“八木書店”と私の50年
八木 壮一
八木壮一さん(八木書店会長、日本出版学会監査役)に「八木書店の歩んだ道と再販制度、古本・ブックオフ、インターネットとのかかわり」を回想していただきました。八木書店は出版社、取次、バーゲンブックの売買、古書店の仕事をしていることから業界の中では独自の位置にあります。その視点からの貴重な見解を伺うことができました。参加者は、会員21名、一般9名の計31名(会場:東京電機大学出版局)。
1.私の50年、八木書店の79年
創業者の父・敏夫は、神戸の新刊書店に勤めていましたが、昭和4年(1929年)に、当時の“一誠堂書店”番頭の反町茂雄氏の面接を受けて上京しています。不況の出版界の「円本全集」合戦の後に出た『岩波文庫』が発刊されたころのことです。
朝早くから夜遅くまで「高買いの敏ドン」と呼ばれて働いたそうです。
昭和9年(1934年)に『日本古書通信』を創刊したのが八木書店の創業です。その後、六甲書房という屋号で古書売買や出版社の在庫買い取りなどの商売を始めました。来年が“80周年”の年に当たります。
戦後、新刊部門を併設し、屋号を八木書店と改称したのが、昭和28年(1953年)のことです。父が創刊した『日本古書通信』を叔父の福次郎が育て、昨年の11月15日の発行で1000号を迎えました。叔父は、1000号を待たず96歳で他界したのが残念でなりません。今は、私が発行人ですが、「紆余曲折があり、よくぞここまで続けてこられた」と“感慨深い”ものがあります。
私は、昭和13年(1938年)に神保町で生まれました。兵庫県明石の先の二見小学校、神奈川県逗子小学校を経て錦華小学校(現お茶の水小学校)を卒業しました。
その後、立教大学を出て証券会社に2年勤務後、昭和38年(1963年)に、この業界に入り、 昭和59年(1984年)に“創業50周年”を機に社長を継ぎ、昨年、社長を退き、会長職になりました。
八木書店は、書物に関する4つの部門を持って仕事をしています。
一番面白いのは古書の取り扱いで、奈良時代の『荘園図』など美術の市場で“落札”し、展示したいところへ納める仕事です。
次に、特価本、自由価格本、アウトレット本などを供給する、いわゆる“バーゲンブック”の販売です。
三つ目が、人文書を中心とする出版の仕事です。日本の古い書物に接する機会が得られて有意義な仕事ですが、採算を取ってゆくには、きわめて専門的に特化した特徴のある商品の開発に努力しています。
四つ目が神保町にある書店の存在です。先生方、お客様、古書店人、出版人の方々との交流が取れ、厳しい中にも楽しい日々を過ごしています。
2.バーゲンブックの歴史と再販制度
明治20年(1887年)に博文館が創業して大量出版を行い、近代的な出版流通が始まっています。大量出版が始まれば「売れ残り」の問題も出てきます。そこで、売れ残った商品を買い受けて、街頭や鉄道の中などで販売する業者が現われました。
その後には、返本された書籍を全国の書店や古本屋、露天商、荒物屋、駄菓子屋などに売っていくルートも作られました。
博文館発行の人気雑誌『太陽』は、明治39年(1906年)に「図書大減売」の折り込み広告を出して特売も行っています。
これらの行為が、バーゲンブックの源流になっています。
大正15年(1926年)ごろには、一冊一円の「円本」が流行し、円本合戦になりましたが、昭和5~6年(1930~31年)ごろには返本の山が築かれました。版元の倉庫にあふれた返本は数店の卸店が買い受けて、帝国図書普及会による特価本即売会などで販売されました。その即売会は全国の百貨店のほか、朝日新聞に広告を出しての通信販売も行われていました。
戦後、昭和22年(1947年)に「独占禁止法」が制定されたあとにも、大量生産された書籍は、八木書店を含めて、さまざまな業者によって、デパートの特売会などで販売されていました。
独占禁止法が改正されて、出版物などの「再販売価格維持=定価販売」が認められたのは昭和28年(1953年)のことです。
しかし、当時の出版界はこの改正をすぐには取り入れませんでした。新本の割引販売は、その後も続き、実際に「再販契約書」を取り交わしたのは昭和31年(1956年)のことでした。この後、新刊書店に並んでない本をディスカウントして売却した版元に対しては“注意状”が送られるなどして、「再販制度を崩しかねない行為」として監視の目が向けられ、定価販売が厳格に運用されるようになっていったのです。
そして、昭和53年(1978年)、当時の公正取引委員会の橋口収委員長が“再販制度の見直し”を表明しました。公取委が再販運用の弊害を指摘して、現行の「新再販契約」が発効したのは2年後の昭和55年(1980年)のことです。この「新再販契約」によって、再販の対象となるのは、「定価」と表示された書籍に限られるようになり、その表示を抹消した場合は「末端価格の拘束を解いた商品」として扱われることになったのです。ここから“新しいバーゲンブックの歴史”が始まったといえます。
しかし新再販契約の発効当初は、その手続きが煩雑であったため、非再販商品はなかなか増えませんでした。そこで出版界は、それ以前からバーゲンブックを扱っていた八木書店を交えて、この制度をどう運用していくかという検討を重ねていきました。そうした中にあって、公取委の承認を得て「出版物の価格表示等に関する自主基準」などが制定されてきたのです。
公の仕事として秋の“古本祭り”“神保町ブックフェスティバル”の仕事を続けてきました。神田古書店連盟の役員として、ホームページを立ち上げ、 「ブックタウン・神田」や「BOOK TOWNじんぼう」のリリースにも努力しました。
世界に誇れる“本の街 神田神保町”を「何とか元気にしたい」と思っています。
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八木さんの講演は、「商品管理のコンピュータ化、ブックオフ、稀少本の電子出版」など興味深いお話が続き、質疑も活発に行われた。
(文責:出版流通研究部会)