第32回日本出版学会賞 (2010年度)

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第32回日本出版学会賞 (2010年度)


 第32回日本出版学会賞の審査は,出版研究の領域における著書および論文を対象に,審査規則に基づいて行われた。今回は2010年1月1日から12月31日にかけて刊行,発表されたものを対象に審査を行ったが,審査委員会は2月13日,3月21日,4月11日と3回にわたって行われた。審査にあたっては,学会員からの自薦他薦の候補作と古山悟由会員が作成した出版関係の著書および論文のリストに基づき検討を行い,候補作をしぼって選考を行った。その結果,日本出版学会賞1点が決定した。



【学会賞】

 木村涼子著
 『〈主婦〉の誕生――婦人雑誌と女性たちの近代』
 (吉川弘文館



[審査結果]

 本書は,1920年代以降の大衆婦人誌『主婦之友』などを多面的に考察することによって「主婦」というジェンダー秩序の形成における雑誌の果たした役割を明らかにした刺激的で魅力的な研究である。
 この研究書は3部から構成されている。Ⅰ「ジェンダー化されたメディアの世界」では,先行研究の検討の後,1920~30年代における婦人雑誌を位置づける,すなわち,女性大衆読者層の誕生と商業婦人雑誌『主婦之友』と『婦人公論』で提示された近代的女性像を論じる。
 Ⅱ「婦人雑誌がつくる『主婦』」では,戦前を代表する大衆婦人雑誌『主婦之友』の分析から,読者がメディアと結んだ関係性を〈有益〉〈修養〉〈慰安〉の3つのキーワードで把える。次に,これらのキーワードをもとに,『主婦之友』や『婦人倶楽部』などの主婦向け大衆雑誌に掲載された具体的な言説を分析する。〈有益〉については,実用記事によって具体的に考察される。すなわち,豊富な実用記事が家事労働力を合理的かつ情緒的な意味をもつ独特の「文化」を構築したことを指摘する。〈修養〉については,誌面の「賞賛されるべき女性」の考察から,女性に期待される〈修養〉が近代的価値をもつものであることを明らかにする。〈慰安〉については,連載小説の分析から,読者に提供されたファンタジーの世界を提示する。
 Ⅲ「『主婦』であることの魅力」は,Ⅱから導き出された「技能」「規範」「ファンタジー」によって構築される「主婦」の世界が,女性読者によってどのようなものであったかが考察される。
 以上のような考察から,本書は〈主婦〉という近代的なライフスタイルは,雑誌による一方的な提示で形成されたものではなく,そうしたメディアを求めた受け手の能動的活動を含んだ,読者と雑誌の間の相互的作用の結果であることを解明した。
 これを実証するためのアプローチは多様かつ緻密である。歴史史料を渉猟し,言説分析,雑誌の記事,連載小説,読者欄の内容分析,表紙の図像学的分析,インタビュー,さらには海外の文献まで言及するなど多彩である。その論証はいずれも説得力があった。
 この『〈主婦〉の誕生――婦人雑誌と女性たちの近代』は,雑誌メディアの機能を具体的に論証したものである。出版研究に新たな知見がもたらされたことを慶びたいと思う。



[受賞の言葉]

木村涼子

 この度,2010年9月刊行の拙著『〈主婦〉の誕生――婦人雑誌と女性たちの近代』(吉川弘文館)が,第32回日本出版学会賞を頂戴することになり,大変光栄に思っています。拙著を世に送り出してくださった吉川弘文館のみなさま,拙著に賞を与えることを決めてくださった川井良介学会長はじめ選考委員のみなさまに,心よりお礼申し上げます。
 受賞のご連絡を頂いた時に,日本出版学会からということをうかがい,驚きとともに,この研究をスタートさせた頃の「初々しい」感動を思い起こしました。先日,春季研究発表会の懇親会での受賞の際にも申し上げましたが,私は,大正期創刊の婦人雑誌を扱った卒業論文に取り組んでいた1980年代の半ばに,当時中之島にあった大阪府立中央図書館の古めかしくも情緒ある建物の開架に収められていた『出版研究』と出会い,それ以来,密かに(恐縮ながら非学会員のまま)日本出版学会の研究動向に多くのことを学んでまいりました。
 私自身の専門は社会学であり,教育社会学や歴史社会学といった領域で研究をしてきたのですが,日本出版学会会員の方々のご研究と,それらが依拠している「古典的」研究やデータソースから,社会学の領域とは異なる方法論や視点を教えていただきました。とりわけ,「出版」というもの(メディア・技術・流通・読者層やマーケットなど含めて)に対する真摯な姿勢,あるいは尊敬をこめて「マニアックな姿勢」と言い換えてもよいのですが,そうしたエートスが日本出版学会に集う方々のご研究の底流にあることが感じられました。日本出版学会の学会誌である『出版研究』が,知識も方法論も未熟で,どのように婦人雑誌研究をすすめていったらよいのか迷っていた私に,「こういうこだわり方をしてもいいのだ」という直感を与え,研究の方向性を示してくれたと思います。日本出版学会には,そうした一方的な思い入れをしてきたわけですが,その学会から今回のような伝統ある賞を頂戴することになったことは,望外の喜びです。
 最近は大学の本務も忙しくなってきて,なかなか時間がとれなくなっていますが,私は日本出版学会員のみなさまと同じく図書館や書店が大好きです。今回受賞した拙著も,複数の図書館に通って古い雑誌の頁をめくり,数え切れない古書店をめぐって古書や古雑誌を購入し,時間をさかのぼって戦前の婦人雑誌の世界にひたりながら,積み重ねてきた研究をまとめたものです。当時の女性読者の気持ちになって,表紙や口絵をながめ,記事や連載小説を読みました。
 私の問題意識の出発点は,現存する性差別への疑問であり,おこなってきた研究はすべて,性差別を支えるジェンダー秩序を読み解くことをめざしたものです。私の中で,研究したいという欲求は,フェミニズム思想と溶け合っています。婦人雑誌を素材に近代的ジェンダー秩序の成立過程をさぐる歴史研究と同時並行で,戦後から現在にかけての学校教育をジェンダーの観点から研究してきました。後者は,学校現場での教育実践や教育運動,行政施策など,リアルタイムの社会の動きと関わりながらすすめるよう努力してきたつもりです。婦人雑誌をメディアとする「あの頃」へのタイムトリップと,学校教育を舞台とする「今」の研究と実践の連動。この二つの間を行き来しながら,この二五年あまりを過ごしてきました。「今」と「あの頃」への往還は,私にゆとりや喜びを与えてくれる一方で,研究の歩みがゆっくりしたものになってしまうという問題を常に引き起こします。とりわけ,「今」に追われると,「あの頃」の研究はつい後回しになりがちで,忸怩たる思いに悩んだ日もありました。念願かなって,まだまだ課題を残しつつも自分なりの到達地点を一冊にまとめることができた昨夏,大きな宿題をやっと提出した気持ちで,ホッとしたことを覚えています。その一冊が,研究の初期段階において静謐な図書館で出会ったバーチャルな「恩師」,日本出版学会によって評価していただけたことは,私にとって何よりの贈り物といえるでしょう。拙著に残されている不十分点や今後の課題を乗り越えていくことが,バーチャル「恩師」からの贈り物にふさわしい感謝の表し方と考え,今後も地道な研究をすすめたいと思います。