高麗版大蔵経の受容と現状 馬場久幸 (2017年11月20日開催)

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■ 日本出版学会 2017年度第5回(通算第103回)関西部会報告(2017年11月20日開催)


高麗版大蔵経の受容と現状


馬場久幸
(佛教大学非常勤講師)


 大蔵経とは、釈尊の教説を伝える経、僧侶の生活規範を伝える律、釈尊の教説を解釈した論のいわゆる三蔵と高僧の著述などを集成したものである。印刷技術の発達に伴い、北宋(960~1127)代には大蔵経が出版され、周辺諸国にも下賜された。その影響を受けて、高麗でも顕宗(在位1009~1031)と高宗(1213~1259)の時代に大蔵経が出版された。高麗時代に出版されたため、一般的に高麗版大蔵経と呼ばれている。
 室町時代の日朝交流において、44蔵(セット)の高麗版大蔵経(中国版の大蔵経も含む)が日本に伝来した。その中で、現在18蔵の高麗版大蔵経(『大般若波羅蜜多経』のみも含む)が所蔵されている。これらの中で大谷大学(京都)、建仁寺(京都)、相国寺(京都)、増上寺(東京)、法然寺(香川)、泉涌寺(京都)所蔵の各高麗版大蔵経の印面を比較して、印刷された年代の前後関係を検討した。
 朝鮮から大蔵経が数多く伝来した頃、足利氏と関係の深い北野社では一切経が書写されており、その底本の一部に高麗版大蔵経が使われていた。また、相国寺では室町幕府の将軍のために御誕生日祈祷が行なわれ、そこで大蔵経が転読されていた。将軍の御誕生日祈祷は、将軍個人の誕生日を祝うだけでなく、国家を中心とした護国祈祷であった。この法会は、高麗版大蔵経が所蔵されている南禅寺や建仁寺などの五山寺院でも行われていた。
 江戸時代、宗存という僧侶が高麗版大蔵経を底本として、日本で初めて大蔵経の出版を試みた。この事業は未完成であったものの、現存する宗存版大蔵経と高麗版大蔵経を比較することで、彼は大蔵経を底本そのままに復刻出版するのではなく、個々の経典を校勘する意志があったことが、彼の書いた『一切経開板勧進状』からも裏付けられた。
 事例としては少ないものの、大蔵経が活用されていたことがわかった。特に、室町時代の朝鮮への大蔵経請求理由の一端が窺えたのではないか。

日時: 2017年11月20日(月) 18時30分~20時30分
会場: 立命館大阪梅田キャンパス多目的室
参加者:10名(会員8名、一般2名)

(文責:馬場久幸)