《ワークショップ》 学術書のアクセシビリティ――手話翻訳動画,テキストデータ提供の実践から (2019年5月11日 春季研究発表会)

《ワークショップ》 学術書のアクセシビリティ――手話翻訳動画,テキストデータ提供の実践から

司会者・問題提起者:
  植村 要 (立命館大学人間科学研究所)

討論者:
  羽田野真帆 (常葉大学健康プロデュース学部)
  高橋 淳 (生活書院)
  木下 衆 (早稲田大学人間科学学術院)
  東 知史 (世界思想社編集部)

1.テーマ設定の意図
 本ワークショップは学術書を対象に,電子化によってアクセシビリティを確保するための方法と,解決すべき課題について,二組の著者と編集者と共に議論した。ワークショップ前半は登壇者からのプレゼンテーションを行い,後半はフロア参加者と共にディスカッションをおこなった。
 最初に司会の植村から,テーマ設定の意図を説明した。近年,プリント・ディスアビリティの人たちに対する書籍アクセシビリティを確保するための方法として,多くの場合で電子化が採用されている。その前提には,電子書籍・電子図書館・電子教材等として,様々なサービスが展開されているように,情報の多くが電子化されて流通するという状況がある。
 この1年ほどの間に,学術書のアクセシビリティを考える上で興味深い取り組みをした書籍が2冊,出版された。2018年3月に生活書院から刊行された羽田野真帆・照山絢子・松波めぐみの各氏編による『障害のある先生たち――「障害」と「教員」が交錯する場所で』と,2019年2月に世界思想社から刊行された木下衆氏による『家族はなぜ介護してしまうのか――認知症の社会学』である。前者は,視覚障害者等を対象に本文のテキストデータを提供するとともに,ろう者を対象に日本手話に翻訳して,その動画を提供した。後者は,電子書籍版をアクセシビリティの観点からEPUBリフローで刊行するとともに,視覚障害者等を対象に本文のテキストデータを提供した。
 本ワークショップは,電子化によるアクセシビリティの確保という方法について多面的に検討するために,登壇者は,2冊のそれぞれの著者と編集者という二組と,視覚障害がある司会者の5名によって議論を進めた。

2.プレゼンテーション
 まず木下氏から「アクセシビリティ保障が(まだ)価値になる時代に」と題して,博士論文にもとづいた著書を出版する際,テキストデータ引換券を添付した経緯が報告された。木下氏には,視覚障害がある研究者の友人がいた。その友人が印刷資料を読むにはテキストデータ化しなければならないため,研究会で論文を読もうとしても,他のメンバーと同じタイミングで読むことができないという問題に直面してきた。木下氏は,学術論文のオンライン公開が進む状況において,有料の学術書を出版することの意義は何かと考え,本だからこそ付加できるものの一つとしてアクセシビリティに注目した。
 同書の編集者である東氏から,「『家族はなぜ介護してしまうのか』のデータ提供と電子化――出版社の立場から」と題して,出版社においてテキストデータ提供までに直面した課題が報告された。視覚障害者等へのアクセシビリティについては電子書籍で対応する目論見だったが,それだけでは不十分であることが判明し,テキストデータを提供することにした。出版社としてはアクセシビリティを高めて,幅広い読者に良書を届けたいという思いと,テキストデータの抽出・確認にかかるコストや流出の懸念との間でジレンマがあるという。
 次に羽田野氏から「書籍の手話翻訳について」と題して,本を手話に翻訳し,動画を提供するまでの経緯が報告された。きっかけはろう者の友人から,手話版があればろう者も読むと思うと言われたことだった。手話は日本語とは異なる言語のため,目は見えているが日本語の文章の読解が苦手なろう者もいるからだ。羽田野氏は,同書の元になった調査対象者にはろう者が含まれていたことから,手話翻訳には手話コミュニティへの研究成果の還元と,検証可能性の確保という意義があったとふり返っている。
 最後に同書の版元である高橋氏から,テキストデータと手話翻訳動画提供の課題が報告された。生活書院は,創業当初から全ての本にテキストデータ引換券を付けている。テキストデータ提供における著者との合意形成において問題は発生していない。また,提供したテキストデータの流出による被害は,現状確認できる限りでは発生していない。コストについては,テキストデータ化の作業について内製化してしまっているのでわからないが,今回の手話翻訳動画は,当初予想していた以上にコストがかかった。実現できたのは偶然が重なった面があるので,今後,恒常的に行うための体制作りが課題だ。

3.注目ポイント
 本ワークショップの注目を喚起したい点は,会場における情報についてもアクセシビリティの確保を実施したことである。通例,ワークショップなどでは,登壇者の資料が印刷・配布されてスクリーンに投影され,登壇者の発言はマイクとスピーカを通して会場に流される。こうした形で実施するワークショップは,一定以上の視力と聴力を有することを事実上の参加条件にしている。
 そこで,本ワークショップでは,聴覚障害・視覚障害・その他のある方に対する情報保障を実施した。会場では東京都手話通訳等派遣センターの協力によって,登壇者の発言を手話通訳・PC要約筆記した。配布資料・投影資料についてはデータでの提供を実施した。これらの実施に当たっては手続き上のやむを得ない都合から,事前に大会事務局まで申し出ていただくことにした。
 アクセシビリティをテーマとするのであれば,こうした場の構成にも注意する必要がある。そして,ここから広げて,全ての場がアクセシブルになるように取り組んでいく必要があるだろう。