日本近代女性スポーツ黎明期以前における女性体育の思想 中川裕美 (2014年11月 秋季研究発表会)

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日本近代女性スポーツ黎明期以前における女性体育の思想
――『女学雑誌』を手がかりに


中川裕美
(愛知淑徳大学 教務補助)

 オリンピックやワールドカップといった国際大会で活躍する女性アスリートは年々増加し,「女性がスポーツをする」ということはすでに一般化している。ところが,本格的な女子競技者の登場は大正期以降であり,日清・日露戦争以後国家の統制下で身体を鍛えることが責務とされていた男性(男子)と比べると,大きく遅れをとっていたのである。
 何故女性(女子)はスポーツをする存在とされなかったのか。そして,いつ,どのようにして女性(女子)とスポーツは結びつけられていったのか。
 このような問題意識から,本研究では明治時代に焦点を当て,女性(女子)がスポーツを否定されていた理由や,スポーツをする身体として「発見」されていった過程について,当時のメディア言説から明らかにすることを目指すものである。
 今回発表するのは,1885(明治18)年に創刊された『女学雑誌』(女学雑誌社)の分析に関する部分である。分析結果は以下の通りである。
 『女学雑誌』が発行されていた明治中期頃においては,女性がスポーツをすることは全く一般化されておらず,「男子の体育は既に多少世人の注目する処」であるのに対し,「女子の体育と言うことは丸で打棄てある様」(M20/5/7号「女子の体育」)であった。このような状況を支えたのは,女子が体育を学ぶと性格がお転婆になるという通説であったと考えられる。「歩兵操練に左も似たる体操を行ふときに於ては,女性の優美最早悉く滅絶し,綿羊忽ち化して荒熊と為れるほどに感ずるなり。」(M23/6/21号「多数女学校目下の欠点」),「女子に体操を為さするは宜しからず,体操は女徳を傷つけ,其優美なる処ろを打破す」(M23/6/28号「多数女学校目下の欠点(中)」)といった論稿は,そうした考えを持つ者が一定以上いたことの証左であろう。
 こうした女子の体育を否定する意見に対して,『女学雑誌』では様々な角度からの反論が掲載された。第一には,健康な身体を作るために運動が必要だという主張である。第二には,「徳育・知育・体育」という三育は「寸時も離れず平行して参らねば」ならず,「中一つを欠きたらんには真の教育とは」言えない(M20/9/10号「女子の三育」),とするような,精神は肉体を助けるためにあるのではなく,肉体が精神を助けるためにあるのだとする主張である。
 以上のような意見では,あくまでも「健康」が個人の身体という側面からのみ語られているが,女子体育がひいては国家のためにつながっていく,という論稿も掲載されている。
 「人種を改良せんには婦人の体育を必要とす」(M20/10/22号)では,冒頭から「人種を改良するには婦人の体育が必要であります」と論じられ,日本人と西洋人との体格差を克服するには,「日本に在る人種で父母となる人の摂生を子供の内から好くして其人が子を育てる様になれば健康な子供が生れるに違ひなからう」と続けられていく。そして,「若し御婦人方にして強からば,其子孫は悉く丈夫で,即ち日本人民は悉く強兵となります。(中略)一寸坊主と成るが嫌なれば,先ず女を丈夫にせよ。富国強兵にしたければ,先ず女を強くせよ。」「丈夫なる女」(M21/5/26号)と強い論調で主張されていた。
 こうした意見の背景にあるのは,体格の差が人種・民族の力の差に繋がると捉え,欧米と肩を並べるためには,女子の身体も改良する必要がある,といった考えであり,国家全体の価値観の変化に沿ったものであったと考えられる。
 女子の体育に関しては,これまで述べてきたような総論的な議論とは別に,個々の種目に関する記事の変化も見られる。
 初期の頃には,ヨーロッパに倣ったと思われる乗馬や舞踏といった種目が盛んに取り上げられていた。ところが,明治23年頃を境に,圧倒的な頻度で「薙刀」が取り上げられるようになっていく。薙刀術で有名な女性を取り上げ,理想的な女性として紹介するだけでなく,武道が及ぼす精神的な影響が重要視されるようになっていく。さらにその傾向が強くなるのは,明治30年代に入ってからである。「体育の手の着け所は有形の身体であるが,其及ぼすところは無形の心に迄で届かねばならず,又,翻がへって,無形の心から,身体に及ぼし来り,心を以て躰を鍛錬修養する工夫に落ねばならぬ。」(M32/10/10号「古の武育,今の体育 女子体育論を評す」)といったような論稿は,健康を得るために身体を鍛える,というそれまでの主張とは明らかに異なっているのである。
 女性の体育をめぐる初期の段階の言説とその変化は,以上述べて来たとおりである。最後に挙げた,明治20年代後半から起こる「西欧型の体育から武道へ」という大きな変化の事情とその背景については,今後の研究課題としたい。