『週刊読書人』と私の50年 植田康夫 (2013年11月19日)

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■出版編集研究部会 発表要旨 (2013年11月19日)


『週刊読書人』と私の50年-エディターシップと「知」の創生


植田康夫
(上智大学名誉教授/読書人代表取締役社長)


 研究会では1962年,書評新聞『週刊読書人』に入社されて50年,作品を生み出す作家たちの文化動向を描き,「知」の創生の場で活躍し,編集者の役割を追い続けた「編集者・植田康夫氏」のエディターシップをご報告いただきました。
 (参加者13名/会員11名,一般参加者2名,会場:日本大学本館5階152号講堂)

■発表要旨
 今日は私が上智大学に入学し,「週刊読書人」と出会ったきっかけ,どのような仕事をしてきたのかについてお話をしたいと思います。「週刊読書人」は今年でちょうど創刊55周年です。創刊年の昭和33年は私が上智大学文学部新聞学科に入学した年であり,創刊号を大学の近くの書店で手に入れ,以降ずっと購読しておりました。創刊号の1面を見ると,佐藤春夫の書評論など非常に豪華なメンバーが執筆しており,なかなかバラエティに富み,連載も充実していた,そういう新聞に私は出会ったわけです。
 私は中学校,高校生の頃大きな影響を受けた2冊の本があります。1冊目は中学の頃,田舎で取り寄せて読んだ小川菊松さんの『出版興亡五十年』,2冊目は酒井寅吉さんの『ジャーナリスト』でした。小川さんは誠文堂新光社の創業者で,出版界の変遷,自社の変遷を書いており,今読んでも現場で役立つ面白い本です。酒井さんは戦前朝日新聞に,戦後は産経新聞や東京新聞に移りましたが,『ジャーナリスト』からはジャーナリズムという仕事が単なる他の仕事とは違って,倫理観を伴う仕事であることを教えられました。この2冊の影響を受けながら私は将来ジャーナリズム関係の仕事に就きたいと思うようになり,上智の新聞学科に入りました。そして卒業の年の3月,週刊読書人の編集者募集があり,試験を受けて入ることになりました。
 入社後はレポートや書評ページを担当しましたが,昭和38年,入社2年目に「戦後史の遺産の継承」という思想の科学研究会の討論会のレポートを執筆しました。その時の報告者の一人だった見田宗介さんは当時大学院生だったのですが,戦後史について鋭く洞察されていたので,1面に「戦後体験の可能性」という論文を書いてもらい,好評でした。
 印象に残っているのは三島由紀夫さんのインタビューです。川端康成,石川達三,有吉佐和子さんとのロータリー形式のインタビューでした。また,「ルポ・ライターの見た戦後史」という題名で梶山季之,草柳大蔵さんに対談してもらいました。お二方とも昭和30年代に出版社系の週刊誌の記事を担当されていたので,昭和40年という戦後20年を迎えた年に戦後週刊誌のリポーターとして戦後日本で起きたこと(安保闘争,東京オリンピック,松川事件など)を語っていただきました。
 さらに草柳グループの松浦総三さんを紹介していただき,草柳さんの提案で「戦後史の現場検証」という連載を企画し,事件を取材した経験を持つ方々に執筆してもらいました。その中でも昭和24年に起きた松川事件について当時TBSのプロデューサーだった吉永春子さんにも書いていただいたのですが,これは非常に面白い内容でした。「戦後史の現場検証」は昭和42年1月から始まって,毎週続きました。若き日の田原総一朗さんには三池の問題などを書いてもらい,評判がよかったです。「戦後史の現場検証」の発端は草柳さんと梶山さんとの対談ですが,そこで企画を膨らませていくことができ,企画というのは無から有を作るのではなく,既成のものから立ちあげていくということではないかと思いました。
 昭和42年3月13日号からは「読書人コーナー」「大宅マスコミ塾入門記」を始めました。「読書人コーナー」では寄稿原稿ではなく,自社の原稿で,すべての記事にインデックスをつけました。第1回のマガジンレーダーでは総合雑誌,文藝雑誌が次の号で何を掲載するかを紹介し,新聞広告よりも早く次号の内容を知ることができるというので好評で,今もこの記事は続いています。「大宅マスコミ塾入門記」は大宅塾の第1期生であった私が書いた聴講レポートでした。
 昭和45年には読書人と並行して,週末は『女性自身』のアルバイトでアンカーをやり,そのとき『女性自身』の「シリーズ人間」からヒントを得て編集者,ライターであまり知られてない人物についてスポットをあてる「読書人ヒューマンストーリー」という読物を作りました。この人間ドキュメントは4年くらい続いたのですが,単なるインタビューではなく,ストーリー形式で人物を描いたのが特徴です。昭和45年1月5日号で,発行部数150万部といった当時では脅威的な部数を発行することになった「少年マガジン」編集長の内田勝さんをとりあげたことが印象に残っています。
 昭和45年11月22日は大宅壮一さんが亡くなられ,その3日後の25日は三島由紀夫さんが自決をした日ですが,元々大宅さんの追悼記を1面で用意していたのが,一晩で三島由紀夫さんについて3人の方に書いてもらい,1面で三島由紀夫さん,2面で大宅壮一さんを追悼してもらったという記憶があります。昭和50年8月に大森実さんの「戦後秘史」,10月に哲学者久野収さんと文芸評論家の荒正人さんに「戦後をつくった本」という対談をしてもらいましたが,これは喋りの原稿でした。今ではこういう形は多いのですが,書き原稿があまりにも落ち着きすぎているのに対して,喋り原稿は動きがあり,1面で多くなっています。また戦後ベストセラーの代名詞だった「カッパブックス」を出していた光文社の社長だった神吉晴夫さんにも昭和50年に連載を執筆してもらいましたが,神吉さんは書籍出版においては編集者が主体になると考えた人でした。「読書人コーナー」以外に「ジャーナル'70」という欄や永六輔さんの「活字ジョッキー」が始まり,「活字の内幕」,10年以上矢来神三というペンネームで出版界のことを連載している「活字シアター」があります。
 たまたま手に入れた週刊読書人に入り,平成元年上智に移って15年間専任教員を務めましたが,もう一度編集主幹で現場に戻りました。今年は代表取締役になりましたが,仕事は同じです。毎週仕事にたずさわり,時間が過ぎていきます。読書人という新聞は書評新聞ですが,いろんな体験ができる場所かと思います。
(文責:出版編集研究部会)