第28回日本出版学会賞 (2006年度)

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第28回日本出版学会賞 (2006年度)

 第28回日本出版学会賞の審査は,出版研究の領域における著書および論文を対象に,審査規則に基づいて行われた.今回は2006年1月1日から12月31日にかけて刊行,発表されたものを対象に審査を行ったが,審査会は3月9日,3月20日,4月3日と3回にわたって行われた.審査にあたっては,学会員からの自薦他薦の候補作と古山悟由会員が製作した出版関係の著書および論文のリストに基づき検討を行い,候補作をしぼって選考を行った.その結果,日本出版学会賞・特別賞1点,同・奨励賞2点が決定した.


【特別賞】

 長谷川郁夫
 『美酒と革 第一書房・長谷川巳之吉』 (河出書房新社)



 [審査結果]
 大正から昭和の戦前期まで,豪華な造本と美しい装幀で堀口大學『月下の一群』,『日夏耿之介定本詩集』,『西條八十詩集』,『萩原朔太郎詩集』,三好達治『詩集 測量船』や『近代劇全集』,『ポオ小説全集』などの刊行を手がけ,雑誌『PANTN』,『セルパン』などを発行し,今も独自の文芸出版社として評価されている第一書房の創業者である長谷川巳之吉の評伝である.本書の著者は巳之吉と姓は同じだが血縁関係はない.しかし,著者は「平成の第一書房」と呼ばれた文芸出版社である小沢書店を創業し,巳之吉と同じく造本・装幀にも気を配った文芸書を刊行した.残念ながら経営的には負債を抱えて倒産したが,そうした経歴を持つ著者が,出版における創造的な行為とは何か,という問いを原点にしながら,二部構成で巳之吉の出版活動を,彼と関わった著者や編集者などとの関係についても丹念に検証して明らかにしている.その視点は,巳之吉に対して冷徹とも思えるほど厳しく,「出版人は演技する」とまで言いきりながら,巳之吉が編集,経営に当たった第一書房の実像を徹底して描くことで,本書は昭和戦前期の優れた出版文化史となっており,出版史研究のための有力な史料となり得ることが評価され,特別賞を授与することにした.


 [受賞の言葉]

 長谷川郁夫

 『美酒と革嚢』によって,このたび,日本出版学会賞特別賞を受賞したのは望外の喜びだった.望外の,と記したのは,本書が学術的な論考を目論んだものではなく,きわめて個人的な関心に導かれて一人の戦前の出版人の行跡を辿ったものだからである.
 本書の第一部は,20年以上もの昔に「早稲田文學」に連載された.これが中断したのは,終始ゴタゴタしていた同誌の編集体制の事情もあったかも知れない.しかし,意気込んだ若い私の前に,昭和19年,50歳で突然のように廃業した出版人,第一書房・長谷川巳之吉の決断の謎が壁のように大きく立ち塞がってしまっていたのだった.
 その後,並行して進めていた書肆ユリイカ・伊達得夫の評伝の仕上げの時期に入り,その仕事に追われた.といっても,社業の傍らのことだから,“日曜大工”の執筆作業は滞りがちで,それが「新潮」昭和61年2月号に発表される時には,伊達の享年(40)に近い年齢となっていた.
 本書の第二部は「図書新聞」に平成14年1月1日号から連載された.しかし,そのとき私は巳之吉の第一書房廃業の年齢を超えていたが,1年数カ月前に30年続けた出版社を潰していて,成功者であった巳之吉とは正反対の場所に蹲っていたのだった.私に豪華本趣味はない.少しずつ蒐めていた第一書房の刊行物も資料も一切が私の手許から失われていた.
 第二部で私は,巳之吉に辛く当たり過ぎたかも知れない.たった一人で奮闘したといえる巳之吉に対して,もう少し同情すべきであったかと思うのである.だが,批判の眼差しによってしか捉えないものもある.155回,3年10カ月の日々.そんな信念をもって書き継いだ.思えば,ずいぶん長い歳月を巳之吉とともに生きたのだった.
 などと,いくらか感傷的な気分に浸るのも,受賞の喜びからだろうか.曲りなりにも本書を仕上げることができた,と胸中に巳之吉への“愛しさ”とともに安堵の思いが広がるのである.


【奨励賞】

 蔡 星慧
 『出版産業の変遷と書籍出版流通
  ――日本の書籍出版産業の構造的特質』 (出版メディアパル)



 [審査結果]
 著者は韓国からの留学生で,現在は,日本の大学で出版論などを教えているが,本書は2005年度の上智大学新聞学専攻博士後期課程における博士論文を修正し追筆したものである.日本の出版産業が近代以降,雑誌を中心に発展し,出版流通が取次主導で成り立ってきたという視点から,日本における書籍出版産業の構造的特質を論じているが,方法としては,日本における出版産業の近・現代史を文献資料によって考察し,さらにヨーロッパやアメリカ,韓国などの出版産業と日本の出版産業を比較するということを行っている.そして,さらに著者は,文献資料の分析にとどまらず,現在,出版産業にたずさわっている人たちがどのような考え方をもっているかを,インタビュー調査によって聞くという作業を行っている.その対象人数は,出版社が全30社で32名,取次が7社で8名,書店が30名となっており,合計70名に対し,平均1時間半のインタビューを行い,内部体制及び当面の課題,流通制度,書店への対応及び要望,読者対応の認識,書籍出版産業の構造的課題について聞いているが,こうした成果に基づき,日本の書籍出版産業の特質が論じられ,改善すべき問題の提言が行われていることが評価され,奨励賞を授与することにした.


 [受賞の言葉]

 蔡 星慧

 奨励賞の受賞を耳にした時は様々な思いが交差した.論文を書いた時の数多くの迷いと不安,自分を見つめていた時間,大学院生活を惜しまぬ指導とともに見守っていただいた先生方々,学会の方々,修士と博士論文の段階において多忙な時間を割いていただいた出版界の方々など,長年の日本での生活は自分一人では成り立ってなかったのだろう.改めて心から感謝のお礼を申し上げたい.
 受賞の対象になった『出版産業の変遷と書籍出版流通-日本の書籍出版産業の構造的特質』(出版メディアパル,2006)は筆者の博士学位論文を修正,追筆したものである.論文を書いた動機は,雑誌中心の日本の出版の構造が現在の書籍出版に適切であるかの問題意識から始まった.論文ではその背景要因と関わる日本の出版産業の流通構造を見るプロセスとして,歴史的考察や各文献の解釈,現場の出版人の問題意識を伴っている.
 昨年,学会の縁で論文を単行本にしないかと声をかけていただいた時は素直に承諾することができなかった.論文が読まれることに対する自信がなかったからである.しかし,このように世の中に出てみると,人に読まれるといった書き手の責任を改めて実感しており,反省点も多い.不足している点は今後の研究課題として取り組んでいきたい.
 今年で来日後9年目を迎えている.編集者として一人前になる前,遅くに留学といった別の選択肢を考えた上での来日であった.年々年を重ねるほど日本での生活も慣れていきそうだが,論文を書いた時の思い,大学院での生活における緊張感を緩めることはない.大学院生活では常に研究方法の工夫や悩みもあったが,自分を直視する場があり,やりがいや楽しさを与えてくれた.今回の受賞を機に,今後は研究者として地道な努力を重ね,精進していきたい.


【奨励賞】

 馬 静
 『実業之日本社の研究 近代日本雑誌史研究への序章』 (平原社)



 [審査結果]
 著者は中国から留学し,現在は東京外国語大学外国人研究者として研究活動に当たっているが,本書は同大学博士後期課程における博士(学術)学位取得論文を公刊したものである.近代日本における経済雑誌『実業之日本』の発行元である実業之日本社の創業後三四年間の社業の歩みと,その時期の『実業之日本』の主要な論調を分析しているが,この論文を著者が執筆することになったのは,近代日本における雑誌史関係の研究で,同誌についての本格的研究が皆無に等しかったからである.また『実業之日本』については,戦前は大衆的経済雑誌,戦後は株式の業界誌と見なされてきたが,本書では大衆経済誌として果たした役割を見るだけでなく,その論調を分析することによって同誌の言論誌としての性格を明らかにし,さらに総合出版社としての実業之日本社を,近代日本の雑誌史の中に位置づけることを意図して論じられている.全体は,実業之日本社の創業期,発展期,拡充期,繁栄期,関東大震災と実業之日本社,停滞期といった章立てで論じ,終章で総括と今後の課題を提示しているが,雑誌史研究の未開拓分野を理論的に明らかにしていることが評価され,奨励賞を授与することにした.
 なお,今回の奨励賞の受賞者は,いずれも女性の留学生で,本来,日本人研究者が行わなければならない研究に取り組んでいることは,高く評価されるべきである.


 [受賞の言葉]

 馬 静

 この度は日本出版学会賞奨励賞という栄誉のある賞を頂戴し,身に余る光栄に存じます.私にとりましては誠に思いがけない受賞でありますが,本学会の植田康夫会長先生をはじめ,選考委員の先生の方々,会員の皆様に心より御礼を申し上げます.
 さて,私の研究は,近代日本における雑誌史を探求しようとしたところから,近代日本の雑誌界をリードした実業之日本社および同社の発行した『実業之日本』という雑誌を中心に考察を行ったものです.戦前の日本の代表的雑誌社の系譜をたどりますと,明治後期が博文館,大正期が実業之日本社,昭和戦前期が講談社という形になっております.この三社のうち,博文館と講談社につきましては,すでに多くの優れた研究がございますが,その間に挟まれた実業之日本社についての研究はほとんどありませんでした.その理由はなぜかと申しますと,同誌への関心の薄さと,研究の困難さがあったようでございます.したがって,戦前の同誌に対しては,その一面だけを取り出して,大衆的経済雑誌であるという評価がなされたこともありましたし,戦後は株式専門の業界誌くらいの捉え方をされた面もありました.しかし,そうした観点からですと,創刊期以来の同誌が,長らくもっていた積極面は見逃されてしまうのです.
 私の本は,実業之日本社に焦点を当て,創業時からの34年間を見たものに過ぎません.と同時に,『実業之日本』については,それが単に大衆経済雑誌として果たした同誌の役割を見るだけではなく,その論調を分析して,各時期の特徴を引き出すことにより,同誌の言論誌としての性格をも明らかにしたかったものであります.これらを通じて,総合雑誌社としての実業之日本社を,近代日本の雑誌史の展開の中で積極的な位置づけができればと思ったものです.
 また,私は時間が許す限り,本書の研究をさらに広げて追及できたらと願っております.創業者の増田義一についても,その功績の割には現在の評価は十分とは思えず,更なる考察が様々な意味で現代の出版人の夢にも繋がっていくものと信じます.加えて,当時実業之日本社と『実業之日本』と競合していた他の雑誌社や雑誌についても,高い関心をもつに至りましたが,こうした作業を,他の時代にも広げることにより,近代日本の雑誌史をその必要条件からだけでなく,十分条件において解明することが可能になると思っております.
 最後に,博士学位の論文から本の出版までご指導してくださった指導教官の稲田雅洋先生と,日本での留学生活を公私ともにサポート頂いた金丸健二先生と,さまざまな形で応援してくださった流通・出版関係者の方々に,心から御礼を申し上げます.

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