東アジア的ディスクールとしての「活版印刷史」から  湯川史郎  (2008年5月 春季研究発表会) 

東アジア的ディスクールとしての「活版印刷史」
  比較メディア史的観点から  (会報122号 2008年10月)

  湯川史郎

 「活版印刷史」というディスクールを,比較メディア史的観点から整理・検証し,東アジアの印刷メディアの変動を反映するものとして論じた。
 現在「活版印刷史」は特定の型に基づき記述されている。その型は,まず11世紀中国の膠泥製の印による「活板」から説き始め,これが13世紀以降の高麗の銅活字へと展開したとする。これを「金属鋳造活字」の祖とし,「活版印刷術」を朝鮮起源とする説は,現在よく見かけるものである。
そしてこれが,確たる根拠はないものの,15世紀中葉ドイツでグーテンベルクが発明した「タイポグラフィ」(東アジア起源の印刷メディアとの混同を避けるためこう記述する)に結びついたとする。
 このように「中国-朝鮮-ヨーロッパ」という線的連なりを設定し,現在のいわゆる「活版印刷」もしくは「活字メディア」が形作られてきたとするのが,最も一般的な歴史記述である。問題は,このディスクールが「活版印刷」という同一物を,それが指し示す諸メディアが歴史的連続性を共有していないにもかかわらず,一つの歴史記20述対象として構築することによって成立しているという点である。その非歴史性の理解のために,存在論的なレベル,つまりモノとしてのレベルから各印刷メディアを比較検証した。
 「タイポグラフィ」の核にあるのは,「西洋式金属活字」などと呼ばれる鉛合金製の「タイプ」である。それは15世紀に発明されて以来4 世紀ほどのあいだ,「父型,母型,手鋳込み機」という反復使用可能な道具の組み合わせによってのみ製造可能だった工業的量産品である。この定義に厳密に従うなら,「タイプ」は,中国の「膠泥活字」,朝鮮の砂型鋳造「銅活字」あるいは日本の「木活字」とは全く異なる。東アジアの印刷メディアは,粘土や木材や金属など多様な素材で作られており,「印刷可能な文字形を持つ部品を組み合わせて板木(版)を作り印刷する」という緩やかなコンセプトを共有し,先行する木版メディアを基に生み出されたものであった。
 各印刷メディアの比較によって明らかなのは,東アジアの「活板」とヨーロッパの「タイポグラフィ」とは,全く異なる進化系統に属し,両者は一本のメディア史の上に直線的には配置できないということだ。このことからは,「活版印刷史」という史的ディスクールがその根底に非歴史的側面を持つということが明らかになる。
 この「活版印刷史」の非歴史性は,東アジアにおける19 世紀以降の「タイポグラフィ」導入によるメディア環境の変容の反映だと考えられる。今日用いられている「活版」あるいは「活字」という概念の普及は,1860年代に「タイポグラフィ」が導入され,文字生産の主要メディアとして普及してからである。そのとき,「活板」という既存の概念が,「板」から「版」へと文字表記をずらされ,「タイポグラフィ」という全く別のメディアを指す概念として(再)利用された。「活板」と「タイポグラフィ」とは一つの概念「活版」へと吸収されたのである。そしてこの「活版」をメディア認識の基本カテゴリーとして内面化し,それをアナクロニズム的に歴史へと投影することによって,「活版印刷史」いう非歴史性を内包するディスクールの(再)生産・受容が可能になったのである。

(初出誌:『出版学会・会報122号』2008年10月)

なお, 「春季研究発表会詳細報告」(pdf)がご覧になれます。

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