明治前期の京都における情報発信に関する試論 樋口摩彌 (2014年11月7日)

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■雑誌研究部会 発表要旨(2014年11月7日)


明治前期の京都における情報発信に関する試論
――約80種の雑誌の発行状況を手かがりに


樋口摩彌
(同志社大学大学院社会学研究科博士後期課程)


1.発表概要・視点
 本報告は,明治1~20年の京都における雑誌の発行状況を概観し,京都の情報発信空間を浮かび上がらせる試みである。これまでの雑誌研究はなんらかのテーマに関する内容分析が多かったが,本報告は特定のテーマに特化しない。また,同時期に京都で発行された新聞も考慮することで,網羅的に京都における出版物による情報発信空間を捉える。なお,先行研究としては,宮武外骨や瀬木博信があげられるが,調査から時を経ており,網羅性などにも問題がある。本報告では,明治1~20年に京都で創刊された全雑誌80誌と,同時期の京都の新聞20紙を対象に,その発行所や印刷所,内容について考察する。
2.京都で発行された雑誌の全体像
 発行年・刊行時期で雑誌を分析すると,発行期間は短命なものから長期にわたるものまで様々である。ただし,新規の刊行が集中している時期としては,明治9年中盤から翌年中盤,明治11年中盤から翌年中盤,そして,明治15年終盤の3時期が指摘できる。内容は,漢文や戯作などの文芸が多いが,論説や科学,教育など様々なテーマの雑誌が発行された。明治8年までは木版印刷が主流だが,9年からは活版印刷が主流になり,技術転換がみられた。
3.7つの印刷所にみる雑誌発行の概観
 奥付等から判明した7つの印刷所について,分析を行った。各印刷所の経緯や印刷した雑誌などを検討した結果,印刷所ごとに同系統の雑誌を発行した傾向がみてとれ,印刷所が同一ジャンルの情報のハブとなっていた可能性が示唆された。
4.新聞・雑誌間を行き来する人物
 当時,これらの雑誌に関与していた記者や編者,印刷人として,中川重麗,久保田米僊,藤本俊随の三名に焦点を当て,複数の雑誌における活動について検討した。
5.おわりに
 これらの分析のまとめとして,民権論系雑誌と戯作系雑誌,それぞれについて印刷所との関係性を考察し,その住み分けを指摘した。また,活版印刷以後の新興印刷所への転換の流れを浮き彫りにした。さらに,書き手や読者などの支店からも,当時の京都における出版文化を考察した。
 なお,討議の時間を多くとり,報告後はフロアの参加者から,様々な質問や意見が寄せられ,活発な議論がなされた。
(文責:玉川博章)