ちくま文庫に収められた現代国語の参考書 星野 渉 (会報136号 2014年1月)

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リレーエッセイ:思い出の教科書・思い出の本[3]

ちくま文庫に収められた現代国語の参考書

星野 渉


 山川出版社が,歴史や地理など高校生向け社会科の教科書を一般向けに刊行する「もういちど読む」シリーズは,累計で80万部を突破し,数研出版もコラボして物理や数学の教科書を刊行している。ある程度専門的な内容を,高校生が理解できるように作られた教科書は,その分野について知識を得ようとする人にとっては適切な入門書になるだろうし,かつてその教科書で学んだ世代が,改めて手に取るという需要もあるのだろう。
 広報委員会からテーマをいただいて思い当たったのは,そのように現在,一般向けの文庫として復刊されている高田瑞穂『新釈現代文』(ちくま学芸文庫)である。1959年に新塔社から刊行されたこの参考書は,1964年生まれである私の世代にはあまり縁がないのだが,高校3年生の現代国語の授業で出会った。
 少し上の世代の方々にはご存じの方も多いと思うが,『新釈現代文』は刊行から20年以上にわたって現代文の定番参考書だったという名著である。高校生の当時,私はそんなことは知らずに,教員に指定されるがままにこの参考書を購入したのだが,小中高校を通じて,最も印象に残っている教科書(参考書ではあるが,授業ではほぼ同書に沿って授業が行われた)がこの本である。
 それは,この教科書と授業によって,初めて国語が論理を学ぶ科目だと知ったからである。高校生にもなって何をいまさら,かもしれないが,それまでの私は,「国語」に対して,文章に込められた情感を読み取ったり,自身の感情を文章で表現することが求められる,どちらかというと曖昧な内容という印象を抱いていた。
 それに対して『新釈現代文』は,文章を論理として解析し,設問に答えていくという姿勢が貫かれていた。この本をテキストに採用した中野博之先生は,スパルタで知られた元旧制中学校の国語科の教員で,質問に答えられない生徒や,答えを間違えた生徒を次々に怒鳴りつける今では考えられないような指導法だったが,先生への恐れとも相まって,授業の具体的内容はほとんど覚えていないが,文章とは論理なのだということを徹底的にたたき込まれたという思いが残っている。
 もちろん,論理が文章表現の全てではないだろうが,少なくとも義務教育や,今やその範疇と言っても良いであろう高校教育においては,まずこのことを教えるのが大切だと,今になって改めて思う。
 この経験がその後の自分の生き方にどのような影響を及ぼしているのかは分からないが,少なくとも出版という営みの中に身を置くようになる一つのきっかけになっていたのではないかと,今回,同書を再び手に取ってみて思った次第である。