戦場での読書行為 中野綾子 (2014年7月5日)

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■出版史研究部会 発表要旨(2014年7月5日)


戦場での読書行為
――陸軍発行慰問雑誌の比較を通して


中野綾子
(早稲田大学院博士課程・日本学術振興会特別研究員)


 本発表では,戦場で兵士が読むための慰問雑誌である『陣中倶楽部』と『兵隊』の二誌を中心に考察を進めた。この二誌は,1939年5月1日の同日に創刊,中国の前線で兵士に配布され,最終的に陸軍恤兵金によって運営されていた雑誌である。そこで本発表では,なぜ異なる二つの慰問雑誌が戦場における兵士の読み物として必要とされたのか,慰問雑誌に対する状況を分析し,二誌の比較を行うことで明らかにすることを試みた。
 戦場での読書に関する言説のなかで,現在広く流通しているものとして,「きけ わだつみのこえ」に代表される兵士の手記に記された読書記録が挙げられる。そうした手記の多くでは,学徒兵が教養的な書籍を隠れて読んでいたことが記されるなど,戦場での読書は戦争に対する抵抗として捉えられる傾向にある。だが,戦闘の場である戦場において日常を喚起させる読書行為は想像され難く,教典や指導書など戦闘のための読書や娯楽のための読書は語られることも少ない。そのうえ,戦場での読書について明らかにすることは,資料面でも困難がつきまとう。本発表は,講談社資料センターに保管される『陣中倶楽部』および復刻の刊行された『兵隊』という慰問雑誌の分析を行うことによって,戦争への「抵抗/協力」という枠組みでは語ることの出来ない,戦場での読書をめぐる戦時下の輻輳した状況を浮かび上がらせるための端緒となることを目指した。
 具体的にはまず,日中戦争開始以降,慰問書籍の流通経緯について整理し,1943年頃までに,軍事郵便での発送のほか,恤兵部,軍人援護団体,図書館,出版社,出征将士新聞雑誌慰問会など多様な団体によって慰問書籍発送が担われていたことを明らかにした。
 つぎに,発送された書籍の内容について,慰問書籍や雑誌をめぐる文学者や出版社の反応や各団体作成の慰問雑誌を分析することで検討を行った。文学者や出版社の慰問書籍発送の参加要因として,木村毅による「前線文庫」設置の提唱が発端であること,「慰問」という言葉が戦時下の効果的な宣伝文句として利用されたこと,戦地での「教養」として読書を推奨する言説が出現していたことの3点が挙げられる。そうした言説を背景とし,慰問図書の内容も大衆的なものから教養書や純文学へ広がりを見せており,郷土の慰問雑誌に掲載された文学作品の紹介等を行った。
 最後に,『陣中倶楽部』と『兵隊』の二誌の内容にどのような傾向があったのか,共通点や相違点を明らかにすることで,慰問雑誌の読者層や内容についての検討を行った。講談社による『キング』や『講談倶楽部』を範とした「面白くて為になる」『陣中倶楽部』と,兵士の投稿作品(小説,詩,短歌,俳句,随筆,戦記,漫画等)を掲載し,「兵隊による兵隊のための雑誌」と謳われた『兵隊』という二つの雑誌は,ともに雑誌購読の理由と戦地での教養(修養)を掲げ,大衆娯楽な傾向を持っている。だが,紙面構成や執筆者の比較からは,『兵隊』にはよりリテラシーの高い読者層が想定されていたことが伺え,内地からの書籍が徐々に文学的・教養的なものを含むようになった状況に符合していることが分かる。二つの慰問雑誌の存在からは,戦場における読者として,兵士を画一的な存在ではなく,階層性を伴う存在として示すことが可能になる。本発表では,慰問雑誌を中心に戦場での読者層の問題を明らかにすることに努めたが,今後さらなる調査考察を進め,戦場での読書の一側面を明らかにしていきたいと考えている。