《ワークショップ》 新しい「コミュニケーションの流れ」研究の方法論を考える――雑誌とネット世論の繋がりの探り方を求めて (2018年5月 春季研究発表会)

《ワークショップ》
 新しい「コミュニケーションの流れ」研究の方法論を考える
 ――雑誌とネット世論の繋がりの探り方を求めて

司会者: 塚本晴二朗 (日本大学)
問題提起者: 笹田佳宏 (日本大学)
討論者: 茨木正治 (東京情報大学)

 これまでに得られた知見を踏まえた課題(問題提起)
 これまでの研究で,以下のような知見を得た.内閣府の「外交に関する世論調査」では,アメリカやロシア,中国などとは異なり日本人の韓国に対する感情は,良い感情と悪い感情が年によって大きく変化している.感情が大きく変化した年に日韓間で起こった事象を照らし合わせてみると,ソウルオリンピックや日韓ワールドカップ開催年は,良い感情が高くなっている.一方,従軍慰安婦問題や竹島問題がクローズアップされた年は悪い感情が高くなる,という傾向がみられる.以上のことから,「新聞報道が客観的であっても日韓に横たわる問題は,それ自体が報道されることにより,日本人の韓国への評価・感情を悪くする.国民の中に嫌韓感が高まる」との仮説を導きだした.
 メディア・送り手・受け手の「極化」の相互連関を実証研究にどのように位置づけるかがまず問われる.中国・韓国への好悪感情の変動を説明する要因として,文化的な違いを語るのであれば,「文化」を構成する集団と,「極化」作用に関わるとされる組織や集団とを照合させることが求められる.ここに意思決定過程ならびに政策決定過程の要素(アクター)の考察を取り入れることが可能ではないか.さらに,時代ごとに,「極化」に関する要素や制度の「内容」に変化がみられることに注意すべきである.たとえば,90年代と2010年代の間に,日本では政治改革・行政改革・司法改革が行われ,特に政府執行部の権力が増加した.このことは言い換えれば,90年代と2010年代の日本政府といっても対外政策への国内対応に限定してみれば,その影響力は異なっている.メディア組織においてもまた同様である.インターネットメディアの登場と発達はマスメディアに認知・態度・行動のすべてにわたって影響を与えた.その影響を丹念に見ていく必要がある.

 討論者は問題提起を受けて,具体的な方法論について考察する.
 方法論における課題は,以下のようになろう.
 基準点とした新聞報道自体に「極化」の可能性はないか.この問いについては,記事の「極化」について,内容分析のカテゴリーを単語・文節レベルに微細化した考察が必要となろう.評定者が嫌悪感情を起こしたか否かから,どの表現がどの程度の嫌悪を生み出したかに踏み込んだ分析方法が求められる.記事の文章をテキストデータとして定量的に解析するテキストマイニングの手法も考慮されてよいだろう.次に,分析対象を記事情報から図表や写真といった図像情報にまで拡張する必要がある.この拡張は,テレビ映像やWeb情報の動画がもつ「極化」の検証につなげることを目的としている.画像・映像の視覚情報には質的研究の性質が強い.内容分析による量的研究からどこまで知見を導けるかが鍵となろう.最後に,インターネットメディアに代表される相互発信のメディアの「極化」現象の考察が求められる.このようなWebメディアの「極化」をどのように測定するかを探ったのち,このメディアによる「極化」が,週刊誌や新聞,テレビ放送といったマスメディアとどのように関わり合って「増幅」(あるいは「減少」)していくのか,そして最終的にどのようにネット世論と関わっていくのかを捉える必要があろう.
 「極化」現象を意思決定過程の文脈でとらえることは,多様な意見の頻出という段階では「多事総論」の機会を与え,「有益な」結論(決定)を生み出すといったプラスの面を想定することもできる.また,前述した「文化」概念の再検討に加えて,集団における成員の包摂と排斥,擬制も含めた「集団内多様性」(variety)と「集団外多様性」(diversity)の問題から異文化接触や他者感覚の構築,さらなる共存の問題を考える契機にもなりうる.

 フロアからは以下のような発言があった.
 意見を出す主体,インフルエンサーに注目すべきではないか.
 メディアの流れだけでなく,受容者の考え方を捉える必要があるのではないか.
 必ずしも,受容者はメディアの流れ通りに,情報を受け取っていないのではないか.
 ワークショップにふさわしい活発な議論が交わされた.
 参加者22名

(文責:塚本晴二朗)