特別報告 出版史研究の手法を討議する:文学研究と出版・検閲研究の接続点(1)

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特別報告 出版史研究の手法を討議する:文学研究と出版・検閲研究の接続点(1)


牧 義之 (長野県短期大学助教)


1、文学研究と出版研究

 日本近代文学を専門とする筆者は、2014年12月に『伏字の文化史―検閲・文学・出版』(森話社)を上梓した。戦前・戦中期の約70年間に実施された日本の検閲制度が、文学作品の生成や流通に与えた影響について、伏字記号の使用パターン、時期ごとの傾向や変遷、出版法制との関連等に着目して、考察を行なったものである。伏字を用いる習慣が失われた戦後占領期の特徴を捉えるため、現代の領域に属する言説も、考察対象に含んだ。

 拙著は、〈文学研究〉の一端として提出したものであったが、その研究手法は、特定の作家・作品を研究対象と据え、読解の多様性を提示し続ける典型的な〈文学研究〉とは、相当に趣を異にする。端的に言えば、〈出版研究〉を活用して文学を捉えたのが、筆者の手法である。本連載ではこれまでに、雑誌研究を軸とする中村氏、田島氏、中川氏が、自身の手法を客観的に捉え直しつつ、文献データの引用・参照とともに、今後の〈出版研究〉の可能性を探る試みを行なってきた。本稿では〈文学研究〉の立場から、〈出版研究〉との関係性や接続の可能性について(やや偏った見方をしつつ)考えてみたい


2、研究成果をどのように見せるか

 筆者の研究手法における大きな問題は、成果を〈文学研究〉として示すのか、あるいは〈出版研究〉として示すのか、という点にあった。研究対象である文学作品は、読解を主たる目的とするものではなく、分析対象としてのある時代性を反映する言論の一部である。これが、拙著における〈文学〉の捉え方であり、研究手法の前提としての位置づけである。

 しかしその一方で、伏字を施された作品や媒体によって、同時代の読者がどのような影響を受けたのかについて、受容・読解可能性の言及も行なった。ここでの「読解可能性」は、解釈の幅(読解行為への作品の耐久性)ではなく、ストーリーのどの部分までが理解可能なものとして流通していたのかを考える、歴史的観点からの受容分析である。このように、〈文学〉と〈出版〉研究の間を行き来しつつ考察を行うのが、拙著における研究手法であり、見せ方である。当然、扱う情報量や探索すべき範囲は多くなり、整理をした上で資料の意味や価値を示さない限りは、データのみの散漫な成果になる恐れがある。これを拙著では、章毎に扱う時代、作品、問題を絞り、かつ「資料編」は付けずに文章中、あるいは注に必要なデータを全て入れ込み、そして前後の章との関連性を(繰り返すことによって煩雑な印象を持たれる恐れもあったが)明示することによって、通読して戦前・戦中期の傾向が浮かび上がるように心がけた。

 では、本来は近い位置にあるとはいえない〈出版〉と〈文学〉研究とは、どのように接続され、両者の視点を融合させることが可能なのだろうか。〈文学〉を芸術研究の対象として捉えた場合、到達地点は既出読解結果の更新(乗り越え)である。これがいわゆる典型的な文学研究である。この際に使用される本文(底本)は、校訂を経た全集本文であることが大原則である。オーソドックスな研究手法をやや乱暴に言い換えれば、初出メディアの時代性の多くを削ぎ落とした本文によって、芸術の普遍性・通時的な要素を見出そうとする試み、と言える。

 しかし、当時立教大学教員であった前田愛(『都市空間のなかの文学』『近代読者の成立』等)が精力的に仕事を行なっていた1980年前後に、〈文学〉が〈出版〉研究を意識し始めた。後に続く永嶺重敏(『雑誌と読者の近代』)等)、紅野謙介(『書物の近代』等)、和田敦彦(『メディアの中の読者』等)らによる〈出版〉(メディア)研究を踏まえた言説分析は、全集本文を専らに参照するものではなく、むしろ初出時の時代性に着目ながら作業を行なっている。拙著においても、作品の掲載誌を複数収集することによって、流通本文の特徴や可能性を分析した(特に7・8章)が、これは全集本文だけでは成り立たない手法である。拙著の手法は〈文学〉と〈出版〉の間を行き来するものであると前述したが、〈メディア〉への視点を重要視するため、比重としては〈出版研究〉の方が重く、参照する資料も多い。

(つづく)