追悼・箕輪成男氏 (会報136号 2014年1月)

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■追悼・箕輪成男氏


〈箕輪成男氏 略歴〉


1926年 東京都生まれ
1950年 東京大学経済学部卒業
1951年 同大学院を経て,財団法人東京大学出版会の創設に参加
1958年 財団法人東京大学出版会理事就任,62年同専務理事,75年同相談役
1976年 国際連合大学学術情報局長兼出版部長
1986年 愛知学院大学文学部教授
1989年 神奈川大学国際経営研究所所長を兼務
1990年 神奈川大学経営学部教授,91年経営学部長(~93年),94年名誉教授
1990年 日本出版学会会長(~94年),94年名誉会長
この頃  初代・国際学術出版協会会長
2013年 逝去(87歳)


 去る8月30日当会元会長の箕輪成男氏が老衰のため亡くなられた。11月24日には故人に縁ある人達が神楽坂の出版クラブ会館に集い,「箕輪成男さんを偲ぶ会」が開催された。主催は東京大学出版会,大学出版部協会,日本出版学会,出版ニュース社の4団体。会場には日本出版学会会員を中心に,大学出版関係者や出版業界人など40名近くが参加した。冒頭,主催者を代表して,黒田拓也氏(東京大学出版会専務理事)が学術出版経営者の立場から,川井良介(日本出版学会会長)が出版研究者の立場から,清田義昭氏(出版ニュース社代表)が編集者の立場から,それぞれ挨拶を行い箕輪氏の功績を讃えた。そして,山下正氏(元・東京大学出版会専務理事)が献杯した。また,令夫人の箕輪悦子氏は,「夫はいまでいうイクメンでした」と家庭での様子をまじえつつ参加者へのお礼を述べた。最後には道吉剛氏(ブックデザイナー)が故人との思い出を語り,偲ぶ会を締めくくった。

 


出版学と学会における貢献

川井良介

 日本出版学会第5代会長,名誉会長・箕輪成男先生は,出版学と日本出版学会の発展に3つの大きな貢献をされた。
 第1は,学問としての「出版学」の形成である。
 箕輪さんは,1975年「学になりきれない? 出版学」(『総合ジャーナリズム研究』)というエッセイを発表。これは,当時の学会のメンバーにとっては,大変衝撃的な論稿だった。このエッセイは,「学問と評論は明確に区別する必要がある」というものであった。ただ,評論の例として,その執筆者が分かる形で論じたため,大いに物議を醸した。
 これは,その執筆者を批判するというものではなく,具体的に論じる必要からのことであった。
 しかし,このような箕輪さんの主張は,学問としての「出版学」を志向する必要性を学会内に強く喚起した。後に箕輪さんは,出版学をテーマにした『出版学序説』を上梓している。
 第2は研究部会の誕生である。
 今日,研究部会は,学術出版研究部会から関西部会まで10部会があるが,このような研究部会は,1980年9月に開催された「出版勉強会」に始まる。この勉強会は,箕輪さんの「論文は書きっぱなしではいけない。書いた論文をみんなで検討しなければいけない」という発言から始まった。それで小生と丸田耕三さんが世話人となって,箕輪さんの「出版と開発――出版開発における離陸現象の社会的考察」(『出版研究』第9号)を対象に勉強会が催された。日本マス・コミュニケーション学会で各研究会が始まるのは1985年であるから,出版学会の方が先行している。
 第3は,国際出版研究フォーラムの活性化である。
 今では国際出版研究フォーラムは,日中韓の3カ国の研究発表会になっている。しかし,1989年,第4回出版研究フォーラム(東京)は,箕輪さんの豊富な国際的人脈によって,日中韓だけでなく,香港,シンガポール,インドネシア,スリランカ,カナダ,ブラジル,イギリスからも参加をみた。これには,国際学術出版協会会長や国際連合大学学術情報局長のキャリアが生かされたのだろう。
 1997年の第8回国際出版研究フォーラム(東京)でも,日中韓以外にも,マレーシア,フィリピン,アメリカ,オランダ,ガーナの方々が参加した。この時は協賛金の集まりもよく,海外参加者を伊東~箱根の1泊バスツアーに招待したことがあった。箕輪さんは奥様の悦子さんを同道させ,接待に努めたことがあった。
 しかし,その後,小生ら後進の力不足もあって,国際出版研究フォーラムの参加国が限定されてしまったのは残念でならない。
 このように箕輪さんは,出版学と学会において,大きな貢献をされた。ここに,大いなる感謝を捧げる次第です。

 


箕輪成男名誉会長を偲んで

植村八潮

 2013年11月,東京大学出版会,大学出版部協会,日本出版学会,出版ニュース社が世話人となり,「箕輪成男さんを偲ぶ会」が催された。晩秋にしては暖かな日に,奥様とお嬢様,それに箕輪さんの遺影を,お迎えできたことが何よりだった。世話人4団体は,いずれも箕輪さんが情熱を注いだ関係にある。出版ニュース社は,『パピルスが伝えた文明』に始まる一連のライフワークとなった書籍を刊行している。日本出版学会における活躍は,私よりも古くからの多くの会員が知るところである。なかでも親しくされていた川井会長が別稿で詳しく書かれている。
 東京大学出版会は若き箕輪さんが,高い理想のもとに設立に尽力した学術出版社である。同出版会の専務理事になって直ちに取り組んだのが大学出版部協会の設立だった。初代幹事長として,生まれたての協会の基盤を作り,ほどなく海外大学出版部協会と結びつけ,国際的な視点を学術出版の世界にも持ち込まれた。
 私が箕輪成男さんを知ったのは,東京電機大学出版局で働き始めてから,10年ほどたってからのことである。箕輪さんは神奈川大学の専任教員になっていて,私にとっては雲の上の人だった。大学出版部協会の顧問に就任されていたので協会の懇親会でお見かけする機会もあったが,恐れ多くて声をかけることもなかった。その後,出版学会の会員になって挨拶する機会があったが,自己紹介したあと何を話していいのかわからず,「電子出版について勉強しています」とだけ話して,そそくさと前を辞した記憶がある。
 箕輪成男さんと,“さん”付けで書き出したものの,私にとっては,出版学の大先生であり,出版界の大先輩である。会員になって初めて参加した2000年度春期研究発表会で,箕輪さんは「直観と愚考」と題した特別講演を行っている。自らを「晩学の徒」と称しながらも,出版研究に対する「学問の基準」を厳しく明確に語り,畏怖の念すら抱いた。「会報100・101合併号」に執筆した講演報告は,次の言葉で締めくくられている。
 「ディジタル時代を迎え,出版の世界はいまや大きく変貌しようとしています。この激動の時代に出版事業のあるべき姿を模索する人々に対し,有効な助言を提供できるのでなかったら,出版学会に次の10年はないと思われます。」
 さて,それからの10年を研究者のまねごとをしながら出版事業者として,私はどのように過ごしてきたのか。さらに次の10年のただ中に大学教員として転職した私は,どのような助言を出版人にできるのか。途方に暮れながら,箕輪さんの果たした役割と存在の大きさについて,改めて思うのである。