい言い訳をしている。イデーンはフッサールによって書かれた主著であるが,その意図は単一なものと言えるだろうか。最も広いテーマである「理性の現象学」には真理が明証的な体験からみちびきだされており,それは『論理学研究』の「第6研究」にまでさかのぼると著者自身から明言されている。だがこれまで見てきたようにひとりの著者による精密化には別の著書への飛躍への可能性が次第に濃厚になってくる場合もあり,それが原著の自然で無理のない限定的な解釈を歪める危険性を伴うことにもなると結論される。

(初出誌:『出版学会会報125号』2009年10月)