取次のいない市場 イランの出版販売から日本の出版産業を考える 岩﨑葉子 (2019年9月9日開催)

■ 出版産業研究部会 開催要旨 (2019年9月9日開催)

取次のいない市場
イランの出版販売から日本の出版産業を考える

岩崎葉子 (日本貿易振興機構アジア経済研究所)

 自分の専門は経済学だが、経済パフォーマンスそのものよりも経済制度のあり方に関心がある。その制度が作られた文化的背景もまた関心の対象である。
 まず経済学の観点で再販制を簡単にまとめてみる。流通チャネル内の各業者が自身の利益を最大化しようと価格設定をすることで、しばしば流通マージンが膨張し販売量が減少してしまう。これを避けるために再販制が導入される。歴史的に見れば様々な商品が再販制で販売されてきたが、自由で公正な競争が是とされる中で「競争法」の視点から見直しも行われてきた。ただし商品の代替性も価格弾力性も低い「本」という商品の特性を前提として流通チャネルが「継起的独占」に近い状態にあると仮定すれば、出版社には再販制を導入する誘因がある。イランにおいても書籍には再販制が導入されている。
 ではイランの出版事情について説明していく。出版社は政府機関、大学出版局、商業出版社、自費出版と幅広い。商業出版社は零細企業も多く、自費出版との線引が明確でない場合もある。内容は専門的なものから読み物まで様々で、海外出版物の翻訳も盛んである。日本の出版物も翻訳出版されている(ただしイランはベルヌ条約に加盟していない)。
 政府機関以外からの出版は許認可制で、「イスラーム文化・指導省」によって検閲が行われる。イスラーム革命直後は厳格な検閲が行われていたが、現在は分野によっては形式的である場合も少なくないという。検閲と同時に、公共図書館や政府機関に配布するために同省が優れた出版物を購入する「買取制度」もあり、これは出版社にとって大きな収入にもつながる。なお2016~17年の一年間で出版許可の下りた書籍は88,619タイトル、発行部数は144,066千冊に登る。出版の中心は首都テヘランで、全タイトルの76%がテヘランで出版されている。
 「出版社・書店組合」に登録されている業者数は2016年時点で約1,200ある。ただし組合が全業者を網羅しているわけではなく、テヘランだけで2,000を超える出版業者がいるとされる。日本の出版産業とちがい、出版社数に比べて書店数が5~6割と少ない。イランには日本の大手取次に該当する業態が存在しない。出版社と書店をつなぐのが「パフシュ」と呼ばれる卸売業者である。入れ替わりが激しいので確定するのは難しいが、常時50~100社程度が活動している。パフシュはそれぞれ特定の専門ジャンルを持ち、出版社の本を仕入れて、各書店に合う商品を置いていく。出版社と書店がそれぞれ数多くのパフシュと取引することで、出版物が市場で動く仕組みとなっている。
 市場支配力がある卸売業者も出版社も不在のため、流通の主導権は書店にある。書店はそれぞれ専門分野を持ち、顧客層の需要を把握して商品を管理している。集荷・在庫管理・販促も書店のイニシアティブで行われている。そのため日本における「総合書店」に該当する業態はほとんど存在しない。流通は「委託」と「買取」が併用される形で運用されている。委託の場合は返本が可能で、期間は商品ごとに異なる。委託期間が終わったあとパフシュが回収に来るが、そのまま書店が買い取ることも多い。イスラーム文化・指導省によって「定価明示」が指示されている(主な目的は「客を見て価格を決める商売」の禁止)ので、基本的には再販制が守られている。モニタリングは困難で明確なペナルティもないが、概ね遵守されているようである。書店は顧客層にあった商品を把握し、顧客との結び付きを強めて囲い込むことで主導権を握っている。そのため、買取制度が主体であっても再販制が維持されており、「多品種少量」生産を支えるビジネスモデルが成立していると言える。
 文化的背景や経済的状況を考えれば、イランの出版がそのまま日本にとって参考になる訳ではない。しかし「コア」となる読者を掴むこと、幅広く全ての消費者を考えるのではなく特定の出版物を購入する一定の層を把握するという戦略は、実は万国共通で有効なのではないだろうか。私見ではあるが、無数の「継起的独占」の健全な維持が一つの可能性を含んでいると考えている。

参加者: 26名 (会員12名、一般14名)
会場: 八木書店本店・6階会議室