第38回日本出版学会賞の審査は、「出版の調査・研究の領域」における著書および論文を対象に、「日本出版学会賞要綱」および「日本出版学会賞審査細則」に基づいて行われた。今回は2016年1月1日から同年12月31日までに刊行・発表された著作を対象に審査を行った。審査委員会は3月4日、4月8日の2回、開催された。審査は、出版学会会員からの自薦他薦の候補作と古山悟由会員が作成した出版関係の著作および論文のリストに基づいて行った。その結果、日本出版学会賞1点、同奨励賞2点を決定した。
また、本年度から新たに設けられた清水英夫賞は、『出版研究』45号、46号に掲載された公募論文を対象に審査を行った。その結果、第1回清水英夫賞1点を決定した。なお、候補論文に審査委員が含まれていたため、当該審査委員は、清水英夫賞審査の際に退席し、他の審査委員によって審査を行った。
【日本出版学会賞】
谷暎子 著
『占領下の児童出版物とGHQの検閲――ゴードン W. プランゲ文庫に探る』
(共同文化社)
[審査結果]
本書は、長年にわたって児童出版物の検閲について研究を進めてこられた著者が、学会誌等に発表されてきた論考をまとめたものである。
近年、プランゲ文庫の資料をベースとした研究は多くの知見をもたらしているが、そのなかでも著者は、メリーランド大学客員研究員として同文庫の書誌的整理・目録化の作業に直接従事した経験を活かし、膨大な量の一次史料を分析している。そうした作業によってもたらされた本書は、文字通りの労作といえるものである。
本書の新規性は、汗牛充棟の感がある占領期のメディア史研究において、児童出版物という新生面を開いたことにある。プランゲ文庫に所蔵されている児童書、雑誌、新聞、紙芝居などを包括的に考証することによって、占領下におけるGHQの児童出版物に対する検閲の実態を明らかにした。また、本書における分析は、検閲を「する側」だけにとどまらず、「される側」である出版社側の動向についても詳らかにしている。とりわけ、自主規制によって改変された作品に関して、占領が終わったあとになっても作品を改変したことが公表されず、作品の復元も行われなかったという事例は、単なる史実の提示にとどまらず、出版倫理上の問題提起としても重要な意味を持つものである。
本賞の選考過程の中で、本書が優れた論文の集成であることに異論は出なかったが、本書全体を総括する章が置かれていないことに対しては、各章で得られた知見をもとに当該分野(出版史研究・児童文学研究・占領期研究)において総体として何が見えるのか、読者の判断に委ねられてしまっているのではないかという指摘もあった。この点に関しては、著者自身の言葉でまとめられることが望ましかったのは確かではあるが、各章においてそれぞれ得られた知見は明示されており、雑誌や新聞だけでなく、読み物、絵本、漫画、紙芝居など占領期の児童出版物を幅広く網羅して行われた分析の結果は、占領期の児童文学・文化を知る上で極めて有用なものであると判断された。
また、多くの出版史に関する研究が“都市部中心”に限られた考察に陥りやすい中で、本書の第1章第3節「北海道の児童書と『児童書コレクション』」や、第3章第3節「地方発行の児童雑誌」は、優れた視座をもたらすものである。
以上のことから、本書が出版研究の分野において学術的な貢献を果たすことは明らかであり、日本出版学会賞に値するものと判断した。
[受賞のことば]
谷 暎子
拙著『占領下の児童出版物とGHQの検閲』の受賞は、思いがけないことでした。日本出版学会が、児童文学・文化の空白を埋める研究として評価してくださったことが、何よりうれしく励まされています。ありがとうございました。
本書は、占領下でGHQが行った児童出版物検閲の実態を解き明かしたものです。言論・表現の自由が保障されたと思われていた戦後(1945年9月~49年10月)、GHQはあらゆるメディアを検閲し言論を統制していました。検閲を受けた出版物は、メリーランド大学図書館ゴードンW.プランゲ文庫に保存されています。
1988年、私は戦後北海道の出版ブームに刊行された児童出版物の研究に着手しました。プランゲ文庫を知ったのは、散逸していた北海道の児童出版物を探索する過程でのことです。戦後の出版ブームは、GHQの検閲期間と重なっています。そこでプランゲ文庫の責任者・村上寿世氏(故人)にレファレンスしていただき、北海道の児童出版物について概要を把握することができました。
1995年にはメリーランド大学の客員研究員として、児童書の整理・目録化に従事しました。児童書約8,000タイトル(約9,000冊)の書誌情報、そして表紙に刻まれた検閲情報を読み取り記録しました。この経験が、検閲に関心をもつきっかけとなりました。プランゲ文庫で、児童書目録刊行の準備に携わったのは1998年からです。最初に手がけたのは1,500タイトルの検閲断片(検閲処分を受けた箇所のゲラ刷)の中から、児童書の検閲断片を抽出し刊行本と照合することでした。検閲処分の実態を目の当たりにして、児童出版物検閲の研究に挑もうと決心したのです。2005年まで年1~3回プランゲ文庫に通い、児童書目録刊行の準備と、併行して児童出版物の調査、米国国立公文書館で検閲文書の収集を続けました。2004年に『占領下の児童書検閲 資料編』(新読書社)を刊行したのですが、本書の上梓までにはさらに長い年月を要しました。
「検閲する側」「検閲される側」に何が起きていたか、を視座に本書をまとめたいと考えました。検閲は「検閲する側」の論理や判断で行われます。したがって考えられないような理由で、削除や公表禁止を命じられることも起きています。公表禁止処分の作品は闇に葬られ、削除処分の作品は改竄されます。また検閲者の翻訳による齟齬も生じます。しかし「検閲される側」にも、検閲を通そうとして自主規制し、作品を改変する。検閲終了後も復元せずに出版を続けるなど、出版倫理にもとることが起きていました。
検閲研究では、「検閲する側」「検閲される側」の資料が欠かせません。しかし児童出版物検閲の場合、「検閲される側」の資料が残されていないことが研究の隘路になっています。出版社に渡されたCCD(民間検閲局)の検閲に関する諸文書も、返却された児童出版物も散逸してしまいました。さらに著者、編集者、出版社の証言や記録も数えるほどしかありません。それゆえに資料を掘り起こすこと、資料と真摯に向き合うことを大事にしてきました。でも渡米しての調査はいつも時間が足りず、調査できたのは膨大な児童出版物と検閲文書の一部にすぎません。
これまで研究を続けられたのは、魅力に富むプランゲ文庫の児童出版物に出会えたこと、そしてさまざまな形で私の研究を支えてくださった方々に恵まれたことでした。感謝の念でいっぱいです。占領下の児童出版物検閲は忘れられていたことですが、これからも次の世代に伝えられるよう研究を続けたいと思っています。
【奨励賞】
馬場久幸 著
『日韓交流と高麗版大蔵経』
(法蔵館)
[審査結果]
本書は、高麗時代に二度にわたり雕造された大蔵経について論じた書である。高麗時代の一三世紀の高宗年間に再彫された大蔵経は本文の精確さもあり、歴代大蔵経で最も優れたものとされてきた。室町時代には日本にも伝わり、各地でこれを底本とした大蔵経の開版が行われる。高麗蔵に関する近代的な研究は、二十世紀初頭から主に日本側から始められ、それ以降は、その資料状況もあって、韓国側によるものが増えている一方、日本側の研究が減少、停滞、また戦前の水準以下になっているともされる。本書は書籍による文化交流の観点から、高麗版受容の様相を明らかにしようとするものである。
本書が高く評価されるのは、日本各地に伝存する諸本を網羅的に調査し、その特徴を明らかにすることを通して、例えば足利氏や琉球王朝の文化受容のあり方などを考察していることである。高麗版大蔵経の文化的重要性はこれまでも十分認識されてきたが、ここまで諸本を網羅しデータベース化を試みた研究は他にない。長期の視座による仏教出版研究は、貴重な知見を出版研究にももたらすものと考えられる。書籍による大陸との文化交流は勿論大蔵経に限定されないので、他の事例との比較という視野が必要になってくるが、その点で本書の功績はそのための基盤固めにある。あとがきにもあるように、韓国側の仏教思想や宗教について深めることが、今後の課題としていることから、これからの活躍を期待したい。
[受賞のことば]
馬場久幸
この度、2016年2月刊行の拙著『日韓交流と高麗版大蔵経』(法蔵館)が、第38回日本出版学会奨励賞を頂戴し、深く感謝申し上げます。この思い掛けない受賞が、研究を始めた当初から現在までの時間を振り返る良い機会を与えてくれました。拙著は2007年に韓国の圓光大学校に提出した博士論文(高麗大蔵経が日本仏教に及ぼした影響)を加筆・修正して刊行したものです。博士論文提出から随分と時間が経ちましたが、このような身に余る光栄を賜ることができましたのは、これまでに日本と韓国でご指導いただいた先生方をはじめ、出版にご尽力いただいた法蔵館の皆様、さらには今回推薦や審査に携わっていただいた皆様方のご協力によるものです。この文書をお借りして、心より御礼を申し上げます。
拙著は、日本所蔵の高麗版大蔵経について、その伝来と利用などに関し、仏教文化的側面や書誌学の観点からまとめたものです。高麗版大蔵経の版木81,258枚は、現在韓国の海印寺に所蔵されており、世界文化遺産、記録遺産に登録されている世界的文化財でもあります。この版木は、モンゴル軍の退散を祈願して1251年に完成したものです。それ以降、長きに渡り守られ保存されてきました。単に大蔵経の版木を作ったということではなく、個々の経典の内容を校訂するなど、その優秀さも際立っています。この版木によって印刷された大蔵経の多くは現在日本に所蔵されており、近世や近代にはそれを底本として多くの仏典が刊行されましたが、なかでも『大正新脩大蔵経』は代表的なものです。しかし、近世・近代における高麗版大蔵経の活用はあるものの、室町時代に多くが伝来した理由については解明されていませんでした。拙著ではそうした疑問の一部を解明し、また日本の数ヶ所で所蔵されている高麗版大蔵経について書誌学的な調査を行い、それらの印刷年代についても検討しました。
大蔵経とは仏教経典の叢書であり、6,000巻以上の経典が含まれています。そのため、1セットを印刷するだけでも、大量の紙と刷るための用具などが必要となります。前近代において、大蔵経印刷には想像を超える量の物品調達が必要であったということを執筆によって知らされました。これは大蔵経に限ったことではなく、個々の経典刊行に際しても言えることです。賢人が成し遂げた偉業のすばらしさを感じずにはいられません。
最後に、拙著が出版学会奨励賞を賜り、「受賞の言葉」を執筆するまでの間に、いくつかの学会で書評をいただきました。各分野の著名な先生方より様々なご指摘を賜りました。日本所蔵の高麗版大蔵経について、現時点で一部の調査が済んでおらず、今後も継続して確認作業を続けていく必要があり、書評などでご指摘を賜った点についても検討する必要性があります。今回の受賞を糧として、さらに邁進していく所存です。
【奨励賞】
文●珠 著 (●=女+燕)
『編集者の誕生と変遷――プロフェッションとしての編集者論』
(出版メディアパル)
[審査結果]
本書は、書籍編集者の社会的役割や機能を理論的、実証的に検証するために、職業社会学の成果である「プロフェッション」を研究フレームとして導入している。具体的にはプロフェションと非プロフェッションを連続的なものとして捉え、書籍編集者がその連続性のなかで理念型としてのプロフェッションにどのように近づいているのかを、おもに歴史的アプローチで考察した。この点が本書の価値を担保する独自性である。
2004年に発表した博士学位論文をもとにしているため、昨今の急速な電子化やデジタルスキルへの対応などには触れてはいない。とはいえ、著者が指摘しているように日本の編集者が仕事のやりがい、社会的・文化的意義を重視していること、さらに金銭的報酬より自己実現などの精神的満足を重視していることなどは、今日に続く状況と考えられる。また、フリーランスの編集者も増え、編集者の転社が稀ではなくなってきた状況下では、本書の論点は現実的な意味合いを持ち始めている。
一方、数量的あるいは実証的資料が乏しい研究環境の困難さからか、プロフェッション概念にもとづいての「日本型編集業」や「専門職化」の実証的分析、また全体としての新たな発見に物足りなさを感じないわけではない。しかし、後続の研究へ多くの論点を提起しているのは、すぐれた研究書の共通の特性であろう。
以上、今後のさらなる研究を期待して本書を奨励賞とした。
[受賞のことば]
文 ●珠(ムン・ヨンジュ) (●=女+燕)
本書は、筆者が書いた博士学位論文「日本の書籍出版編集者の専門的職業化過程に関する研究」の一部を修正・加筆したものであります。この論文で学位をとり、韓国に戻りましたのが2004年なので、すでに13年もの年月が経った時点での受賞となり、受賞の通知を受けた際は、正直、少々当惑してしまうところもありました。しかしながら、何はさておき、まず拙著を評価してくださった日本出版学会の皆様に心より感謝を申し上げたく、またこの賞をいただいたことを大変光栄に思っております。
人や組織を動かし社会を変えるのは「人」であり、活気のある良い人材が集まるところに何かと新しくて面白く価値のあるものが生まれます。日本に留学していた際、世界の何処よりも豊かな日本の出版文化を体験し、このような出版文化を築いてきた「人」、日本の「編集者」に注目してみたいと思いました。編集者は出版コミュニケーション過程のなかで思想や知識、情報の流れを司る者であります。しかし「黒衣」という表現からも分かるように、編集者はその存在が表現の表舞台に出ないという特性があり、論議や研究の対象としてもあまり注目されませんでした。論文は、職業社会学とりわけプロフェッションの社会学の学問的成果を日本の編集者に適用し、「プロフェッションとしての編集者論」を試みたものであります。本論では、プロフェッションという眼差しを用いて、日本の編集者の構造的特性(職業の確立やアソシエーションの成立、倫理綱領の作成、教育制度の確立等々)や態度的特性(職業に対する意識および態度)を検証しましたが、職業意識等の実証調査を実施したのは2002年でしたので、資料としてさすがに古すぎるという判断から本書では構想的特性、つまり日本において出版業が成立してから、編集者がひとつの独立した職業として確立していく歴史的な過程だけを取り扱っております。
この本で試みている「プロフェッションとしての編集者論」は、これまでの日本には無かった視点で、あまり慣れない議論といえます。なので2016年にこの論文が一冊の本として出版された際は、研究者としてはそれだけで大変喜ばしくやっとひとつの区切りがつけたと思っていました。なのに全く予想もせぬ学会奨励賞にまでお選びいただいたことは身に余る光栄であるだけでなく、この13年を振り返る良い機会となりました。
何よりもほこりに埋もれていたこの論文に再び光を当ててくださいました出版メディアパルの下村昭夫さんには心から感謝を申し上げたいと思います。出版に対する深い愛情を持ち、出版そのものに関する本を黙々と発掘し出版されている下村さんこそ、この賞をいただくにふさわしい方であると思います。そして、論文を書いていた頃は、数え切れない多くの方々から助けていただきました。頭のなかでたくさんの方の顔が浮かびますが、その中でも指導教授でいらっしゃる植田康夫先生、そして御亡くなりになりました日本エディタースクールの吉田公彦先生には、単純に論文そのものの指導だけではなく、学問の道を歩む姿勢たるものを教わりました。この二方にはこの場を借りて深く感謝の意を表したいと思います。
私は現在韓国で放送通信審議委員会というところに勤めており、コンテンツの内容規制に関わるお仕事をやっております。いまや少々異なる領域におり、出版研究にさかんにはげめるような環境ではありませんが、ひろくメディアを研究する者として、これからもより成長していけるよう頑張っていきたいと思います。ありがとうございます。
【清水英夫賞(日本出版学会優秀論文賞)】
清水一彦 著
『「若者の読書離れ」という“常識”の構成と受容』
(『出版研究』45号掲載)
[審査結果]
本論文は、「知識人」により指摘され、「常識」的になりつつある「読書離れ」現象について、多数の先行研究成果の検討をもおこないつつ、歴史的視点も交え検証している。毎日新聞読書世論調査の統計情報などをも用いて詳細に分析検証し、言説としてどのように定着していったのか、その形成過程を探るとともに、実情についても考察している。同様の視点での研究成果は見られず、本邦人が書物や読書に対してどのようなイメージを抱いているか、読書心理解明への可能性も示している。読書について今後考察する上で必要な、分析的枠組みも提示しており、出版界の今後の動向を見極めていく上でも貴重な知見となるものである。
なお、すでに多数の業績を有する同氏であり、まだ業績の少ない若手研究者を視野に、今後の著者の「将来性に富む優れた研究論文」を対象に選考するという、本賞の精神からみて異論も想定されるが、今後の出版研究領域へ新たな視座・視点を提供したという貢献度とともに、同氏による「出版研究」への最初の投稿論文であることをも考慮し、清水英夫賞にふさわしい論文と判断した。
[受賞のことば]
清水一彦
清水英夫賞をいただき、ありがとうございます。受賞の連絡をいただいたとき、じつを言うと戸惑いを覚えました。清水英夫賞は若手研究者を視野に選考すると聞いていましたので、60歳の私にははなから関係のないことと思っていました。しかし考えてみれば、50歳代半ばで出版社を退職し日本出版学会に入会するまで、学問の世界は取材対象でしかなく、自分自身が研究者となるなどとはまったく想像もしていませんでしたので、実年齢さえ気にしなければ、駆け出しの弱輩研究者にちがいありません。
「審査報告」でも過大なお褒めのことばをいただき、なんとも落ち着かないのですが、今回の論考を書けたのは、若者向け娯楽雑誌の出版実務をそこそこ長くやってこられた結果かなと自分なりに理解しています。というのは、職場柄でしょうか、ながらく若造気分でいたのですが、実年齢が若いときは自分より年配の方が「イマドキの若いヤツは本を読まない」と宣うのに遭遇するたびに、実感として、あれ?、アンタよりもオレたちのほうが読んでるよと陰でコソコソ言い合ってたのです。まあ、どんな本かはともかく。それが、アタマはあいかわらず学生プラスアルファぐらいでとまっているのに、カラダが生物学的に中年いや老年に近くなると周りの同世代がいつの間にやら「イマドキ」発言をしだすのです。でも、オマエ、老眼で文庫本はもうダメだなんて宣言してたでしょ、なんて突っ込みを入れたくなるわけですが、自分もじゅうぶん老眼になっている。さらには、いっしょに「イマドキ」と発言してご丁寧にも自分を棚に上げて安心している。うッ、これはマズいかも、と少しだけ自戒の念はありましたが。
この後ろめたさから、実態を確かめてみることにしました。手近にあった毎日新聞の『読書世論調査』を先入観なしに見てみると、なんのことはない、若者のほうが読書時間が長かった。これが本研究をはじめるきっかけでした。ですから、世でいうように、また、自分の経済的基盤であった出版産業にとってそうであるように、読書がよいことであるのならば、この論文は一種の反省文のようなものです。
60歳の自称若手としてあと何年間精進できるかはわかりませんが、受賞はこれからの研究生活の励みとなっています。最後になりましたが、学会のなんたるかも知らないから怖いものしらずで入会申請ができた中高年新人をあたたかく受け入れてくださった日本出版学会の懐の深さに、また、惜しみないご指導をしていただいた様々な年齢の諸先輩研究者のみなさまに、こころからお礼を申し上げます。