幸福な読書体験は人生を幸福にする 諸橋泰樹 (会報135号 2013年8月)

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リレーエッセイ:思い出の教科書・思い出の本[2]

幸福な読書体験は人生を幸福にする

諸橋泰樹


 毎日新聞の2013年版「読書世論調査」(2012年調査)によると,「人生を変えた読書体験」を持つ人は18%,そのうちの34%が10代に経験したと回答している。また,「人生を変えた読書体験」の中身の最多は「ものの見方が変わった」で,62%にのぼる。そういう読書体験を持てた人は幸福な人であり,それは幸福な人生だ。
 自身,数多くの幸福な本や物語との出会いがあり,自我を形成し,人間観・世界観に影響を受けてきたことを自覚する。小学校低学年での宮沢賢治体験と夏目漱石の「坊っちゃん」体験,そして雑誌『少年』やカッパコミックスで出ていた「アトム」体験。小学校中学年における『少年サンデー』での「サイボーグ009」と『少年マガジン』での「ハリスの旋風」。そして小学校高学年で出会った北杜夫「どくとるマンボウもの」と,井上靖『夏草冬濤』,ドストエフスキーの『罪と罰』…。
 ブルデュー風に言えば,「文化資本」は我が家にそれなりにあったといっていいのだろうが,決して金銭的に豊かな家というわけでもなかったため,これらの本は繰り返し読むこととなり,ほとんど暗記するほどだった。「繰り返し読む」という体験も,重要だ。
 ところで「人生を変えた」「ものの見方が変わった」ということは,「思想」を身につけた,ということでもある。そういう意味で,自我とともに思想を形成するのに最も影響を受けたのが,中学から高校にかけて読んだ大江健三郎と,開高健,高橋和巳,小田実,そして彼らの師とも言える『近代文学』に集った戦後派作家たちの小説と評論だった。ドストエフスキー体験,カミュ体験,安部公房体験なども重要なのだが,中でも大江『個人的な体験』『洪水はわが魂に及び』と高橋『憂鬱なる党派』『邪宗門』は,自分にとっての大事な大事な思想書となった。既に小学校4年生頃には新聞記者か科学者,作家を志していた。それが現在,ほぼ似たような職業として自己実現できているといってもよい境遇にいるのだから,相当幸福な読書体験だったと言って間違いない。
 だが,若い学生たちをみていると,本どころか雑誌を読むこともせず,スマホを握りながら「文章を読むのが苦手」「本は読まない」と臆面もなく言う。ましてや「ある本を繰り返し読んだ」体験を持つ者はごくわずかである。TwitterやFacebookなどで毎日あれほど文字,ことばを書き連ねているのに,新聞や本は「ことばがわからない」ために「難しい」のだそうだ。彼ら・彼女らが書き連ねている文字やことばは,単なる「つながり」のための道具でしかなく,文字やことばに対する畏怖や敬意,愛着はないのだろう。なるほど,つぶやかれたことばは,その場限りで,語彙はなく,文章になっておらず,何を言っているのかわからない。
 もちろん,「人生が変わる」「ものの見方が変わる」機会は,若い彼ら・彼女らにとって,読書以外の方法できっとあるのだと思う。しかし本との出会いによる幸福な体験を持たない人たち,繰り返し読むことをしない若い人たちの,これからの「思想」が気になる。