特別報告 出版史研究の手法を討議する:文学研究と出版・検閲研究の接続点(2)

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特別報告 出版史研究の手法を討議する:文学研究と出版・検閲研究の接続点(2)


牧 義之 (長野県短期大学助教)


3、〈文学〉からの検閲研究

 筆者が取り組む検閲に関する先行研究としては、奥平康弘「検閲制度(全期)」(『講座日本近代法発達史』11、勁草書房、1967年5月)や内川芳美『マス・メディア法政策史研究』(有斐閣、1989年6月)、江藤淳『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』(文芸春秋社、1989年8月)等が必読文献として挙げられる。これらに対する継承と批判、新たなる知見・資料の発掘を繰り返しながら、現在の研究が積み上がってきている。

 検閲は、当時の出版法制に則って実施されたものであるが、その研究は、実は〈出版〉を含む歴史研究からではなく、〈文学研究〉者を中心に行なわれている、という実態がある。近年、以下のグループおよび個人が研究をリードしている(グループ名は便宜的に付けた)。構成の要因には、主宰者の勤務先やプロジェクトの主たる目的、研究対象の相違等が挙げられるが、派閥というほど明確な線引きがあるわけではなく、複数のグループに参加する研究者も多い。

(1)日本大学グループ:韓国との共同研究、『検閲の帝国 文化の統制と再生産』(国際派)
(2)早稲田大学グループA:十重田裕一ら、『検閲・メディア・文学』(マクロ視点)
(3)早稲田大学グループB:20世紀メディア研究所『Intelligence』、プランゲ文庫目録整理
(4)浅岡邦雄グループ:官憲資料の発掘・調査を軸に実態解明。内務省委託本研究(ミクロ視点)
(5)その他:特に上記のグループには属さず、独自に研究を続ける者。河原功(『翻弄された台湾文学 検閲と抵抗の系譜』)、西尾幹二(『GHQ焚書図書開封』)、佐藤卓己(『言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』)等。

 (1)(2)は理論から、(3)(4)は資料からのアプローチを軸にしている。経済学、社会学からの参加が中心の(3)を除いて、(1)(2)(4)を構成する研究者の多数が、〈文学〉を専門的に行なっている点は注目すべきである。〈文学〉のみが検閲の影響を受けた訳ではないが、作家の周辺資料や作品外の言説(エッセイ、日記、書簡等)を参照すれば、他の学問分野と比較しても、格段に影響関係がよく見え、考察し易い、という点がある。言い換えれば、フィクション(文学)に対する制限を、ノンフィクション(出版を含むメディア)を踏まえて考察する、ということだが、これが検閲研究に〈文学研究〉者が多く参加される理由である。


4、筆者の手法

 ここで筆者の手法を少し詳しく述べてみよう。主としては、検閲制度が文学作品に与えた影響について、資料に基づき考察を行なっているが、作家に限らず、新聞記事や後の回想等から、当時の編集者(作品の生成に加担する人間)の思惑を拾い上げることを重要視している。それは、当局による処分(発売頒布禁止や削除)への対抗策がどのように行われたのかを実際に即して考察する際の裏づけになり得るためである。

 また、官憲資料が皆無に近い状態であるために、今日まで不明な部分が多かった大正時代における「内閲」の実例や「分割還付」について、当時の当局側の動きを丹念に辿りながら、どのような過程を経て定着していったのかを探った。

 これらは、単にある作品が「発禁になった」、あるいは「言論弾圧を受けた」と言われながら朧な形で検閲が語られがちな〈文学研究〉の状況に対して、より実際に即した作品の生成を探ることが、筆者の研究目的にあるためである。図書館である媒体を一冊見ただけでは分かりにくい当時の出版活動や、出版物流通、出版に関る法制度の実際に目を向けることで、当時の言論人、出版人が関らざるを得なかった検閲を、よりリアルに浮かび上がらせ、文学作品がいかなる条件の下に生成されたのかを探ることが、拙著において試みた研究課題である。

 内務省を中心とした検閲制度が実施されたのは、戦前・戦中期の約70年間であり、拙著における時代設定も、これに準じることになる。検閲制度を通史的に考察するために着目したのが、伏字記号の変遷であった。発表時期が異なるいくつかの作品から伏字の使用傾向を分析することで、その定着や活用事例、時期における当局の対応など、検閲による影響が大きく形として表れた部分への比較考察が可能になる。この手法によって、生成・受容の側面から検閲制度を捉えることができた。

 
5、まとめにかえて

 ここまで、拙著における研究手法を辿りながら、〈文学〉と〈出版〉研究の接続について、粗いながらも述べてきた。そもそも〈文学研究〉は、すでに整理された個人全集や書誌情報といった、ベース成果に乗った上で行われている(物語分析=ミクロ視点が主)。その一方、〈出版研究〉は社史などを扱う(もしくは歴史として組み立てる)点で、根本的にマクロ視点のベースとなる研究であり、他(多)領域に参照されるべき成果が期待されるものである。拙著における〈文学〉と〈出版〉研究の接続例としては、国立国会図書館内交本を用いた、萩原朔太郎『月に吠える』の「内閲」の可能性の指摘と、正式な発行日の確定がある(第3章)。従来の「禁止処分」説を間違いであったことを出版の流れから明らかにしたものである。

 読解の更新を目的とし続ける〈文学〉の大前提部分へ、〈出版〉研究がメスを入れるのは困難であるが、〈文学〉が見落としてきた情報を、〈出版〉研究の手法を活用すれば、気がつくことができる。検閲研究は、両手法が影響しあいながら考察を深めつつある、格好の事例であると言える。

 (おわり)

※次回より磯部敦会員の連載が始まります。