南京大虐殺の紀念館を訪れて  諸橋泰樹

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■南京大虐殺の紀念館を訪れて

 諸橋泰樹

 国際出版研究フォーラムの開催場所が南京と聞いて,これは南京大虐殺紀念館(中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)に是非行かねばと思っていた。国際フォーラム2日目の昼休み,山田健太・長谷川一両会員と脱け出して,見学することができた。
 この10年近く,平和に関する発言を増やしてくる中,国内外の平和祈念館や軍事記念館,軍事基地などを意識的に訪れ,見るよう努めてきた。本郷の東大前にある小さな「わだつみ記念館」,リトルボーイ,ファットマンに載せたことが何気なく記されているテニアン島の「原爆搭載の地」,軒を連ねた民家に当時そのままの間取りが残っているアムステルダムの「アンネ・フランクの家」,ソウル郊外の,日本軍によって戦時性奴隷にされたオモニ(ばあちゃん)たちが共同して住む「ナヌムの家」と「歴史館」,ポーランドの「ワルシャワ蜂起」のモニュメント。みなそれぞれが,展示する図像の選び方,遺品の配置,解説,ライティング,空間,モニュメントや庭園アプローチ,それらをおおう建物などに,一貫したコンセプト(主張と編集意図とデザイン)をもって,訪れる人びとに対し「意味」を発信している。ミュージアム施設は,すぐれて出版と一緒だ。
 中でも特に,「人道に対する罪」をなした相手国のことを許さない・忘れないための施設は,「悲惨さ」と「恐怖」,「悲しみ」と「憎しみ」をあおる演出=編集が施されがちである。そしてそれは当然のことでもある。これまで観た施設の中で圧倒されたのは,韓国の「独立記念館」で展示されている日本兵による朝鮮人への拷問シーンや,沖縄の「沖縄県平和祈念資料館」でのガマに隠れ棲む人びとの悲惨な姿など,等身大人形によるジオラマである。前者は,日本人であることにいたたまれなくなり,後者は本土人であることがいたたまれなくなる。
 一方,ナチスによるユダヤ人大虐殺跡地の一つ,「アウシュビッツ」として知られるポーランドの「国立オシフィエンチム博物館(アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所)」は,そういったジオラマを全くといっていいほど用いず,ひたすら膨大な髪の毛,メガネ,チクロンBの空き缶,靴,トランクなどを“展示”し,“几帳面”なナチスの捕虜資料の数かずが,観る者を圧倒する。「編集作業」を施さず,むしろ“生の素材”に語らせるドキュメンタリーのようである。
 「日本人」であることの緊張感をもって臨んだ(山田さん・長谷川さんも同様であったろう)南京大虐殺紀念館は,「30000(虐殺された30万人)」という数字をそこかしこに表象しつつ,韓国の独立記念館や沖縄の平和祈念館と,アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所との中間に位置するような展示方法だったように感じられた。もちろん,日本軍によって虐殺された死体写真,「100人斬り競争」の新聞など,「暴力」を告発し糾弾する数多くの資料はある。しかし別館には,出て来た白骨がそのまま“展示”されている「“万人坑”遺址」のように“生”のものを差し出しただけのものもある。
 そして,そういった中で眼を引いたのが,会場の吹き抜けに大きく掲げられていた,「前事不忘 后事之師」という文字だった。前事を忘れず後事の師とする,つまり過去の過ちを忘れずその教訓を今後に生かす,というこのことばに「寛大さ」を感じた日本人は少なくあるまい。「日本人」であることの加害性を未来永劫引き受けつつ,これからの中日関係を「編集」してゆくことの重要性を,改めて感じさせられたのである。