『上方芸能』の48年――何を志してきたのか 木津川 計 (2016年9月26日)

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■関西部会(2016年度第5回(通算第98回)) 開催要旨(2016年9月26日)


『上方芸能』の48年――何を志してきたのか


木津川 計 (きづがわ けい)
(上方芸能評論家)


 今年6月、関西の伝統芸能や文化を議論する場として長く活動してきた『上方芸能』が48年(1968年-2016年)、200号をもって終刊を迎えた。同誌発行人であった木津川計氏を迎えその歩みを伺った。
 木津川氏は、同誌の歴史を、誌面レイアウトや副題など編集事項を例に語った。
 1960年代の上方芸能の状況はどん底にあり、漫才以外の歌舞伎・文楽・落語は不振を極めていたなか、木津川氏は1968年1月「上方落語をきく会」を旗揚げし、会報として『上方芸能』を発刊した。創刊号(1968年4月)は7ページ。記事が埋められず8ページ目は空白だった。題字は漫才作家の秋田実が書いた。
 15号(1970年9月)になると「伝統芸能の発展のために」を雑誌の旗印にかかげ、明朝体の題字下に副題として印字された。17号(1971年3月)からは編集方針が定められた。戦前の落語研究誌『上方はなし』、郷土研究誌『上方』の業績を受け継ぐとともに「広く関西の文化の結晶体」となることを述べたもので、その方針は100号まで続いた。
 1980年代に入ると大阪に国立文楽劇場がオープンするなど、上方芸能が復権し状況が好転したことを受け101号(1989年7月)から「芸能文化の広げる都市に」と旗印を変えた(副題の変更)。市民生活に芸能が浸透することをめざしたもので終刊の200号まで続いた。『上方芸能』が試みたこととして、①名観客を育てる②朗読・語り文化の発展③大阪文化の発展と都市格の向上の3点がある。①②については特集を組んだり、イベントの開催など様々な取組を通じて進展に寄与したが、③については道半ばで、「ど根性」「がめつい」「どケチ」などのイメージではなく、大阪が「含羞都市」となることで、都市格を取り戻してほしいと抱負を述べた。
 フロアを交えた質疑応答では、木津川氏が企画・構成に深く関わった『大阪府文化芸術年鑑』への想いや、『上方芸能』にライバル誌が出現しなかったためスタッフに常に緊張を持たせるよう鼓舞した苦労など、編集者としてのエピソードが語られた。最後に「第二次『上方芸能』を立ち上げようという若い人が出てきたら、ぜひともバックアップしたい。出てきてほしい」と、まだ見ぬ後進への期待を滲ませた。

参加者:17名(会員9名、一般8名)
会 場:関西学院大学大阪梅田キャンパス 1004教室
(文責:中村健)