大澤聡著『批評メディア論』(岩波書店)書評

大澤聡著『批評メディア論』(岩波書店)書評

福嶋聡(ジュンク堂難波店)

 「言論でも思想でもよい。もちろん批評でも。それらの名に値する営為は日本に存在しただろうか?」
 この極めて刺激的な問いかけで始まる『批評メディア論』において、大澤聡は、 1930年代の批評に議論の照準を合わせている。「出版大衆化」キーワードは、「出版大衆化」だ。
 1927年に円本ブームが始まり、文学作品を中心に書物は一般大衆に解放される。円本は、一冊一円の予約金で階級を問わず平等に享受が可能になる、との幻想を広く与えた。出版産業が、知識も教養にも大きな幅のある大衆を顧客として射程に収め、その大衆が求める商品の模索をはじめたのである。
 大宅壮一は言う。“どんなすぐれた作品でも、それが商品にならない限り、何等の「価値」も認められない。しかも商品にならない限り、社会的に存在することは不可能である。”
 商業としての出版の隆盛が始まり、商品としての書物が量産された。書物の量産化に伴い、”読者の側では「何を読んだらいいか」が、出版社の側では「どう売っていけばいいか」が課題となり、双方の課題を受けて、批評が要請される。
 “小説作品や高度な知識を要求する論文が毎月大量に生産される。個々の頁数もかさむ。すべて読み込み消化するのは容易ならざる行為だ。時間的にも金銭的にも、なにより能力的にも。しかしながら、「青年」たちは知的流行についていかねばならない(教養主義的圧力)。文芸時評や月評、論壇時評、社会時評をはじめ各種時評は、こうした一般読者の知的欲望=欠如に即応する緩衝装置として大いに活用されたのである。”
 批評は、享受する側からだけではなく、つくる側からも、要請された。三木清、戸坂潤をはじめとするマルクス主義系の学者たちが大学を追われ、書く場所を求めていた。双方の要請を受けて、出版社は雑誌にその受け皿をつくる。彼らの思想よりも、彼らの整理能力が重宝がられた。さまざまな形式の批評が誌面に踊る。批評もまた、商品になったのである。
 批評対象は文芸作品だけではなくなっていく。政治が、社会が、人物が論じられる。出版業界の新たな顧客、すなわち書物を求めはじめた「大衆」は、1925年の普通選挙法で参政権を得たばかりの「大衆」であった。
 批評同士が互いに影響しあい、また反目しあい、批評の批評が生まれ、さらにその状況を批評するメタ批評が登場する。メタレヴェルの昴進性が合わせ鏡のように相互へむけられたとき、最終審級の無限背進が起こり、その結果、「論壇」が生まれた。逆ではない。はじめに「論壇」があり、それが批評同士の戦いを生み出したのではない。
 大澤の膨大な資料の渉猟とそれらの丹念な読解=虫の目に伴走しながら、鳥の目で、本書の描く批評メディアの運命を鳥瞰してみよう。
 大澤が照準を合わせた1930年代とは、どんな時代だったか?1931年、満州事変勃発。1936年、二・二六事件。教科書的に言えば、自由民権運動や大正デモクラシーのあと、軍部の力が増大し、1940年の太平洋戦争開戦まで、日本が破滅に向かって地滑り的に転がり落ちていく時代だ。批評の隆盛は、そして批評メディアの誕生・発展は、その時期に起こった。それは、批評が、メディアが、出版という営為が、無力だったということなのか?もっと言えば、破滅に向かう時代の趨勢に荷担したのか?だとすれば、それは何故か?
 本書の後半、この時代の人物批評の流行が取り上げられている。人物批評が取り上げるのは、作家だけではない。他ジャンルの文化人や政治家も批評の対象となる。大衆が選挙権を手にし、出版物の増大に伴い否が応でも情報量が増えていったから、読者の興味の対象が拡がっていったのは当然であろう。商品としての出版物の方でも、より多くの読者を求め、より多くの読者の関心を引き、その期待に応えようとする。読者の水準は千差万別だから、より多くの理解と関心を得ようとすれば、論述のレベルを落とすしかない。その結果、人物の描写は抽象的、類型的になり、「キャラ」化が進む。
 書かれたものが、どんどん現実から離れていくのは、文芸批評や社会批評でも同じである。「スピード化」が大衆消費社会の普遍的な「傾き」だから、人々はじっくりと自分で作品をよむ手間を惜しみ始める。安易な解説や概略が求められる。それでいてより多くの知識を得ようとするから、批評も短ければ短いほどよい。月評は読んでも作品は読まない層が厚くなる。「教養主義的圧力」がそれに輪をかける。
 文芸批評は個々の文学作品からもはや遠く、論壇時評も一時的な現実を対象とせず、二次的な言説以降を対象に据え、2階、3階、・・・n階の議論に占められてしまって、どちらも現実からはるか遠くに離れてしまう。
 こうした進展の図式が、出版が大衆化し、商業として成立した時期に、国が破滅に向かって猛進したことに対して、文学、思想、批評がまったく無力だったことの実態だったのだろうか。大澤が、実名でありながら匿名的、あるいは討議の内容は読まれず名前ばかりを眼が追う「座談会」を、この時代の批評の行き着くところと見たのは象徴的である。『文学界』の座談会「近代の超克」は、日本を無謀な戦争へと推し進めた責が、今も負わされている。
 鳥瞰する眼の照準を、70年ばかり後ろに向けてずらしてみよう。世紀を跨いだ今日、そこには大澤が描く1930年代とそっくりな状況がある。
 「出版不況」が叫ばれる中、新刊点数はいたずらに伸びていく。70年前の「出版大衆化」に代わって、インターネットをはじめとしたIT技術の大衆化がある。情報は再び爆発的に増加し、誰しもアクセスでき、誰しも発信できるという幻想が社会を覆う。匿名の言説がネット上に溢れる。だが実際に影響力のある、有効な発信は、ますます一極集中していく。「スピード化」の昂進は言わずもがな。読者は作品そのもの、現実そのものに向き合わず、手軽な解説書、マニュアル本で間に合わせようとする。「教養主義的圧力」に代わったのは、「認知資本主義的圧力」か。資格本が、書店店頭に山脈をなす。有名人も、政治家も「キャラ」化される。再び、言説のポートポイエーシスは〈現実〉の遥か上空を旋回し続け、それらを断片的に消費する読者もまた、〈現実〉から遠ざかるばかりだ。
 21世紀になって15年、それは普通選挙法の成立(1925)から太平洋戦争勃発までと同じ長さである。出版物販売のピークとなった1996年から20年、それは、敗戦までの昭和の年数である。敗戦の年、1930年代に活躍した三木清や戸坂潤は、獄死した(惨殺された)。
 再び同じ愚を犯してはなるまい。「グローバリゼーション」などのキータームをもてあすぶだけに終わることをやめて、すべての言説は上空から降下し、出版物は地面に降りて根を張らなければならない。

※本書評は2015年5月12日開催の2015年度第1回(通算第88回)関西部会「出版と批評の来歴――『批評メディア論』をめぐる合評会」大澤聡氏(会員・近畿大学)×福嶋聡氏(会員・ジュンク堂難波店)」で配布されたものです。
大澤聡『批評メディア論』(岩波書店、2015年)ISBN978-4-00-024522-7  2,200円+税