キリスト教用語の変遷とキリスト教受容  佐藤隆司 (2008年5月 春季研究発表会) 

キリスト教用語の変遷とキリスト教受容の2~3の例からみた
 
わが国文化の一側面 (会報122号 2008年10月)

   佐藤隆司

 わが国では,例えばカトリック修道会の「イエズス会」や「ドミニコ会」を「~派」とすることが多かった。「イエズス会」は原語では“Societas”であり,「ドミニコ会」は“Ordo”であり,「派」の意味は無い。阿部謹也氏は日本には社会がないという意味のことをいっているが,そのこととも関係するが,カトリック修道会を「派」ととらえてしまうのは,日本的心性からみたとらえかたであり,誤訳といってよかろう。 明治以降,中高校の教科書,百科事典におけるキリスト教用語の変遷を調べてみた。調査対象とした用語で見るかぎり,およそ正しく入るようになるのは,1950年代からである。上智大学の関係者がこれらの執筆者などに加わったこともその大きな理由として考えられる。 次に,プロテスタント系の『キリスト教大事典』(教文館発行)とカトリック系の『カトリック大辞典』(冨山房発行)の,図書館における設置状況を東京都,茨城県の公共図書館の場合で調べてみた。東京都では50館のうち前者を33館が,後者を24館が所有していた。茨城県では前者を11館が所有しているのに対し,後者は11館だけである。前者が大型ではあるが,1巻ものであるのに対し,後者は5 巻ものであるという差があるとしても,日本では,一般的にキリスト教はプロテスタントの方が受け入れられていると見てよいように思われる。 次に,幕末に来航したアメリカの使節,19タウンゼント・ハリス,大正期の民本主義者吉野作造,現在のある財界人の家族に見られるキリスト教理解の姿を見ることにする。 ハリスは談判の相手となった老中堀田正睦に,かって来日したポルトガル,イスパニアの宣教師たちは文明の遅れた国の人達であり,彼らの宗教は旧教,われわれアメリカ人は文明国のものであり,われらは新教を信ずるものであるという。 吉野作造は大正12年,『中央公論』に「羅馬法王庁使節交換問題に就いて」という論文を出し,仏教界神道界に強くあるローマ使節受け入れ反対論に対し,これを受け入れることを弁護するが,個人的にはかなりの反ローマ感情をもっていると称する。よく知られているように彼は組合主義教会の信者である。プロテスタント知識人の典型的姿といってよいであろう。 現在のある財界人家族(東京山の手の典型的中産教養階層とみることができ,極めてまじめなプロテスタント信者である)に,カトリックというとそんな遅れた宗教という感覚が率直なところあるのがわかった。 この3例で見るごとく,わが国では一般的に,プロテスタント:文明国の宗教,カトリック:遅れた国の宗教という見方があるといってよいようと思われる。 宗教戦争は絶対にすべきではない。キリスト教受け入れの何らかのギャップがあるとみて,それを埋める良質な出版物の出現を静かに期待することが文明国のとるべき姿であろう。 第2 ヴァチカン公会議でカトリック教会は大いに姿を変えた。一方歴史学の進展などにより,例えばしばしばつまずきの石であった「ガリレオ」問題が明らかにされるようになった。このような宗教界,学問の変化を受け入れつつ,『新カトリック大辞典』(研究社発行)が出されつつある。ギャップを埋めるものの1つとして期待したい。
(初出誌:『出版学会・会報122号』2008年10月)

なお,「春季研究発表会詳細報告」(pdf)がご覧になれます。

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