李鐘國先生とArt and Science  箕輪成男 (会報126号 2010年1月)

■ 李鐘國先生とArt and Science (会報126号 2010年1月)

 箕輪成男

 李鐘國先生について筆者は自分より一世代ほども若い人というイメージを抱いて参りましたが,その李鐘國先生がすでに御定年に達せられたと聞いて,時の経過の早いことに,今さらながら驚いています。
 筆者はいうまでもなく,日本の出版学会の多くの諸君が,先生の御指導・御支援を頂いて今日に至りました。日韓中を中心としたアジア諸国の出版研究の発展に対する韓国出版学会会長としての先生の御貢献に,心から感謝申し上げる次第です。
 さて文集刊行委員会からの御要請がございましたので,お応えすべく過日李鐘國先生から頂いた大著『出版研究と出版評説』を取り出しましたが,残念なことに引用文献以外の本文はすべてハングル文字で書かれています。2003年に著者は「南涯安春根先生の出版学」という論文を日本出版学会誌「出版研究」34号に寄稿いたしました。ハングルで弱ったのは同じですが,安先生の場合,先生の御著書・論文は漢字・ハングルの混じりであったので,今回よりはるかによく安先生の学問を理解することができました。今回は本当に参りました。わかるのは引用文献の漢字と英文だけです。しかし幸いなことに,鐘國先生の引用されたハングル以外の文献のほとんどすべてを筆者は架蔵し読んでいますので,先生がどのような文脈でそれらを引用されたのかを概ね推察することはできました。といっても全くの推察です。
 先生はたびたびハーブ・ベイリーの「The Art and Science of Book Publishing」を引用しておられます。実は筆者はこの本の日本語訳を今から30年以上も前,1976年に出版同人から上梓しているのです。
 この本は誠に出色の本で,これまでに書かれた出版関連の書物の中で,最も重要な意味を持つものと信じています。この本は我々が出版とか出版研究を論ずる時,前提となる基本的認識を問うているからです。
 ベイリーは出版を一方で理論的・計量的に把握しうるscienceの部分と,主観的判断に委ねられるartの部分の混合した仕事であると考えています。その上で可能な限りscience―合理性の部分を追求する試みを彼の著書でしているわけです。例えば彼は重版の印刷を,いつどれだけの部数ですべきか,といった極めて具体的な例を,数式を使って論じますが,別に特定の数式を正解として主張しているわけではなく,そうした合理的な考え方もあるが,実際には環境・文脈の無限の多様性の中での決定は出版者の直観的な勘によってなされることを承知しているわけです。
 彼はこの本を出版経営の指導書として書いたのではなく,出版にはartとscienceの両面があり,従来余りに多くartの面が論じられてきたのに対し,scienceが不在だったから,科学的合理主義の目でみれば,こんな風にも考えられるよというほどの本です。このart and scienceのartは日本語に表現することがむずかしいので,この本の最大のテーマであるartとscienceの対立という思想を生かすために,原書にない「その合理性と非合理性」という副題を付け,主題を『出版経営入門』としました。しかしこの本が経営指導書でないことを考えると,この表題は適当でなかったように思います。
 日本語訳でこの副題をつけたのは,art and scienceということばから,西欧人なら即座にその意味を敏感に覚るのに対し,日本人にはそれがむずかしいからです。artを芸術と訳すわけにはいきません。あえて訳せば「人文学的接近」とでもなりましょうか。「人文科学」ではなく,もろもろの事象に対する,科学を超える文学的接近ということになります。
 artとscienceの対立の意味を西欧人がたちどころに感得できるのは,彼らがギリシア・ローマ以来の数千年を,いつもギリシア哲学と一神教という対立軸を通して考え抜いてきているからでしょう。そうした伝統を持たないアジアの人々は科学と人文学(非科学)との対比の意味を敏感には理解できないのでしょう。この本の最も重要な主張はそうした科学と人文学(非科学)の対立軸で出版を考えることですが,日本の読者には十分に感得されなかったように思われます。その意味で李鐘國先生がどのような形でこの本を引用されておられるのかに大変興味をひかれました。
 ひとつ参考になる事実は,『出版研究と出版評説』140頁で対比された日韓中3国における出版学の英文呼称です。
 中国は我々のいう出版学に対しredactologyを当て編輯学としています。すなわち中国で出版とは編輯を意味し,製作・流通は発行と呼ばれているわけです。これは中国の古い文明伝統の中で,出版される本のコンテンツこそすべてであるという考えが定着しているのでしょう。しかしそれは結構ですが,一方で出版学の英文名をscience of editorshipとしているのは疑問です。もっとも中国語では科学とは「分科の学問」というほどの意味であって近代西洋科学を意味しないのであれば,これもOKです。ただその中国編輯学は筆者からみると,科学的というより極めて実務的・技術的であるのが興味深く思われます。
 さてアジアの伝統の中にある日本と韓国も科学を「分科の学」の意味で捉えることが多いようで,artとscienceの区別は西欧人のように明確でないのが事実と思われます。日本出版学会では出版研究は近代科学的方法のみでなく,伝統的人文学的研究を併せるものとの認識で出版学をpublishing  studiesとしています。140頁の表で,日本で出版学がeditologyと訳されているとなっていますが誤りです。かつて日本でeditorologyが使われたこともありますが,現在では「publishing  studies」と定めています。
 さて韓国ではどうでしょうか。publishing scienceとされていますが,この場合も「近代科学+分科の学」の意味でしょうか。それとも純粋に近代科学的研究を指向されているのでしょうか。例えばベイリーの本を韓国語訳したら,表題はどうなるのでしょうか。空理空論をもて遊ぶようでお叱りをこうむるかもしれませんが,「出版」を研究するにつけて等閑に付すことのできない意味をもつと思います。李鐘國先生の御意見をハングルのため読めないのが残念です。

(日本出版学会 名誉会長)
(「李鐘國教授定年記念文集」寄稿原稿を筆者の厚意により転載)