デジタル・テキストが深める研究者の「読み」 鈴木親彦 (2013年10月 秋季研究発表会)

デジタル・テキストが深める研究者の「読み」
――Digital Humanitiesプロジェクトの実践事例から

鈴木親彦
(東京大学人文社会系研究科博士課程)

1.デジタルによる読みの変化
 デジタル環境における読書とそれがもたらす変化については,多様なレベルで語られている。そして,この問題はより専門的な研究利用に引き付けて考える必要もある。デジタル化されたテキストは,研究者がテキストを「どう読みどう扱うか」という点でも変化をもたらす。これは発表者の様にテキストと向き合うことを生業としてきた人文学研究者にとっては特に重要となる。
 この点で人文学において最先端を行く領域の一つがDigital Humanities(以下DH)である。本発表では,発表者の関わっているDHプロジェクト事例を示すことで,変化の正の側面を確認していく。

2.DHの諸事例
 DHの先駆けは,ロベルト・ブーサ(Roberto Busa,1931-2011)による取り組みである。彼は1949年にIBMと協力し,トマス・アクィナスのレキシコンをデジタル環境で作成し始めた。この様に,人文学資料をデジタル化し保存・共有しようという動きは今日も続けられており,基本的なルールはTEI(Text Encoding Initiative)ガイドラインとしてまとめられている。
 TEIを使ってどのようなプロジェクトが行われているのかを示すことは,DHがいかなるものであるかを示す良い例になる。現在Proust PrototypeとしてWeb上に公表されているプルーストの自筆原稿デジタル化プロジェクトでは,原稿画像の上にほぼ同じレイアウトで書き起こしたデジタル・テキストが表示される。表示システム以上に,ソースがTEIガイドラインに従ったXMLで記述されており,他研究者にも確認可能であると言う点が重要である。
 また,資料の読み方と研究の姿勢を変化させている例として,「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」が挙げられる。このプロジェクトは人文学資料として利用できるデジタル代替物を作るのみでなく,「個々の独立性を尊重した研究プロジェクト間の連携の実現」も意図されている。
 DHコミュニティーがこれらの研究を支えている。基本にあるのは欧米のDH研究団体が2005年に結成した,ADHO(Alliance of Digital Humanities Organizations)である。ADHOは地理,文化,言語的境界を克服して研究を支えることも目的としており,アジア太平洋地域の諸学会とも協力関係を築きつつある。日本においても,立命館大学が21世紀COEプログラムの成果を引き継いでいち早く研究・教育を開始している。また東京大学では,2012年よりDHの大学院横断型のプログラムを始めた。研究機関を越えた動きとして,学会にあたるJADH(Japanese Association for Digital Humanities)も設立されている。

3.プロジェクト「文化資源学の射程」
 発表者が参加している研究プロジェクト「文化資源学の射程」もDH的な変化の例ということができる。2000年に文化資源学研究専攻が東京大学大学院に設置されて以来,文化資源学としての研究成果は蓄積され,「文化資源」も人口に膾炙してきている。しかし,これがどのような学問分野であるかについて正面から問う研究は行われていない。
 プロジェクトでは,文化資源学という学問分野を伝統的な人文学の手法ではなく情報学との協力によって分析している。具体的には専攻によって認定された修士論文の要旨と参考文献を,執筆者の許可の範囲でデジタル・データベース化し,分析することで,分野の射程を把握しようと試みてきた。
 特に要旨データベースについては,自然言語処理による特徴語の抽出,および特徴語を基にしたクラスタリングによって構造を見出すことを試みている。東京大学「知の構造化センター」と協力,テキスト解析ソフトMIMA Searchを利用することで,人文学研究者にも直感的に把握しやすい解析及び可視化を実現し,解析結果については発表者も含む人文学研究者が解釈を行っている。
 発表の主目的ではないので,分析結果は紹介にとどめるが,専攻設立当初に重視されていた「ことば」と「かたち」そのものの研究よりも,むしろそれを補助する役割として設定されていたマネジメント的研究の方が多くの成果を残していると言う事が見えてきている。またマネジメント的研究は既にそれだけで一定の研究傾向を作る程度まで成熟しているが,「ことば・かたち」の研究はそれほど強い結びつきがなく,これから方向性を作り出す段階にあると言う事も示された。

4.結論
 デジタル・テキストは三つの点で人文学研究者の読みを深めているという事ができる。情報学をツールとして利用することで従来の読みを支え深める点,孤立しがちであった個々の研究をつなげるプラットフォームとしてより深い研究を生み出す点,そして従来の精読とは違った傾向やデータ構造という部分を詳細に見るという新たな深みを与えた点である。
 DHが普及することによって,人文学におけるデジタル・テキストの利用はさらに活発に深いものになっていき,国際的・学際的共同研究もさらに増加する。世界に多くの日本研究者が存在する中で,研究に提供できる形でデジタル化された研究素材は,日本国内にとどまらず全世界の研究者を顧客とするチャンスも生じてくる。

※発表資料はhttps://sites.google.com/site/bunteku2013/home/others/03で公開している。