特別報告 出版史研究の手法を討議する:明治期の出版史料について(1)

特別報告 出版史研究の手法を討議する:明治期の出版史料について(1)

磯部敦(奈良女子大学)

出版史研究の現状

 出版史研究という名称は市民権を得ているようで、じぶんの専門を説明するときには便利だから使ったりもするのだけれど、その内実が千差万別なのはさておき、史料の発掘や再発見、アプローチのしかたはいまだ個人技に多くを依っているというのが現状だろう。わたしの理解では、本学会関西部会のテーマ企画「出版史研究の方法を討議する」の問題意識はそこにある。本企画が機能しているのも、参加者が、個別の研究成果よりも共有を念頭に議論しているからであるように思う。
 さて、わたしが「出版史研究の手法を討議する―明治期の出版(社)史料について―」(2015.9.15関西部会報告、日本出版学会HP、文責は中村健)において提案したのは、職業案内本と紙型の出版史料的価値であった。まずは職業案内本について述べてみたい。

職業案内本の出版史料的側面

 職業案内本とは文字どおりの書物のことで、書物関係業に限らず、質屋や郵便配達など各種職業の賃金や労働時間などが記されている。原巷隠編『各種営業 小資本成功法』)(博信堂、明治41年〈1908〉)掲載「新聞雑誌広告募集業」より一例を掲げておこう。

 店を構へ、看版を掲げて新聞雑誌の広告取次業を営むには多額の資本が必要であるが、其等の広告取次業者と特約を結んで、自分で広告依頼者から広告の原稿を受取つて来て、それを取次業者へ渡し、取次業者と依頼者との中間に立つて利益を収める広告募集業ならば、資本と云つては十五円か二十円もあれば充分で、其資本金は、中古の洋服一着、靴、帽子、折鞄を求めるに費ふのである。
 漸次自分の得意が出来れば、腕次第で利益は随分多く得られぬ事もないが、競争の激しい今日であるから、取扱高即ち得意先から受取る広告料金の一割位の利益と思はねばならぬ。即ち三百円だけの広告を扱へば三十円位の利益である。
 極て図々しくして、断られても断られても頼みに行き、漸次に先方との懇意になつて、義理にも広告を頼ませるやうにする事と、直段の知れてゐる物は元値迄割引して無手数料で取扱ひ、直段の極く安い小新聞や雑誌への広告を直を好く取つて儲ける事と、広告料金の支払の不確実な家へは寄付かぬ様にする事とが此業の秘訣である。(pp.12-13)

 具体的といわれれば具体的であるが、では実際はどうなのかといわれると何も答えられない。商売上の苦労や経営の失敗が語られることはなく、儲けとうま味を徹底して前景化したこの記事は職業案内本の典型といってよい。
 こうした職業案内本の記事に対しては、二方面からのアプローチがあるように思う。ひとつは、それらの記事群が成立しうる時代背景の考察、すなわち、紹介されている職業記事のどのような表現がその時々の立身出世や独立自営といった欲望をくすぐっているのかを分析することである。これについては、拙稿「職業案内本の〈近代〉、あるいは時代閉塞の現状について」(前田雅之・青山英正・上原麻有子編『幕末明治―移行期の思想と文化―』、勉誠出版、2016)で分析を試みた。印刷業や製本職が立身出世の文脈で語られる際にはベンジャミン・フランクリンやマイケル・ファラデーが引きあいにだされることが多いのだが、記事中に名前が挙がっていなくとも、同時期刊行の海外偉人伝を補助線とすることで彼らが期待の地平として職業案内本にも内包されていること、また明治三十年代頃、とりわけ日露戦争後から顕著になる「独立自営」のキーワード化とともに職業案内本から職工が姿を消し、かわって書籍出版業などまさに「独立自営」可能な職業が前景化してくることなどについて論じた。
 もうひとつは、これら記事の量的分析である。先の引用からも明らかなように、職業案内本の出版史料としての限界は記事そのものの信憑性にある。たとえば「是れを編する唯其業に関係する人に就き、之れが説明を求めしに過きざれバ、或ハ事大体のみにて細密に渉らざる者もあらんか」(林松次郎編『立身就業 出世案内』)須原屋支店、明治25年〈1892〉、序文p.2)とあるけれども、「其業に関係する人」とは誰なのかについては言及されていないため、記事の妥当性について判断することができないのである。情報ソースの不透明性は信憑性をいちじるしく低下させはするけれども、だからといってこれらを無視することができないのは、そこに儲けの数値や舞台裏、立地条件などが記されているからだ。おなじく原巷隠編『各種営業 小資本成功法』)(博信堂、明治41年〈1908〉)掲載「貸本業」より一例を掲げてみよう。

 東京ならば山の手辺では新刊の小説本、小説雑誌類の人気の鋤い物を敏捷(すばや)く仕入れ、下町辺での営業ならば講談物を主な品とし、下宿屋廻りをするには今の自然派小説類が最も向が好いのである。営業場所に依つて向の如何を考へ、向の好い物は敏捷(すばや)く仕入れて客の嗜好に投ずるのが、此業の秘訣であらう。(pp.22-23)

 このような、同業者間で共有・継承されているような意識や傾向に属する問題は経験談などから抽出可能であろうが、すべての談話で言及・記録されているわけではない。後世のインタビューも貴重な証言となるが、それがどこまでさかのぼって適用できるのかとなると、もうひとつ別の補助線が必要となってくる。こうした状況に鑑みても、職業案内本の記事もまた出版史料としての可能性を有しているように思うのである。
 惹句が惹句として機能するには、ある程度の一般性を有していることが前提となる。数値なり傾向なりに現実味がなければただの笑い話でしかない。であれば、その現実味なり一般性は量的側面から抽出可能なのではないか。同業職種に関する記事を列挙することで見えてくる共通項や平均数値こそ一般性なり現実味といえるのではないか。そのためにはひたすら入力し、データを並べ、多方面からの意見を募るしかない。これはわたしも始めたばかりで分析できるほどの量を有していないが、いずれ何らかのかたちで提供できればと考えている。

(つづく)