大和綴じ(綴葉装)実習 櫛笥節男 (2014年3月26日)

■出版技術・デジタル研究部会 実習概要(2014年3月26日)

大和綴じ(綴葉装)実習――折丁構造の和装本を作る

櫛笥節男
(元宮内庁書陵部図書課勤務,和洋女子大学文学科非常勤講師(書誌学),東洋美術学校・造形美術保存修復学科講師)

 「大和綴じ」は,平安時代から江戸時代にかけて行われた折丁構造を持つ和装本の形態である。厚様雁皮紙(両面書写)の料紙数枚を重ねてから半分に折り,折り目を背として数帖重ね,背の上部と下部にそれぞれ2箇所ずつ綴じ穴を開け,第1折にオモテ表紙を,最終折にウラ表紙を取り付けた後,糸で綴じる製本方法である。
 中国の敦煌遺物にこれに近似したものが存在することから中国で考案されたとする説があり,一方で,平安から江戸期の歌書や物語に多く見られる様式であることから,わが国で考案されたとする説もある。更には,中国の唐時代,景教が伝来したのに伴い,西洋から学んだのではないかという説もあって,この装訂の発生事由については書誌学研究者の間で見解が分かれている。
 わが国では『日本紀略』の醍醐天皇延喜19(919)年に「詔以真言根本阿闍梨贈大僧正空海入唐求法諸文冊子三十帖,安置経蔵」という記事があり,これは大同元(806)年,空海が唐から持ち帰った密教関係の経典を京都東寺に安置せよとの勅命を示している。現存するこの書物の装訂は,わが国最古の粘葉装であり,当時はこの勅命にみられるように冊子に個々の装訂名称はなかったようである。『源氏物語』や『枕草子』などにも,草子,草紙,双紙,造子など同音の文字で表記されていることからもわかる。室町初期,中国で考案された「唐綴」(袋綴)がわが国に伝わり,これに対して,古くから和歌・物語に多く見られる装訂を「大和綴」と呼称するようになったものと思われる。
 その後,考証学者藤原貞幹が寛政6(1794)年『好古小録』雑考・坤において,中国明代の方以智撰『通雅』の「粘葉。謂之」を引用して「粘葉ハ胡蝶装也」と記し,これより「胡蝶装」と「大和綴」に呼称の混乱が起こることとなった。
 明治期辞典類の記述などでも呼称の混乱は収まらず,「綴葉装(てつようそう)」「列帖装」という新造語も生み出されたが,解決には至らず今日に至っている。
 この装訂を「大和綴」と呼ぶ史料としては,江戸初期写『山下水』(宮内庁書陵部蔵),鷹司政通等写安政4(1857)年写『奥尽抄』(同上所蔵),江戸期写『宗于集』(前田育徳会尊経閣文庫所蔵)等に記述があり,その証左とすることができる。
 さて,本研究会では,この装訂の冊子を実作するべく,講師があらかじめ1人分ずつに裁断して持参した材料を用い,解説プリントに従って,講師が作業の手本を示した後,参加者が行うという流れで実習を行った。実習に使用した材料は,色上質A4判9色9枚(本紙),細川紙中口を裏打ちした京千代紙2枚(表紙),装飾料紙2枚(見返し用紙),ウコン染め絹糸2本(綴じ糸),縦長装飾料紙(題簽),正麩糊で,道具はハサミ,竹へら,針4本(ふとん針0号),刷毛,綴じ穴用型紙を用いた。
 製本手順は,本文紙折り(3帖),綴じ穴開け,見返し付け,表紙付け,糸綴じ,題簽付けで,天地21センチ・左右14.8センチの本文3帖の大和綴じの書物を作成した。
 作業しながら,この技法が行われた時代背景や名称の解説,本文書写に使われた道具の紹介や解説等を行い,補足説明として,現代機械製本の糸かがりの糸の進行と大和綴じの糸の進行との差異について解説した。
(文責:櫛笥節男,田中栞)