第22回日本出版学会賞 (2000年度)

第22回日本出版学会賞 (2000年度)

【学会賞】

 印刷史研究会編
 『本と活字の歴史事典』(柏書房)

 [審査結果]
 本書は同一の発行元から『本と人の歴史事典』(高宮利行・原田範行著)が刊行されているため,同書と関連する書名となっているが,内容は,きりしたん版,駿河版,銅活字,ヨーロッパ人による漢字活字開発,明朝体の日本への伝播,幕末洋書印刷物の活字,近代の和文鋳造活字などについて,豊富な図版を収めながら,実証的に論じた最先端の研究論文集である.
 執筆者は,印刷史研究会代表の小宮山博史氏(佐藤タイポグラフィ研究所代表.近代日本活版印刷史,和文書体史)をはじめ,大内田貞郎氏(神戸親和女子大学教員.書誌学),百瀬宏氏(印刷博物館,『印刷博物誌』編纂委員会顧問.印刷技術史),鈴木広光氏(九州大学文学部専任講師.日本・中国聖書翻訳史,近代日本・中国活版印刷史),高野彰氏(東京大学附属図書館情報サービス課図書館専門員,図書館情報大学非常勤講師.英米書誌学,英文学),府川充男氏(築地電子活版代表,印刷史研究会『印刷史研究』編輯委員.近代日本活版印刷史,和文書体史)らであるが,印刷や出版の現場で活躍する斯界のプロたちが多く,その展開する論理は非常に具体的で説得力がある.活字の文字一字一字の徹底的な比較検討や駿河版銅活字(凸版印刷蔵)の鋳造再現実験などの新しいアプローチによって,実証的に分析していくという研究方法はこれまであまりなされておらず,「事実」の積み重ねによって,いくつもの「通説」を覆した本書の内容は,きわめてレベルが高い.たとえば,日本で「金属活字」といえば,本木昌造の業績だけが伝説のように語られている.しかし,実は本木以前から活字鋳進にチャレンジした人はおり,さらに近代日本以来初めての金属活字のサイズは本木の号数制で「鯨尺」によって制定したものといわれてきたが,これも誤りであるということが明らかにされている.本書を読むと,従来の印刷史は実物の検証をほとんど行わず,先人の説を安易に踏襲するだけであったことがよくわかる.ただし,本書が「事典」と題されていることには批判があった.

 [受賞の言葉]

 驚きと,嬉しさと,感謝と  小宮山博史

 柏書房から昨年刊行した『本と活字の歴史事典』が日本出版学会賞を受賞したというお手紙を頂戴したとき,正直申し上げて驚きました.活字という出版物を根底から支えるもの,これがなければ本はただの白い紙を綴じたものにすぎないのですが,残念ながらそのように大切なものでありながら活字にたいする人々の認識は低いと考えておりましたし,ましてや活字の研究書への興味など皆無に近いと思っていました.しかし現在定説となっている活字書体史が日本中心の,まことに狭い発想の中で構築されていること,また実証的な研究方法よりも先人の説の安易な引用であって,現在の研究成果からみてもまことに不備の多いものでありましたので,柏書房にお願いして日本の金属活字史研究の現在の時点での最先端の成果を盛り込んだ論文集として出版していただいたのです.
 本書は幸いにも活字書体の誕生と発展に興味を持ち,それが支えた出版文化を愛する多くの編集者,デザイナー,研究者そして一般読者の皆様に好評のうちに迎えられました.活字書体はその国の文字を単一化・定型化したものです.それが大量に投下されることでいっそう個性が薄められ,結果としてどのような内容の文章にも適応できるようになりますが,それが逆に活字書体の重要性の認識を希薄にさせているのではないかと思われるのです.わたしたちの文化・技術・精神はこの活字書体によって過去から受け継がれ,そして次の世代に引き継がれていきます.執筆者一同そのことを忘れないように今後とも研究に励みたいと考えております.
 このたび出版に関わる広い分野の方々が会員である日本出版学会から,このような高い評価を頂戴したことを嬉しく思い,深く感謝いたします.そして今後とも活字書体の評価や書体史研究に深いご理解を賜りますとともに,本書の不備や研究不足,論理の破綻にたいしては厳しいご批判をいただき,より正確な日本の金属活字史を築きたいと思っております.ありがとうございました.


【奨励賞】

 羽生紀子
 『西鶴と出版メディアの研究』(和泉書院)

 [審査結果]
 井原西鶴や貝原益軒が「出版」というメディアを意識的に使って表現活動をしたという視点から,大坂の出版は京都に依存しながら,大坂独自の地域実用性に根ざした出版を志向したことや,出版書肆が知的サロンの形成に果たした役割などについて先行研究の綿密な検証を行い,丹念に論じている.たとえば,益軒の「出版と結びついた」活動については,『益軒資料』などを調べて抜き出し検討され,その交友について饗応・会談などに区分しつつ論じられ,西鶴については初期西鶴作品刊行書肆として著名な岡田三郎右衛門などが論じられている.しかし,益軒の知的生活や学問的環境についての論証は,具体例として弱い部分があり,西鶴の作品刊行書肆が大坂という地域の実用性を重視しつつ地域性を越えて全国に通用する書肆へと成長しようとする,といった結論は,大坂の出版社に特有の現象であるかという疑問は残るという批評があった.そして京都,大坂,江戸など三都の版元を比較検討して論述する必要があり,主題を明確にして,先行研究の補完的修正的な論述を超えてほしいという要望があった.だが,著者は現在,日本学術振興会特別研究員(PD),武庫川女子大学非常勤講師として日本近世文学と書物文化史を研究し,この著書以外にも西鶴の作品をメディア論的に論じた「語りから印刷本へ-メディア論『好色一代男』の試み-」(『武庫川国文』56)など着実に論文を発表して,意欲的に研究をすすめており,今回の著書をその成果として評価し,奨励賞を授与することとした.

 [受賞の言葉]

 受賞の言葉  羽生紀子

 学部時代,江戸時代の浮世草子作者井原西鶴に5作品もの遺稿集があることを知ったことがすべての始まりだったように思う.それまで持っていた「流行作者西鶴」のイメージは消え去り,そこには作品を思うように刊行しえない,苦悩する作者の姿が予感された.初めは時代状況の把握の容易な(と勝手に思い込んでいた)古い時代の文学研究を志していた.明治以降とは比較にならないかもしれないが,江戸時代は残存資料も多く,何よりも人間が生き生きとしているように思えた.当時の私にとっては,この「生き生き」こそが厄介の種で,その生々しい,複雑な人間社会をいかに自分なりに把握していくのかが最大の課題だった.
 そんな私を導いてくれたのが,「出版」だった.特に岡田三郎右衛門・森田(毛利田)庄太郎という2軒の書肆との出会いが,その後の研究を決定づけた.書肆の活動は多岐にわたる.文学にとどまらず,その出版分野は多彩である.そして本屋行事としての活動は,まさに当時の社会と密着したものであった.それらの調査・検討を通じて,私は多くの書物,また人物たちと出会うことができた.そしてその出会いから,おぼろげではあるが,私なりの江戸時代の社会観を組み立てることができたのである.
 『西鶴と出版メディアの研究』は,こうした過程をすべて包み込んだ著作である.中心は大学院時代のプロジェクトで,博士学位請求論文でもあった.私にとっては愛着深いもので,刊行できただけでも良い経験であったが,今回奨励賞を授与されたことによって,その過程のすべてが素晴らしいものであったかのように思えてしまう.この際,「すぐに認められる研究にろくなものはない」などと嘯いていたことなど忘れることとしよう.
 ただ,時間がたつほどに今後の課題が見えてきたのも事実である.種々ご指摘いただいた点も含めて,私なりに今後も出版研究を発展させていくつもりである.出版という営為を社会や人間との密接な関係から解明する,この観点は今後とも持ち続けていたいと思う.


【奨励賞】

 小野高裕・西村美香・明尾圭造
 『モダニズム出版社の光芒 プラトン社の1920年代』(淡交社)

 [審査結果]
 「クラブ洗粉」でヒットを飛ばした中山太陽堂が大正後期,大阪で設立したプラトン社は,雑誌『女性』『苦楽』などを発行し,これらはモダンな雑誌として評価されたが,短時日のうちに凋落した.本書は,そのプラトン社副社長の孫に当たる小野氏の執筆した「プラトン社の軌跡」,西村氏の「プラトン社の雑誌デザイン」,明尾氏の「雑誌を遊ぶ-編集者松坂青渓とその軌跡」などの論文で構成され,プラトン社をめぐる通史および出版関連史,デザイン面からの論考,阪神間の風土的文化的な背景と出版文化などについて論じ,プラトン社についての貴重な共同研究となっている.このうち,小野氏の論考は,プラトン社について,濃密に丹念に熱く関連資料周辺資料を収集して論じているが,少し前に復刻された『女性』の解説として書かれた津金澤聡廣氏の論考にも言及してほしかったという要望があった.西村氏の論考は,プラトン社のデザインについて,借り物の論及でなく,デザイン史自体から論じようとしている姿勢が評価される.明尾氏の論考は,『女性』が『女学生画報』から引きついだ大阪の女性誌であるという問題を指摘し,阪神間出版文化について論及しているが,大阪・東京の二元論的色合いが強調され過ぎているという批評があった.しかし,本書は,これまで研究書のなかったプラトン社について関西の研究者が協力して研究したという意義があり,今後のますますの研究の進展が期待されるので,奨励賞として顕彰することとした.

 [受賞の言葉]

 受賞の言葉  小野高裕

 このたび,私ども(小野高裕,西村美香,明尾圭造)の共著『モダニズム出版社の光芒/プラトン社の1920年代』に対して日本出版学会賞奨励賞をいただき,まことに光栄に存じます.私(小野)がプラトン社なる出版社の存在を知ったのは,少年時代母からの口伝によってでしたが,初めて『女性』の実物を手にしたのは大学時代でした.刊行物を収集するようになったのは,およそ十六,七年前からで,ちょうどその頃,出版学会の関西地区勉強会にお邪魔して,会員の方々からご教示を受ける機会がありました.その後,『女性』,『苦楽』,『演劇映画』,単行本,印刷部門が請け負ったパンフレット等,相当数を手元に集めることができましたが,1995年阪神大震災で自宅が全壊し,それらの資料を安全な場所に保管するために奔走しなければなりませんでした.
 5度目の転居でやっと住まいが落ち着いたその年の暮れ,突如出版学会から公開講演会「京の書肆・大阪の書肆」(1996年2月24日,学芸出版社ホール,京都)でプラトン社について話をしないかというご依頼をいただき驚きましたが,初めてそれまでの資料をまとめる機会を得ました.その時,初対面の私に「プラトン社の本を書きませんか」と勧めて下さったのが,今回編集にご協力いただいた高橋輝次氏でありました.
 一出版社の活動について語ることは,その時代のあらゆる側面からの分析が必要であり,とても私一人の手におえるものではないと思っておりましたが,翌年10月に神戸・芦屋・西宮で開催された「阪神間モダニズム展」の企画に郷土史研究者として参画したことが機縁で,西村美香氏,明尾圭造氏との面識が生まれ,高橋氏の提案された出版企画を共著の形で進めることになりました.それから1年余りの準備期間は,お互いに資料を持ち寄り,プラトン社の刊行物を中心に当時の美術・デザイン界,出版界,文学界について飽きることなく語り合う,まことに楽しいものであったと思います.
 このような経緯を振り返り,私どもの研究が今日まで出版学会の皆様に育てていただいたことに深く感謝申し上げますとともに,今後ともよろしくご指導のほどお願い申し上げます.

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