ポピュラー音楽と雑誌――『中村とうよう 音楽評論家の時代』をめぐって 田中勝則 (2018年3月8日)

■雑誌研究部会 開催要旨 (2018年3月8日)

ポピュラー音楽と雑誌――『中村とうよう 音楽評論家の時代』をめぐって

田中勝則 (音楽評論家)

 1969(昭和44)年4月、音楽評論家の中村とうよう氏によって創刊された『ニューミュージック・マガジン』(1980年1月号より『ミュージック・マガジン』。以下『NMM』)は、フォーク、ロックをはじめとする新たな時代の新たな音楽を文化、社会との関わりからクリティカルに論じた批評誌であった。同誌にはミュージシャンや評論家等の音楽関係者のみならず、作家、詩人、随筆家、演劇関係者など多くの論者が寄稿し、雑誌は日本語とロックのビートの関係性をめぐる問題から基地問題についてまで、音楽に止まらない様々な議論を提供する文化、社会の場となっていた。
 本研究会では、音楽への比類なき知識と情熱、強烈な個性をもって『NMM』そして戦後日本のポピュラー音楽評論の世界を切り開いていった中村氏の身近で長年仕事をし、その足跡を丹念に調査、分析して『中村とうよう 音楽評論家の時代』(二見書房)としてまとめられた音楽評論家の田中勝則氏を報告者としてお招きし、音楽専門誌を通じて見えてくる戦後の雑誌メディアの位相を探った。研究会前半では、まず田中氏より中村氏の生まれ育った時代や環境、1969年という時代に中村氏が『NMM』というメディアを創刊した意図とその時代背景、同誌が大きく伸長した1970年代から1980年代という時代に音楽、雑誌が置かれていたメディア環境、さらには音楽評論という仕事を成立させていた当時の時代環境についてなど、様々な角度から論点が提出された。中村氏そして『NMM』というメディアの特異性もまた時代の大きな動きと無縁ではなく、また雑誌をスタンドアローンな媒体としてではなく、音楽、ラジオ、テレビといった複数のメディアの絡み合いの中で重層的に捉えていくことの重要性が改めて認識されることとなった。
 研究会後半では議論はフロアに開かれ、『NMM』と競合他誌との相関、ライナーノーツという日本の音楽文化独自のメディアについてなど、17名の参加者(会員9名+非会員8名)による活発な意見交換を通じて視点はさらに幅広く展開していった。本会を通じて得られた貴重な論点(音楽文化のアーカイブをめぐる問題について等)については、今後も継続的に議論を重ねていきたい。

日時: 2018年3月8日(木) 午後6時30分~8時30分
会場: 日本大学法学部三崎町キャンパス 2号館2階222教室

(文責:山崎隆広)